クサンチッペ

クサンチッペ
<プレマ倶楽部>の会員さんは、
ほとんどすべての方が瞑想を習い、実践したいという、強くて尊い欲求をお持ちで、
実際にそれを実行に移された皆さんである。
その皆さんは瞑想の実践と同時に、
背景にある哲学を知ることに熱心で、
その水準の高さは私の関係するいかなる団体をも凌駕している。
男性の場合、その哲学的思索の深さと妻の悪妻度の間に、
もしかしたら相関があるのではないかと、
秘かに思っているのは私だけではないだろう。
「ぜひ結婚しなさい。
 よい妻を持てば、幸せになれる。
 悪い妻を持てば、私のように哲学者になれる」
ソクラテスの、あまりに有名、かつ微妙な発言であるが、
実際、私などがみてみても、“悪妻”を持つ多くの友人たちは、
やはりそれなりに深く人生を省みておられるように見える。
その実例は……

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【ヨハネによる福音書】

思い返せば4年前、
新約聖書を東洋哲学の立場から、分かりやすく解説してほしいという声があり、
それほど深く考えることなくこれを始めた。
題材には、迷うことなく【ヨハネによる福音書】を選んだ。
「イエスに最も愛された」といわれるヨハネが、
『初めにことばあり
 ことばは神とともにあり
 ことばは神なりき……』
という、通常の人間では書き得ない深い記述から始めたイエス伝である。
ところが、初回は【ヨハネ】まで入らず、新約聖書全体の冒頭に出てくる
『アブラハムの子ダビデの子……』(マタイ 1・1)
の「アブラハム」の解説で終わった。
続いて、聖書全体の解説も行なった後、
やっと入った【ヨハネ】も、最初の1行の解説にまる一回を費やした。
果たして、これが終わるときは来るのだろうかとやや不安になっていたが、
途中から少しずつ要領を得て、明後日、14日の解説で完結する。
                  
実は、【ヨハネによる福音書】には、いわゆる『あとがき』が二度登場する。
すなわち、一度、筆者はこれを完結させたのであるが、
しかしその後にふたたび書きたいことがでてきて書き始め、
最後に二度目のあとがきを書いた。
最初のあとがきと最後のあとがきの間の部分は、
文体や語法が異なることから、
おそらく実際に筆をとって書いたのはヨハネではなく、
その弟子であったろうと推察されている。
しかしながら、その淡々とした筆致からは、
ヨハネ自身も書かなかったような深い哲学が醸しだされ、
ヨハネが書いたのではないからこそ初めて分かるヨハネの人がらや、
さらには……

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聖なる布6

アッシジの聖フランシスコは洋の東西を問わずあまりに有名であるが、
シエナの聖女カタリナについて知る日本人は少ない。
が、宗教的巨人という意味では聖フランシスコにも劣ることがなく、
シエナとアッシジは北イタリアの二大聖都と呼ばれている。
聖フランシスコ同様、裕福な家庭に生まれたカタリナ(またはカテリーナ)は、
幼いころから見神の体験が始まった。
弱冠7歳のある日、主イエスが現れ、二つの冠を差し出した。
一方の冠は輝く黄金と宝石が散りばめられたもので、他方は茨の冠だった。
どちらを選ぶかと問うイエスに対し、
カタリナはひざまずき、恭しく茨の冠を受け取った。
同時に、自らの純潔を主イエスに捧げることを誓った彼女は、
その後の生涯を深い祈りと瞑想のうちに過ごした。
       
彼女はまた、当時の教会における政治的混迷を救うという使命を与えられていた。
一介の修道女であったにもかかわらず、
ローマ法王グレゴリウス11世は彼女を頼り、結果、
教皇庁はアビニヨンからローマへと戻されることとなった。
さらに続く対立教皇の時代、その仲裁のため尽力したが、
同時に、その深い内的生活においては聖痕を受け、
しばしばイエスやマリアの訪問を受けたという。
聖体以外のものをほとんど口にすることなく、
貧者や病者のために精力的に働き、
自らは望みどおり、イエスと同じ33歳で没することとなる。
彼女と、聖母マリアとの間の問答については……

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聖なる布5

永遠の都・ローマ、花の都・フィレンツェに対し、
トリノはチョコレートの都と呼ばれるということを、
参加者のお一人から聞いた。
http://allabout.co.jp/travel/travelitaly/closeup/CU20090210A/
トリノのホテルでは、チョコレートがデザートに出るのだろうか。
なんとか、チョコレートを買う時間は確保したい。
今回、われわれはこの三大都に加え……

