宗教的革命

台風が首都圏に近づいた頃、
ちょうど新刊の著者写真の撮影が予定されていた。
もしかしたら当日は大雨か……と思っていたら、
幸い、台風は去り、秋晴れとなった。
季節は移り、今年ももうあと2カ月となる。
月に一度、日曜日に解説している【ヨハネによる福音書】のほうでは、
いよいよイエスの裁判が進み、十字架刑が言い渡されるシーンに入っていく。
地上にいる神人を裁判にかけ、
鞭打った後に死刑を言い渡したのであるから、
とてつもないことをしてしまったものであるが、
聖書に預言された贖罪の業は、そうしてなし遂げられた。
その過程で、人類の思想史上においても大きな変化があった。
選ばれた民が、選ばれた方法で神の国に入るという思想から、
神を愛するものはすべてそこに至ることができるという思想へと、
進化していったのである。
ユダヤ教は、さらに世界宗教へと進化し、キリスト教が形成された。
われわれが今日、接するところの西洋文明と西洋文化のすべて、
すなわち、人類の文明・文化の相当部分が……

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儀式三昧 4

3日目-2
アイヤッパ神に捧げる儀式と神の讃歌
その昔、神々が阿修羅との長い戦いの末、とうとう打ち負かされそうになったとき、
ヴィシュヌ神は考えました。
『この世のあらゆるよいものを集めて混ぜ合わせ、不死の霊薬、甘露を作ろう……』
そうしてできた甘露は、ソーマ、不老不死の霊薬とされるものです。
物語『西遊記』のなかでも、
一滴飲めば不死となるこの霊薬を孫悟空が壺いっぱい飲む話が紹介されていますが、
このソーマは、
実は瞑想中に私たちの内側で盛んに産生される精妙な物質に他なりません。
さて、苦労の末に甘露ができた途端、魔神たちがこれを横取りしようとしたので、
ヴィシュヌ神は自ら美女に姿を変えて阿修羅を幻惑、
その間に神々が甘露を呑めるようにしました。
おかげで神々は不死の体を得ることとなりましたが、
その際、一つの事件がおきました。
ヴィシュヌ神が姿を変えた女性はあまりの美しさだったため、
シヴァ神が恋に落ちたのです。
こうしてできた子が「アイヤッパ神」です。
ともに至高神で、実在そのものであるヴィシュヌとシヴァの間にできた子は、
全知全能にして、
「神の子」イエスと同様、人びとの救いを担います。
毎年、1月14日(または15日)、マカラサンクランティの祝日には、
アイヤッパ神の祀られる聖サバリ山の頂上に鷲が舞い、
神秘の炎が灯ります。
これに巡礼する人は、地域を代表し、
人びとのための多数のコインを頭上に載せたまま、裸足で山を登りますが……

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儀式三昧 3

3日目-1
火の儀式・ホーマ
かつて読んだ女神サラスワティの予言のなかに、
『日本と、世界のためにマントラの儀式と火の儀式・ホーマを捧げることになります』
と書かれていました。
そのときは、まったく意味が分かりませんでしたが、
今日、これを執り行ない、皆さんと参列できることが、
半ば夢のようにも感じられます。
ホーマは、定められたマントラを唱えながら火のなかにギーや食物、
薬草、金や銀、シルクのサリー等々をくべ、
神々や精霊、亡くなった祖先の霊たちを盛大にお歓ばせする儀式です。
クリシュナ神も【バガヴァッド・ギーター】のなかで……

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儀式三昧 2

2日目
聖トマスの山
イエスの直接の弟子、十二使徒の一人であった聖トマスは、イエスが復活した後、
「私は主の掌に指を入れ、脇腹に手を入れなければ信じない」
と言った疑り深い人間でした。
その彼は、しかし聖霊を受けた後、勇敢に布教を行ない、
インドにまで渡ったといわれています。
実はインドは、かつてイエスが神秘の科学を学んだ、
まさにその場所であったと多くの聖賢たちが語っています。
ここチェンナイには聖トマスの山と呼ばれる聖地があり、
そこには聖トマスが奇跡によって刻んだ足跡が、今も残っているといわれています。
聖サバリ山巡礼者のための儀式
聖サバリ山に巡礼する者は、地上において予め受けておくべき儀式があります。
マーラというものを首につけ、以後、彼は巡礼から戻るまで、
基本的に黒い衣類を身につけ、菜食で、朝夕水で沐浴します。
髭を剃らず、サンダルを履くことが許されません。
昨年、一人で与ったこの秘儀に、今年は皆さんがご一緒に参列してください。
(ただし、皆さんはその後、衣類も、食事も、変える必要はまったくありません)
ホーマ(火の儀式)の舞い
あらゆる民族において、重要な儀式をあげる際、
自分たちの肉体を使って神々に讃美と感謝を捧げる舞いが伝えられてきています。
インドにおいて伝えられた荘重なその舞いを・・・

