旅日記29

4月21日
クットララム。
そこは今も聖者や聖仙たちが住み、
あるいはヤシの葉に予言を書き、あるいは特殊な鉱物薬を調合しているといわれる、
インドでも屈指の聖地である。
今回の旅の間に、
私はどうしてもこのクットララムまで行かなければならない理由があった。
ある方の予言のなかに、瞑想の先生に、
クットララムの水を採取してきてもらいなさいという文言があったのである。
滝のところにある寺院で礼拝をし、自ら滝を浴び、
祈りを捧げてから水を採取する。
それから、顔なじみのラーマクリシュナ・ミッションの僧院を訪れる。
儀式に与り、僧侶の方と話していると……

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旅日記28

4月20日
今回はチダンバラムで身障者の孤児院を訪れた。
枕やシーツ、食器、食糧を買うためのお金と同時に、彼らがもっとも欲しがったのは、 冷蔵庫であった。
灼熱のこの国で、
口当たりのいいソフトドリンクを入れておいて飲むためではない。
「ミリンダ」や「スプライト」がこの国にもあるが、
彼らがそれを知っているかどうかもさだかではない。
彼らが冷蔵庫を欲しがった理由は、食べ物の残りを保存しておくためである。
こうして、年間にすれば、かなりの経費を節約することが可能となる。
私たちが車のなかでソフトドリンクを飽食、ならぬ飽飲していたとき……

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旅日記27

4月17、18、19日
国際線の空港に向かう皆さんとムンバイのホテルでお別れした後、
私は国内線の空港に向かった。
17日のうちにチェンナイに入り、
18日は、昨年巡礼の旅で訪れたクマーラクディに移動、
われわれが造ったガネーシャ寺院でホーマに与った。
ホーマはその夜に始まり、翌19日も早朝から午後まで続いた。
皆さんから託されたサイババへの手紙は、
プッタパルティではまったく手渡す機会がなかった。そんなとき、
かつてはサイババ宛ての手紙を入れるポストがアシュラム内にあったのだが、
現在はなくなっていたので、私はこれを旅行期間中持ち運び、
このときのホーマの火にくべ、神々に捧げることにした。
また、現在、インドの貧しい人びとのために、
<プレマ倶楽部>会員の方が全部で十数軒の家を建てる計画が進んでいるので……

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旅日記26

4月17日(7日目)-2
ここで僧侶は、朝は4時前後に起床・沐浴し、
一日の間に3、4時間もマントラ行を行なっている。
そうして中に入ると、なんとも心地よいバジャンが……。
その美しい旋律が忘れられず、私はこれをバスのなかで歌った。
かつて、イタリア・アッシジに向かうバスのなかで、
映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』の主題歌を歌って以来の、
大迷惑であった。
そんなことをしながら、旅は終わりに近づいていた。
私は、聖者によって書かれたとおりの儀式を行ない、
孤児院や、身寄りのない老人ホーム、その他を訪れるため、
さらに旅を続けなければならない。
最後にムンバイのホテルで豪華な夕食をとりながら、
私がこのとき、どんなに皆さんと一緒に日本に帰りたいと思っていたか……

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旅日記25

台風の映像を見ながら、
それがつい数日前、私たちが泊まった鳥羽の港であることに気づき、
感慨深かった。
あの日、海は深く、静かで美しかったが、
今は激しい暴風雨と、打ち寄せる高潮の水しぶき……。
この日に伊勢や鳥羽、勝浦にいたら、
または熊野古道や高野山、関空から飛び立つ日であったら、
旅はどうなっていたのだろうか……。
そう思いながら、想像を超えて充実した4日間の旅を思い出す。
……が、しかし、
その前にインドの旅が完結していない。
あの旅日記はいつ完結するのかとたくさんメールをいただいてきたので、
まずそれを終わらせることにする。
4月17日(7日目)-1
ゴアの最終日、朝、ふたたびアラビア海で泳ぎ、
朝食をいただいた後、ムンバイに向かう。
ISKCON(クリシュナ意識国際協会)の人びとは、かつては新宿や渋谷でも
「ハレークリシュナ、ハレークリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレー、ハレ-
ハレーラーマ、ハレーラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレー、ハレー……」
などと言って歌っていた。
そのときの黄色い僧衣や剃った頭が印象的で、
覚えておられる皆さんもいると思う。
クリシュナの教えに帰依し、純粋な生活を送る彼らに共感する人たちは多く、
今回の旅行にお客様として参加し、しかしスタッフのように手伝ってくれたHさんも、
かつてこの寺院で出家し、奉仕活動を行ない、
毎日何時間もマントラを唱えていた。
しかし、人は見かけによらない。
彼女の人生の悩みは深く、いったいどうしていいか分からないでいたとき……

