旅日記9

12月14日ー4
この盛大なバジャンの様子を、
いったいどのようにして文章にしたらよいのだろうか。
村人たちの音程はかなり外れていたし、
歌い方もエレガントとはいえなかった。
しかし彼らの神に向かおうとする心は、例えようがない。
私は当初、このあまりの熱気に、
日本から来た皆さんが引いてしまうのではないかと心配したのだが、
しかしそれは杞憂だったようだ。
皆さんも自ら、体を揺らし、手をたたき、楽器を打ち鳴らし、
最後には総立ちとなってこの讃歌を楽しまれた。
インド人のなかにはトランス状態に陥り、
神への讃美を口走って気を失う者が現れた。その後、
最後に壮大にバジャンが盛り上がった後……

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旅日記8

12月14日ー3
その昔、神々が阿修羅との長い戦いの末、とうとう打ち負かされそうになったとき、
ヴィシュヌ神は、この世のあらゆるよいものを集めて混ぜ合わせ、
不死の霊薬、甘露を作ろうとお考えになった。
そうしてできた甘露は、「ソーマ」と呼ばれるが、実はそれは、
瞑想中に私たちの内側で盛んに産生される精妙な物質に他ならない。
苦労の末に甘露ができた途端、魔神たちがこれを横取りしようとしたので、
ヴィシュヌ神は自ら美女に姿を変えて阿修羅を幻惑、
神々に甘露を呑ませた。
しかしその際、ヴィシュヌ神が姿を変えた女性はあまりの美しさだったため、
シヴァ神が恋に落ちた。
こうして生まれ落ちた子が全知全能の神・アイヤッパである。
そして毎年、このアイヤッパ神を祀った山に登る者を送り出すため……

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旅日記7

12月14日ー2
この日、盛大なホーマが捧げられている間、近くの別の場所では、
朝から僧侶によりマントラが唱えられていた。
かつてそのホールをお建てしたところ、
女神サラスワティが私についての予言の中で、
サラスワティ・マントラを最初に唱えるよう指定された、あのホールである。
『自らのダルマを遂行するためのマントラをわたしが教えます。
 それはわたしのマントラ、サラスワティ・ヴァシア(魅了する)マントラ。
 五マンダラ(二百四十日)の期間、
 九つの容器に九つのココナッツ、花、果物、樟脳、線香をお供えし、
 毎日一〇〇八回唱えます。
 マントラの吟唱を終えたら日々、九人の貧しい人びとに菓子を与えます。
 こうして得られた護符は、彼の研究所に置かなければなりません。
 そしてこのサラスワティ・マントラが、
 彼が建てた場所で最初に唱えられるマントラとなります』
               『神々の科学』(一七〇頁)
こうして、この場所で最初にサラスワティ・マントラが吹き込まれ、
できた護符を私はいま手許にもっている。
そしてその後は、この場所で……

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旅日記6

12月14日ー1
可能な限り時間に余裕をもち、
朝食を済ませてから会場に向かうと、
ホーマは早朝より再開されていた。
かつて女神サラスワティは、その予言のなかでこう語った。
『日本と、世界のためにマントラの儀式と火の儀式・ホーマを捧げることになります』(『神々の科学』171頁)
予言のなかに書かれた未来については、読んだときに即、意味が分かるものと、
とりあえず意味が分からないものとがある。
これは典型的な後者の例だ。しかし実際、その予言のとおり、
私はこの年、荘重なホーマを繰り返し捧げることとなった。それにしても、
こんなにも多数の皆さんと一緒にその儀式の一つに与ることができるとは、
なんという幸運か。
僧侶らは、マントラを唱えながら火のなかにギー(精製バター)や食物、
薬草などをくべていく。
金のチェーン、そしてシルクのサリーを火に入れるというクライマックスに近づいたとき……

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旅日記5

12月13日-3
今回のホーマ(火の儀式)は、この日の夜に始まる。
われわれはチェンナイを出て、チダンバラムへ。
途中、昨年泊まったマハーバリプラムのチャリオット・ビーチ・リゾートに寄る。
昼食は、豪華にして美味なインド料理の数々。
なかでも、プリプリの海老が好評だった。
が、いまや私はこれが食べられない。
代わりに、何人かの方にお願いしてたくさん食べてもらい、
それを見て楽しませていただいた。
一旦ホテルに入った後、夜、儀式の会場に向かう。
通常、ホーマ(火の儀式)を行なうとなれば、
かつて建てたガネーシャ寺院の敷地内に炉を設えるが、
今回は参加者が約40名、僧侶も約20名、
近隣からも人びとが参列するという大がかりなものとなるため、
別の場所に炉が設えられていた。
会場に着くと、すでに盛大にホーマが始まっていた。
始まりにあたり、この儀式のもつ特別な意味あいが僧侶により説明され……