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儀式三昧 初日

思い出深い4月の旅行の旅日記がやっと終わったのも束の間、
12月にもインド旅行があります。
これは本来、私が一人で12月にインドに行き、
瞑想を教えた皆さんのためのコインと、ギーの入ったココナッツを頭に載せ、
朝夕水で沐浴しながら、裸足で聖サバリ山に登るという旅でした。
ところが、今年は期せずして「日本のためのパリハーラム」が進行中で、
その上、チャリティの家も完成、
貧しい人びとが入居する前に必ず儀式に与らなければなりません。
日本のためのホーマなどに参加したいという方と、
これらの儀式に皆さんと一緒に与りたいという私の、
両方の思いが合致して企画されました。
そこで今日から数日、今度は先回りして、
『旅の見どころ・触れどころ』をご紹介します。
初日
今回も、世界一のサービスといわれるシンガポール航空にてインドを目指します。
途中……

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旅日記34

4月26日
この旅の間に、私はもう一人の聖者にお目にかからなければならなかった。
この聖者自身、サイババに帰依している方だ。
二日間にわたる会見の終わり、聖者は大量の神聖灰を渡して言った。
「ヴィブーティをお持ちください」
「はい……」
「サイババ様からいただいたものです」
「そのような貴重なものを……」
 そう申し上げても、聖者はまったく気にすることなく、これを私に託された。
こうして、今回の旅が完結した。
すべては恩寵のなかに完結したのであるが、
しかし、何をどう思い出しても……

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旅日記33

4月25日
25日朝、ダルシャン会場で待っていると、サイババが現れた。
車椅子に座り、人びとから一定の距離をとったまま進まれる。
この状態で手紙を渡すのはほとんど不可能かと思われたが、
そのとおり、行き過ぎてしまわれた。
帰りは、反対側を向いて行かれるだろう。
そう思って諦めかけたが、
なんと帰りもこちら側を向いて来られた。
手紙は一瞬、落とされそうになったが、
しかししっかり受け止め、取って行かれた。
が、夢のときのように、ヴィブーティを渡されることはなかった。
思えば、これほどサイババに近づいたのは数年ぶりだ。
手紙には、日本で瞑想を教えて数年、おかげさまで
皆さんが想像を超えたよい体験をさせていただいていることへの感謝とともに……

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旅日記32

4月23、24日
「サイババ様は、コダイカナルにお入りになったようです」
クットララムで幸せな瞬間を得た日、こんな報せが入ってきた。
コダイカナルは、南インドの代表的な避暑地である。
そこには美しい湖があって、傍にはサイババの居室がある。
急遽コダイカナルに向かい、到着した翌日、ちょっとした雨になった。
夜になると雨はさらに激しくなり、電気が消える。
コダイカナル全体が停電したのだ。
そのなかで、日本では見られないような激しい雷が、
夜空を青白く照らしだす。
借りていた小屋を管理するオヤジが、
まるでフランケンシュタイン男爵の執事のような面持ちでロウソクを持ってきたので、
その灯だけでしばらく外の幻想的な様子を眺めていたが、
疲れて、知らない間に眠ってしまっていた。
翌朝3時、ふと目覚めた。
サイババの夢を見ていた。
今回、日本から来た八十数名の人たちを祝福してくださいと言うと、
サイババが大量のヴィブーティを物質化した夢だった。
私は正直、普段から夢を覚えていない。
『理性のゆらぎ』を書いたのが1993年、
その前からサイババのことを知っているので、もう20年以上になるが、
その間、サイババの夢を見た覚えもほとんどない。
だが、このときの夢はリアルに覚えていたので……

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旅日記31

4月22日-2
女は言った。
あれから毎日、あなたを思わない日はなかった。
自転車の音がする度、あなたではないかと思って窓辺に駆け寄った。
その思いが、今日、やっとかなえられたと。
続いて、大人の男性が出てきた。
「結婚したんです」
「……!」
あのとき、火事の後、二人の男の子を抱えた母親は夫にも捨てられた。
夫は、女をつくって出ていったのだ。
それがなんと、立派な、若い男と結婚したものだ……。
そう思って驚いていたら……

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旅日記30

4月22日-1
ラーマクリシュナの僧院もさることながら、
それよりも私は、ある一軒の家が気になっていた。
かつてここで48日間の滝業を行なっていた際、
火事になったところをたまたま通りかかった場所だ。
その後、その家の人びとと交流が始まり、
ある晩、子供が一人で私のところを訪れた。
言葉がまったく通じないものの、蟻入りのラーメンを一緒に食べ、
子どもがなついたころ、私はクットララムを離れなければならなかった。
その後もお金や、品物を送り、
それで学用品を買い、必ず学校に行かせるようにと言づけた。
お金は無事に届いているのか。
それで本当に彼らは学校に行ったのか。
今はどうしているか……。
その同じ場所に、別の小屋が建っていた。
果たして、あの家族は今、どうしているいるのか……。
そう思って恐る恐る、その場所を訪ねると……

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