奇跡7

“奇跡”は日々、起きてくる。
日本で、インドで、
スリ・ランカ、ネパール、カンボジア、アフリカ、世界のどこででも。
そのとき皆さんは、自分は関係ないと思っていてはいけない。
皆さんが<プレマ倶楽部>の会員でおられて、
瞑想を習い、セミナーに来て英知を深めると同時に支払われた対価の一部は、
今度はそうした奇跡を生むことにつながっていく。
また、インドにご一緒して捧げた壮大なホーマや、
僧侶に依頼して唱えてもらったマントラは、
日本やインドのみならず、世界の多くの人びとの幸せに貢献してくれる。
そんな皆さんは、たとえば亡くなった後……

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奇跡6

私がアフリカでお世話になっている日本人修道女の一人は、
かつて反乱軍に捉えられ、密林で数カ月を捕虜として生き延びた。
また、別のときには軍が修道院を荒らしにきて、
女性としてこれ以上ないほどの危険と恐怖にさらされたこともある。
実際、そうして望まぬ妊娠をした修道女も現実にいる。
日本であれ、ヨーロッパであれ、
自国にいればおそらく安楽な暮らしを一生送れたであろうに、
彼女らは生涯をこのようにして過ごす。
これから、アフリカに学校を建てることになる。
そのためのさまざまな努力を、過去2年間に行なってきた。
こうして毎年アフリカを訪れることは、楽ではない。
苦しい目や、悲惨な目にもあう。
お金のやり繰りはもっと大変だ。
そのためにジョージ・フォアマンは、
誰もが無謀と考えたカムバックを果たし、実際に世界王座についた。
まさに“奇跡”だ。
もしそれが摂理の一部で、
「学校」が実現したときには……

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奇跡5

「奇跡」とは、通常、自然の法則を超えたなにかの現象をいうものだが、
実はそれが起きるにも、ある程度の法則性があることを、
読者の皆さんはよくよくご存知であるに違いない。
それは、本人たちが努力しているということ、
世界を肯定的に捉えているということ、
そして、(したがって)、環境にも支えられていることなどだ。
映画『ベンダ・ビリリ』を観ていると、
ここに登場するメンバーたちが、
病気と貧困に喘いでいるはずの人生を、
いずれも前向きに捉えていることがわかる。
そういう人に、“運”はついてくる。
もう一つの大事なことは、
こうしたグループが一つ出てくるためには、
やはり社会が全体として底上げされてきている必要もあるということだ。
たとえば、このグループはヨーロッパ人プロデューサーの目にとまったわけだが、
そのためには、ヨーロッパ人がその地に滞在するだけの下地が必要だったに違いない。
また、ベンダ・ビリリのリーダーは小児麻痺で死にかけ、
車椅子の生活をしているが、
彼が実際に死んでいればグループが生まれる可能性もなかった。
翻って、私がアフリカ滞在中、お世話になっている皆さんというのは……

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奇跡4

『豊潤なコンゴリーズ・ルンバの深い味わいに、
 レゲエとファンクのビート。
 どんな逆境にも負けない屈強の魂を持った車椅子の男達。
 大感動のステージを体験せよ!』
アフリカの生んだ新しいミュージック・シーン、
スタッフ・ベンダ・ビリリ日本公演のチラシ文句である。
「ベンダ・ビリリ」とは「外見を剥ぎとれ!」という意味だそうだ。
「内面(の精神)を見よ!」
「外見は不自由でも精神は最大限に自由だ!」
という、彼らからのメッセージだという。
メンバーの多くは、小児麻痺などを患って身障者となったコンゴ人だ。
彼らには、もともと家がない。
キンシャサの路上に生活する、要するにホームレスだ。
生きるだけで精一杯の彼らが、
ある者は空き缶と針金で作った楽器を携え、
別の者は箱と竹で太鼓を作り、
路上で拾ったものから楽器を作って、
誰もいない動物園で練習する。
コンゴリーズ・ルンバから、ソウル/ファンクやレゲエなどの要素が加わった
躍動感溢れるその音楽が欧米人プロデューサーの目に止まり、CDを作成、
ヨーロッパのコンテストに招かれてブレークしてしまったのである。
先日、友人に誘われて、私もそのドキュメンタリー映画を観たが、
こんなことが本当にあるのかと思い、目を見張った。
「もう一つのキンシャサの奇跡」
それが、このグループにつけられた別名だ。
何が“もう一つ”なのか、
多くの人はよくは知らないまま、
映画は今年のカンヌ映画祭の話題をさらっていった。
ところで……