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聖なる布4

十字架から降ろされた後のイエスを包んだ布があったことは、
歴史的な事実である。
その布は、復活の日の朝、墓のなかに残されていたのをマグダラのマリアが見た。
イエスの遺体を包んでいた布なのだから、
当然に、それは誰かが保管し、丁重に扱われてきたであろう。
そしてそこには、何かが写っていた。
私が初めてこの布について聞いたのは、中学の頃だった。
「もし、人類の歴史上、ついに救い主が現れたということであれば、
 神は、その方の姿を何かの方法で残そうとされなかったでしょうか」
司祭はそう言って説明をしてくれた。
実際、この布に関する状況証拠は、すべて、
これが真にイエスを包んでいたものであろうことを示している。
たとえば、この人には「茨の冠」が被せられていたし、
限度を超えた鞭打ちの痕がある。
また、当時は十字架上で亡くなった人の脚を折る習慣があったが、
兵士は、イエスが亡くなっていたのでそれをせず、
右の脇腹を槍で突いたと聖書は語っているが、
この布の人もまた、まさにそのような状況で埋葬された。
布は、2000年前のユダヤ・パレスチナ地方の織り方であり、
その時代の、その地方の花粉が付着していた。
こうして、神が残そうとされた救い主の姿を……

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聖なる布3

聖骸布拝礼に先立ち、われわれはまず、
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見ることになる。
聖書によれば、ユダに裏切られて十字架につけられることを知っていたイエスは、
最後の晩餐の際、弟子たちに次のような言葉を語る。
                           
『まことにまことにわたしは言う。
 あなた方は泣き悲しみ、この世は喜ぶだろう。
 そうだ、あなた方は悲しむ。だが、その悲しみは喜びに変わる。
女は子を産むとき、苦しむ。その時が来たからである。
 だが、子を産んでからはもう、産みの苦しみを忘れる。
 この世に一つの生命が生まれ出たことを、喜ぶからである。
あなた方も今は悲しんでいるが、ふたたびわたしに会うときには喜び、
 その喜びが奪われることはない。
 ……わたしは言う。あなた方が父に求めることは何でも、
 わたしの名によって与えられる。
 今まであなた方は何一つわたしの名によって求めたことがないが、
 求めよ、そうすれば与えられる。そして、あなた方は喜びに満たされる。
 あなた方はこの世で苦しむだろう。だが、勇気を出せ。
 わたしは、この世に勝ったのだ……』(ヨハネ 第16章20〜33節)
聖書にはまた、こうも記されている。
『イエスはまた、こう話し、心中憂いながら言った。
「まことに、まことにわたしは言う。
 あなた方の一人が、わたしを裏切る……」』(同 13章21節)
このとき、弟子たちは、誰のことを言われているのか分からなかったので、
互いに顔を見合わせたとヨハネは書いているが、
まさにその瞬間の様子が描かれたダ・ヴィンチの作が、
『最後の晩餐』だ。
自分たちのうち、誰かが主を裏切ると知ったときの驚き、悲しみ、動揺……。
そして、手塩にかけて育て、愛してきた弟子に裏切られ、
十字架に上げられなければならない愛の人・イエスを、
天才による一世一代の仕事のなかに見てみたい。
同じ日の午後に行く北イタリアの聖地オローパを知っている人は……

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聖なる布2

午後3時頃から日没までの間に、
イエスの体を十分に洗い清め、埋葬することは不可能であったろう。
そもそも作業は、イエスを磔(はりつけ)にした釘を抜くというようなことから
始めなければならなかった。
(実はこの釘は、現在、ローマのある教会に保存されていて、
 4月の巡礼ツアーの際、拝礼させていただくことになっている)
丘の上に立っていた十字架を寝かせて、釘が抜かれ、
イエスの遺体はミケランジェロが想像したように、
おそらく聖母マリアの胸に抱かれたであろう。
聖母はしばし泣き続けたに違いない。その状態から、
すぐ迫っている日没までの間に遺体を十分に洗い清めるなどということはできず、
おそらくは血や汗のついたままの状態で没薬と沈香が塗られ、
布に包まれて埋葬された。
そうして、約36時間が経つ間に、それらの物質の間に絶妙の化学反応が起き、
イエスの姿はちょうどネガのようなかたちで布に写し出されたとされる。
人類が保存する最大の神秘の一つであるこの布は、なんと……