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旅日記4

12月13日ー2
聖サバリ山に巡礼する者は、地元で予め与っておかなければならない儀式がある。
マーラと呼ばれる数珠を二連、首につけ、以後、彼は巡礼から戻るまで、
菜食で、髭を剃らず、サンダルを履くことができない。
この日の朝、ホテルの朝食には美味しそうな肉や魚、卵が出たが、
私はそれらを食べることができなかった。
聖トマスの丘を下り、
儀式の場所となる寺院に着くと、私は素早く黒いドーティを巻かれ、
額や腕、胸にヴィブーティと白檀の線を引き、まるで僧侶のような出で立ちとなった。
実際、聖サバリ山に登る人びとは、「スワミ」と呼ばれる。
儀式において私は二本のマーラを首にいただき、
ますます僧侶のようになった。
それにしても、昨年は一人で与ったこの儀式に、
今年は皆さんが一緒に与っていただき、
後にやってくるであろう厳しい旅の覚悟ができた……

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旅日記3

12月13日ー1
日本とインドの時差は3時間半ある。
前夜、ホテルの部屋に入ったのは12時過ぎだったが、
皆さんは早くから起きられて朝食。
私は例によって、ギリギリで朝食。
最初に向かうのは十二使徒の一人、聖トマスの丘だ。
聖トマスは、イエスが復活した後も、
「私は主の掌に指を入れ、脇腹に手を入れなければ信じない」
と言ったことで有名な人だ。
3年もイエスと生活をともにし、無数の奇跡を目の前で見てきただろうに、
疑り深い人というのはそうしたものかと思わせる好例で、
もちろん、意図があってイエスは彼を十二使徒に加えたのだろう。
その彼も、聖霊降臨の後は勇敢に布教に携わり、インドにまで渡った。
トマスはこの地で迫害され、洞窟に籠もり、そして水がなくなってきた。
そのとき……

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旅日記2

12月12日
海外旅行の場合、通常、出発の一カ月前が締め切りとなる。
今回、締め切り前日までのお申し込み者は18名。
12月の忙しい時期、年3回目の旅行であり、告知期間も短かったこともあり、
『大いなる生命と心のたび』最少催行記録を更新しそうだった。
それがなんと、
締め切り日には倍の36名に増えていた。
何かの魔法か……??
結局、その後参加された方を含めて37名となった。
4月にインドに行ったばかりの方も相当数おられたので、
今回、飛行機はすんなり飛んで欲しい。
利用航空会社は同じシンガポール航空。
前回のような遅延は、数十回も利用していて初めてだったので、
何の不安もないはずだった。ところが……

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旅日記1

12月下旬にインドから帰国した後、いや、旅に出る前から、
多くの皆さまより早く旅日記を書いてといわれた。
実際のところ、私自身はかなり疲弊して帰国、
しばらくそれどころではない状態だったが、なんとか連載を始めてみようと思う。
ところで、2009年4月のインド旅行のほうは、
プッタパルティでサイババにお目にかかり、
ゴアでは東洋の使徒フランシスコ・ザビエルの遺体を拝礼、
充実した、思い出深いものとなった。
ところが、同年、私は壮大なパリハーラムを行なわなければならないこととなり、
また、貧しい家族が入る家も一軒が完成、
その家の入居前には必ず儀式を催さなければならないと、予言には明記してあった。
日本のためのホーマに参加したいという皆さんと、
これらの儀式に皆さんと一緒に与りたいという私の思いが、国内旅行も含め、
同年三度目の『大いなる生命と心のたび』を催行させることとなった。
神々の科学

黄色い布の奇跡の地
このうち、ホーマについては、<木曜くらぶ>のほうで
クリシュナ神の言葉をちょうど学んだばかりであった。
『祭祀によって神々を繁栄させよ
 その神々も、汝らを繁栄せしめんことを
 互いに繁栄させることにより
 汝らは最高の幸福に到達する』
    (『バガヴァッド・ギーター』3・11)
すなわち人間は、人間社会のなかだけで繁栄することができない。
進化と繁栄のサイクルには、どうしても神々にも登場していただかねばならない。
そのことに、普通われわれは気づかずにいるわけだが。
さらにクリシュナ神は……

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聖なる布

3年前の夏に始まった【ヨハネによる福音書】解説は、
とうとうここへきて第20章、イエスの復活のシーンまで来た。
聖書によれば、イエスが十字架上で亡くなって三日目、
マグダラのマリアが墓を見に行ったところ、そこに遺骸はなく、
イエスを包んでいた亜麻布だけが置いてあった。
この聖なる布を誰かが大事に保管していたとしても、
まったく不思議はない。
私がその場にいれば、やはりそうしようとするだろう。
ただし、それが2000年も経ってなお保管されているとしたら、
さすがに驚嘆に値する。
聖書の記述によると、十字架から降ろされたイエスは、
没薬、沈香などを塗布され、亜麻布に包まれて埋葬された。
特別な安息日に入る直前のことであったので、
その作業は相当に急いでなされたはずだ。
そうして、三日目に蘇るまでの約36時間の間に絶妙の化学反応がおき、
人の姿がネガのかたちで写し出されたとされる。
そしてこの写ったものを分析することで、
十字架を担った道行で、そして十字架上でこの人がどのような状態であったかが、
かなり詳細に分析できるのである。
中学1年のとき、初めてこの布の話を聞いたとき、
神父さんがこう言った。
「考えてごらんなさい。人類の歴史上、
 ただ一度だけ神が降臨してきたとしたら、その方は……

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