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アフリカ大陸の朝 3

さまざまな楽しみの多様化した日本では想像できないが、
こちらでは夜中まで、というより夜通し音楽が鳴らされ、人々が踊っている。
寝るまでもそうだし、いつ起きてもそれは続いている。
夜中にPC部屋に来てみたら、今度はインド人の神父がいた。
今年、ゴアを巡礼した話を思わずすると、大いに喜ばれた。
なんとこの神父の祖先はゴアの出で、フランシスコ・ザビエルの時代に洗礼を授かり、
そのままカトリックの家系が今に至るのだという。
「ザビエルは私たちに洗礼を授けた後、日本にも行きましたね」と嬉しそうに言った。
今日もまた、鳥が歌い始めた。
もう少しすると、鐘が鳴らされ、聖者のような老司祭が杖をついて聖堂に向う。
他の修道士からも、聖人と尊敬されている司祭だ。
だが、今日は6時のミサにゆっくり与る時間はなく…

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アフリカ大陸の朝 2

修道院には、一応PC部屋があって、当初はまったく機能していなかった。
私もあまり口にはしていなかったと思うのだが、困っているのがやはり伝わったのであろう、
長身のがりがりにやせたヨーロッパ人司祭が登場して、復旧に努めてくれた。
だが、今も、どんなときにネットが繋がり、どんなときにそうではないのか、
その法則性は杳としてつかめない。
つまり、まったく偶然に左右されるようだ。
その上、がりがりのヨーロッパ人司祭によれば、ネットは一度に一人しか使えない。
そんなことがありうるのかと思うが、とにかくそう言うのだ。
そういうわけで、今日は朝3時に起きて来てみたら、
やはりネットが使えるのが嬉しいのか、別のヨーロッパ人司祭がすでに来て使っていた。
彼らはフランス語しか話さず、英語はからっきしだめなので、ヨーロッパ人ということしか分からない。
実はもう一つ、このPC部屋には秘密がある。
それは、蚊取り線香を焚いても焚いても、蚊が刺してくることだ。
日本から持参した蚊避けスプレーなど、ものの役には立たない。
蚊取り線香の煙がもうもうと立ちこめているのに、そのなかを蚊や、蛾が悠然と乱舞する。
こうして手足を掻き掻き書くのはよいが、
そのうちに、それらの蚊の中にはある一定の確率でハマダラ蚊がいるであろうから、
その場合はマラリアに罹患するだろう。
救援に来るはずのハラによれば、ぽっくり死んでくれるのはよいが、
遭難したり、重病にかかったりするのは費用がかさむので、勘弁してほしいとのことだ。
また、同じ死ぬにしても、アフリカで腐敗し始めるのは困る。
そうして最後に弟子に迷惑をかけていくかどうかによってセンセイの真価が決まるとハラはいうのだが、
私は生涯を通じてほとんどアルコールを口にしていないし、
アフリカで死ねばやはり腐敗くらいはするだろう。
おちおちマラリアにもなれない、今日この頃であるが…