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聖なる布

先月の21日には、『神々の科学』出版記念講演が行なわれ、
会場にいっぱいの皆さんに来ていただいた。
エイトスターダイヤモンドの田村社長にも対談にお越しいただき、
とても楽しい時間を過ごすことができた。
皆さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
その際、皆さんには『黄色い布』を見ていただいた。
さまざまな聖者や神々に予言され、
実際にシヴァ神の聖地で受け取った神秘の布だ。
12月の巡礼旅行のときには、
特に男性の参加者の皆さんの間で、
いわゆる「黄色い布ごっこ」が流行ったそうだ。
いったいどのような角度から、どうやって渡せば、
私にも、周りの人びとにも気づかれず、
黄色い布とその中身を素早く手に握らせて立ち去れるかという、
“シミュレーションゲーム”である。
もちろん、結論など出ようはずもなく、
まことに不思議……ということでいつもゲームは終了したそうだ。
“黄色い布”は、私のこれまでに体験した神秘のなかでも最大級のものだが、
しかし人類の歴史にはなお、神秘な布がある。
いうまでもなく、聖骸布だ。
聖書の記述によれば、
イエスが十字架上で亡くなったのが金曜日の午後であったのは、
ほぼ確実な歴史的事実である。
イエスの死去は、午後3時頃であったと推定されるが、
そうだとすれば、その3時間後には、「特別な安息日」
すなわち過ぎ越しの祭りが迫っていた。
安息日には、ユダヤ教徒たちは一切、仕事をすることができなくなる。
十字架から遺体を降ろすことや、その遺体を清めて埋葬するなどもまた、
例外ではない。
したがって、たまたま安息日に亡くなった人の遺体は、
安息日が明けるまでそのまま放置されたという。
イエスの遺体については……

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黄色い布

それぞれの人に、それぞれの人生を象徴するような品物がある。
それはもしかしたら、
履き潰されたサッカーシューズやバレエシューズかもしれないし、
卒業式の日に先輩からもらった学生服のボタンかもしれない。
恋人からもらった初めての手紙かもしれないし、
あるいは婚約指輪や結婚指輪かもしれない。
それらには、モノとしての通常の価値をはるかに超える、
心や、生命が宿っている。
私のなかのそれは何かといえば、
一つには、読者の皆さんからいただいた手紙。
これは、どんどん量が増えこそすれ、捨てることはどうしてもできない。
自分自身の書いた本。
これもたしかに、私の命の一部だ。
聖者が物質化した腕輪やリンガム。
それは、この世の神秘と粗雑な物資世界を結ぶ接点かもしれない。
サイババが物質化した腕輪はいつも身の回りにあり、
これを十数年間、私が失くさずにきたのはサイババの奇跡の一部かもしれない。
また、聖者ハリ・シャンカラが物質化したシヴァ・リンガムは、
瞑想を教えるとき、または聖典の解説や講演のときには必ず持ち運びするので、
今回の講演にも持参していく。
そして今は、『黄色い布』がそれに加わるかもしれない。
こちらは、シヴァ・リンガムと違い、
今までどこにも持ち出したことはないし、
誰にも見せたこともない。
唯一の例外は、『神々の科学』の表紙用写真撮影のときで、
このときはカメラマンに自宅まで撮りに来ていただいた。
今回の出版記念講演会に先立ち、何人かの方からはこの黄色い布を見せてほしいといわれたので・・・・・・

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旅日記10

12月15日ー1
いかなる巡礼に出るにせよ、
その聖地や聖者・聖女と関わりがあって行くことになるといわれる。
また、そのような旅をご一緒する皆さんは、
それぞれ互いに関係があるともいう。
そのことを思えば、かつて南インドに栄えた大チョーラ朝の都、
ガンガイコンダ・チョーラプラムとわれわれが、
どのような関係にあったかは想像できない。
太陽神の恵みを一身に受けるため、塔頂の尖った珍しいゴープラムと、
シヴァ神に仕える巨大ナンディ(聖牛)がわれわれを迎えてくれる。
また、高さ3メートルにも及ぼうかというシヴァ・リンガムは、
いったいどのような技術で造られたのか、見事という他ない。
通常のアビシェーカムでは、これに水やミルク、
5種類の甘み(パンチャームリタ)や、白檀水等をおかけする。
そのために、この巨大リンガムには、僧侶が乗る足場が組まれている。
このシヴァ神に、今回はお米200キロをお捧げするが、
そのような儀式は私自身も初めて与るものだった。
朝8時半にホテルを出たものの、
雨のため、現地に着いたのは10時だった。
予め、何度も問い合わせた僧侶によれば、
儀式はおおむね12時に終わるはずである。
しばらく待っていると大量のご飯が運ばれてきて、筵の上に敷かれる。
われわれは総出で大きな固まりをほぐし、儀式に備えた。
 
ところで、話は突然現在に戻り……

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