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奇跡3

「キンシャサの奇跡」は、
ジョージ・フォアマンにとってはプロ41戦目での初黒星となり、
これがよほどの衝撃となったのだろう、
結局、彼は28歳の若さで引退する。
後に選んだ職業は……なんと「牧師」であった。
だが、「ジョージ・フォアマン」の類まれな天才を示す事件は、
さらに十数年後に訪れた。
1987年、彼は突如として現役に復帰する。
理由は、青少年の更生施設の建設費用捻出のためだった。
それだけで世界王者よりも意義深いと思ってしまうが、
世界中から「年寄りの冷や水」と冷笑された。
ところが、並みの天才ではなかった彼は、
94年11月、WBA・IBF統一世界ヘビー級王座に挑戦し、
なんとこれをKOで奪取する。
「キンシャサの奇跡」から実に20年、
45歳10カ月はもちろん、階級を問わず、史上最年長世界王者であった。
この後、48歳10カ月で敗れるまで現役を続けた彼は、
まさに「不世出」の名に値する。
ちなみにこの時期、日本のアントニオ猪木は……

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奇跡2

「ジョージ・フォアマン対モハメド・アリ」
“Rumble in the Jungle(密林の雷鳴)”は、
74年10月30日に行なわれた。
アメリカのゴールデン・タイムに合わせ、
現地キンシャサは夜中の3時であった。
高校一年だった私は、寮でテレビを観たが、
誰もが予想したとおり、試合は最初からアリの防戦一方だった。
ロープに追い詰められ、いわゆる“サンドバッグ”状態である。
両腕で必死にブロックするも、
ボディーや顔面にヒットするパンチもあり、
KOは時間の問題のように見えた。
そんな展開が7回まで続いた後の8回、
しかしわれわれは、信じられない光景を目にすることとなる。
突然、ロープから身を翻したアリが右ストレートを放つと……

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奇跡1

このブログでは、過去、さまざまな奇跡をご紹介してきたが、
今回はボクシング史上伝説に残る“奇跡”と、
それとはまた違った形の、しかし同じ名前のついた“奇跡”もご紹介したい。
ボクシングなど関心ないという読者の皆さんも、
少しだけお付き合いいただきたい。
最初の奇跡の男の名は、ジョージ・フォアマンという。
ボクシングファンなら、知らない者は一人もいない。
1968年、メキシコ・オリンピックで金メダルを獲得し、
翌年、プロに転向するや13連勝を挙げ、うち11KO、
翌年は12連勝で、うち11KO。
要するに、天才であった。
当時のボクシング界は、
兵役を拒否し、不敗のまま3年も服役した元王者モハメド・アリと、
アリ不在中に王座に就いていたジョー・フレージャーの時代であった。
モハメド・アリは、復帰後、フレージャーのもつ世界王座に挑戦するが敗れ、
ヘビー級の新星ケン・ノートンにも続けて敗れた。
しかもそれは、顎の骨を砕かれるという屈辱付きであった。
ジョージ・フォアマンがその天才を如何なく発揮したのは、そんな時代だ。
彼は73年、
アリを倒して不動の王者として君臨していたジョー・フレージャーに挑戦するや、
これをたった2ラウンドであっさりKOしてしまう。
続いて、「アリの顎を砕いた男」ケン・ノートンも同じく2ラウンドでKO。
この試合を観たときの驚きを、私は今も忘れない。
「モハメド・アリの顎を砕いた男」が、
気がついてみたらまるで赤ん坊のようにマットに寝転がっていたのだった。
同じ年の9月、日本武道館で行なわれた統一世界ヘビー級王座防衛戦は、
前座が日本人の出場するスーパーフェザー級の世界戦、
それに沢村忠のキックボクシング公式試合も特例で開催されるという豪華版となった。
が、これらの前座があってよかった。
ヘビー級世界戦の相手はジョー・キング・ローマンといって、
この名前を私は今も覚えているが、