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アフリカ大陸の朝

生まれて初めて、アフリカに来ている。
ネット環境は当然劣悪だが、修道院に泊めてもらっているので、とりあえず安全は確保されている・・・
と思っていたら、昨日は修道院に強盗が押し入り、大騒ぎになった。
この日、たまたま日曜日で、しかも一人のアフリカ人司祭の初ミサだったので、壮大な儀式が3時間も続いた。
ミサに出ていた私は難を逃れたが、知らずにすれ違いでもしていたら、
お金があると勘違いされた挙句、ないとわかってさっさと殺されていたかもしれない。
犯人はなんと修道院の上階に逃げ込み、最後は捕まって警察に連れて行かれたが、
修道院内で捕まったのにまさか袋叩きにされるとは、さすがに予想してなかったに違いない。
今まで50回もインドに行って一度もしたことはなかったが、
今回ばかりは友人の強い勧めもあり、万が一の場合のための救援者費用付き保険に入っていた。
最高2000万円まで出るので、そのときはスタッフのハラがアフリカまで豪遊しに来る算段になっていた。
初めての、しかも2000万円のアフリカ旅行をよほど楽しみにしていたらしく、
その必要がなくなったと聞いたハラは、心なしか気落ちした様子だった。
今回のアフリカ行は複雑な事情の末に成立したものだが、
聖者は私がアフリカに来ることなど当然にご存知だったらしく、
パリハーラムと絡めてこられた。
不思議ではあったが、考えてみれば人類発祥の地、当然なのかもしれない。
結果、こちらでは、貧しい人たちと漁や農作業までさせてもらうことになった。
苦しくて楽しい時を過ごしつつも、一方では、イスカーナさんじきじきご推奨の国内旅行の方も楽しみでならない。
今回急遽訪れることにした、那智の浜の近くにある補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、
遠く南インドはアガスティア・マライ(聖者アガスティアがかつて予言の葉をしたため、今もそうしておられるといわれる聖山)や聖クットララムの滝、
聖地パーバナーサムなどと深い関係にあり、実はそれらの東門にあたる可能性があるらしい。
これらはいずれも、過去、幾度となく聖者の指示により巡礼に訪れ、これから皆さんをお連れしなければならないとも思われる聖地だ。
今回、まったくそれとは関係なく企画した巡礼の旅だったが、
実は思わぬ深いところでつながっていたのは、
ちょうど、アフリカに来ることになったら、
インドの聖者がパリハーラムを設定していたのに似ている。
あるいは、今回日本人に生まれたわれわれのために、特別に用意されていた旅だったのかもしれない。
有り難いことに、お寺から「到着をお待ちしています」とのお言葉に加え、
関係機関からはインドとの関係にまつわる特別な資料までいただいた。
さらにまた、補陀洛山寺の秘仏・十一面千手観音像を拝礼させていただける予定だ。
PC環境に苦しみながら何とかここまで書いたところで・・・

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パリハーラムに関係して、今から日本を離れなければならない。
最初に行くのはパリであるが、
日本やインド以外の国で儀式や慈善を行なうことが、最初は不思議に感じられた。
しかしよく考えてみれば、われわれはそれぞれさまざまな国に生まれているのであり、
ご縁に応じて、それぞれの地、さまざまな寺院で儀式その他を行なうことになる。
今回の人生でわれわれが日本に生まれたということは、
神道や仏教と何らかの関わりがあることを意味している。
あるとき、「聖徳太子展」にさる能力者とご一緒しようとしたところ、
この方はしきりと、頭をすっかり剃って、赤い袴を着た子どもが見えると言っていた。
そのような子どもの聖徳太子のご像があって、
なんと会場に入ってすぐのところにおられたのだった。
その子どもの聖徳太子がこう言われたという。
「日本の伝統についてもっと研究し、表現しなさい」
もちろん、私には少しも聞こえなかったが……。
こうして、秋の巡礼旅行がますます楽しみになってくるが、
その理由は他にもいくつかある。
最初に訪れる伊勢神宮は、通常……

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旅日記24

4月16日(6日目)-3
われわれが泊まったのは、ゴアでも屈指のリゾートホテル。
そこではさまざまな楽しみがある。
何人かの方はアーユルヴェーダのオイルマッサージを体験され……

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