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総括

自らを省みて理性の欠如に悩む私は、
もしもこの世に完全な理性をもった人間がいたならば、
彼(または彼女)はどんなに幸せであろうかと、
想像を巡らしたものだ。
中学・高校のとき、三年上の先輩に、それに近いようなひとがいた。
彼は、どんな数学の問題を出されても、
躊躇することなく答えを書き下したといわれる。
消しゴムを使うことがなかった。
そんな人ですら、「完全な理性」を持っているわけではもちろんない。
実際、彼も数学の新分野を開拓するために、
日々考え、悩みながら、東大教授を務めておられるのだ。
(実際、数学科の別の教授が、頭を叩きながら、
「おれはなんて馬鹿なんだ!」
と、悩んでおられたのを見たことがある)
【バガヴァッド・ギーター】第二章で、しかしクリシュナ神はアルジュナに、
理知、すなわち完全な知性にまず到達して、
それから行動することを命ずるのである。
さて、理性以上に感性の欠如に悩んできた私は、
完全な感性を持ち合わせた人はどんなに豊かであろうかと、よく想像したものだ。
しかし現実にはそんな人はいなくて、
感性の豊かな人も、さまざまな悩み・苦しみから逃れることができない。
いやむしろ、そういう人ほど、
“豊かに”悩んだり苦しんだりするようにも見える。
神々の王・インドラが肉体をもって化身したとき、
彼は地上最強の戦士アルジュナとなった。
なおかつ彼は、人間として最高度に進化した理性と感性を兼ね備えていた。
が……それでもなお、または、だからこそ、
彼は自らの行動に悩んだのである。
苦悩するアルジュナに対し、クリシュナ神は【バガヴァッド・ギーター】第二章で、
“完全な”答えを語る。
しかしアルジュナはなお、すべてを理解することができず、
第三章冒頭で、『あなたの言葉は矛盾している』と、
クリシュナ神に対して問うたのである!
それに対するクリシュナ神の答えは、
第二章を含み、それを超えて完全だった。
今回は、その後に私自身が得た新たな知見を加えながら、
これまでの全体をおさらいし、
前回、十分には解説できなかった第三章最後の数節も解説したい。
(……が、例によって、内側からいろいろな解説が次々出てきてしまったときは、
そこまでたどり着けない可能性もある< (_ _)>
いずれにしても、これまでずっと聴いてきてくださった方、
とびとびにしかおいでになれなかった方、
これからギーターの解説に来ようと思っている方、
どなたにとっても充実した時間にしたい。
ところで、12月にインドで行なわれる壮大な儀式の……

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精髄

帰国してすぐに予定されている<木曜くらぶ>のために、
旅行中も聖書を持ち歩き、
いわゆる『山上の垂訓』の部分を読んだ。
アフリカの修道院に住んだときも、
朝6時のミサの際、ちょうどこの部分が朗読された。
苦しい旅の間、何度も読み返しながら、
イエスによるこの言葉は、
この世に、いまだ悟りを啓けないままで生きるわれわれに対する、
愛と慈しみの結晶だとしか思えなくなってきた。
肉体をもって相対界に生きることは、困難を極める難事業だ。
旅行中に、どれほどの悲惨を見てきただろう。
帰国して数日の間にも、どれほどの悲しみに接しただろう。
悟りを啓き、すべてを超越した神人(かみびと)は、
おそらくすべてを完成する前の感覚や印象をお持ちであったのだろう、
苦しみ、泣く者のための言葉を残してくださった。
大聖賢ヴィヴェーカーナンダをして……

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とき

ときの流れが速い。
速すぎる。
インド、フランス、アフリカに旅立つ今回もまた、
眠ることなく出立の朝を迎えた。
予言のなかで聖者が指示されたとおりの、
儀式、その他の活動を行なう旅だが、
それにしても、この3カ所を一どきに組み合わせるのは至難の業だった。
それぞれに相手のあることであり、
また、儀式一つ行なうにも適切な星回りがあったりするので、
すべての条件を満たすのは複雑な多元連立方程式を解くようなものだ。
しかしそれでも、聖者がこれらをこと細かに指示されたということは、
不可能に見えてもどこかに解があるはずということでもあり、
今回もその例外ではなかった。
今からインドに向かい、
フランス、アフリカの仕事をすべて終えて夜中に帰宅すると、
翌朝から二日間の講演である。
その翌週は久々に行なう<Art4>と、<木曜くらぶ>、
翌月は「生命の科学? アーユルヴェーダ・基本のすべて」と、
そしてついに今年は<Art5>を教える運びとなる。
特に、一昨年から教えている<Art4>は、
皆さんからよせられる感想も、瞑想の体験も圧倒的で、
さらに今回、
これをアップグレードする<Art5>ではどうなるのかと私自身の胸が騒ぐ。
ところで、(年中予定がぎっしり入っている)先生には、
休みという概念はないのですかと聞かれることがあるが……

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