誕生日3

ただしこの方には、さらに不思議なことが多々あって、
たとえば、常に“しもべ”となる同級生が付き従っていたという。
この“しもべ”も同じ大学の学生であったが、
彼は常に“あるじ”の身辺を警護し、
授業の際には代返をし、昼御飯を買ってくるなど使い走りをした。
あるじが試験を失敗したときですら、
それは自分が風邪をうつしてしまったことが原因で、
本人には何の落ち度もなかったので、
特別に単位を与えて欲しいと担当教官に訴えたという。
これを経験した教官から直接聞いた話では、
それは直訴というよりは談判で、
危うく単位を出そうかと思わせるほどの迫力であったという。
私立大学医学部ならともかく、国立大学においては信じがたい話であるが、
実際、そのようにしてその人は大学に入学し、卒業していかれた。
高校卒業時から、年齢を詐称するなどということが可能であったのは、
彼がある巨大教団の教祖の子息であり、要するに、
自分たちの所有する高校に願書を書かせたからできたことのようだが、
もとよりそうした離れ業が……

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誕生日2

「早生まれは損」の感覚は、
中学・高校時代に入ってから多少は薄らいだが、それとは別に、
当時、なんとかして大学に早く入学できないものかと思った時期があり、
さまざまな方法を考えた。
決して効率的とはいえない高校は辞めてしまって一人で勉強し、
大学入学資格検定=「大検」なるものに受かってしまえば、
大学に入れるかと考えたりしたのであったが、
結局、それらはすべて無駄であった。
法律の文言のなかに、
大学には満18歳になった日以降でなければ入れないという一文があったのである。
 
ところが、人間の作った法律には常に抜け道があるらしく、
大学に入ってずいぶんしてから、先輩のなかに特異な方がおられたことを知った。
現代の都市伝説、ならぬ大学伝説のようなそのことを知ったのは……

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誕生日

当り前のことだが、人は一年12カ月のうちの、どこかで生まれている。
そのうち、1月から3月生まれの人は、
わが国では「早生まれ」と呼ばれる。
この人たちは就学時、前年の4月から12月生まれの人たちに組み入れられるので、
本来は「遅生まれ」と呼ばれてもよさそうなものだ。
たとえば小学校入学時、
4月生まれの人が生後83~84カ月を経過しているのに対し、
2月生まれの人間はまだ73~74カ月しか経過していない。
したがって、「早生まれ」と呼ばれるにもかかわらず身長も低いことが多く、
身体能力も、学力においても、
最初から相対的に不利な立場に立たされる。
「年」の区切りが12月末に訪れるのに対し、
「年度」の区切りが3月末に訪れることによる、避けがたい結果であろうが……

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誓約・復讐・愛……

高校一年の冬、洗礼を受けたとき、
今では大変簡便な日本語で行なわれるその式を、
当時大木神父がすべてラテン語で執り行なわれたのを思い出す。
そのとき、神父は聞かれた。
『悪魔の誘惑を退けますか?』
それに対し、私は「退けます」と答えたのであったが、
もちろん何の躊躇いもなかったわけではない。
本当に退けられるかどうか、自信満々であったわけもない。
すべての受洗者が、必ずそう答えるのだが、
このときもし、本当に正直に、
「うーーん、そのときになってみないと……」と言ってしまったとき、
洗礼式はどうなるのだろうか。
教会で結婚式を挙げれば、必ずあの有名な文言が登場する。
『富めるときも貧しきときも、健かなるときも病めるときも、
 変わらぬ愛を誓いますか?』
そう聞かれ、
「うーーん、それはその場になってみないと……」
と言い淀んだとしたら、そしてそのほうが実際、正直な態度ではあるのだが、
そのとき司祭はどうするのだろうか。
修道院に入るともなれば、誓約はさらに壮大となる。
清貧・貞潔・従順という、どれ一つをとってみても、
普通ではあり得ないような徳を、三つまとめて神に誓うのだ。
新約聖書のなかでももっとも分かりやすく、
面白いといえる【マタイによる福音書】。そのなかでも、さらにもっとも有名で、
かつ興味深い『山上の垂訓』の場面の解説を、現在淡々と進めている。
前回、ローマ・カトリックが離婚を一切認めないという話は、
宗教的戒律と社会的規律、法律、そして自然法との兼ね合いから、
あまりに多用な議論へと発展し、興味がつきることがなかった。
今回は、それにも増して興味深い部分を扱う。すなわち、
イエスは、『一切、誓約など行なってはならない』という、
驚くべき命を下しているのである。
さらにはまた、続けて言う。
『右の頬を打たれたなら、左の頬も向けなさい』
『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』
これらを、通常の世界観の範囲内で理解しきるのは難しく、
必ずどこかで自己矛盾に陥ってしまう。が……

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東洋の聖書

4年になんなんとする月日をかけ、
東洋の聖書【バガヴァッド・ギーター】の第3章まで解説が終わったあと、
ご要望があったので第1章から第3章までの復習を行なっている。
とはいえ、その“復習”は2回か、せいぜい3回程度で行なうつもりであった。
ところが、実際に始めてみると、今までお話ししていないこと、
今までの解説と違う表現で説明したいことが多々現れ、
“復習”も今回が4回目である。
そしてついに、【バガヴァッド・ギーター】の“ハート”第2章のうちでも、
もっとも重要な数節に進んでいく。
実はこれらの詩節、前回解説できると思ってブログを書いたのであったが
(2010年11月12日)、
実際に話してみると、ちょうどその直前で終わったのであった。
仕切り直して、今回こそ、このハートのなかのハートに踏み込む。
準備をしていると毎回思うことであるが、
これほどのものを残したクリシュナは、やはり神の化身であったと言う他はない。
そしてそれを最初に吟唱したヴェーダ・ヴィヤーサは、
まさにヴェーダの化身である。
少年の頃、ヴェーダのすべてをマスターし……

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腕輪10

年末に腕輪シリーズを書き、
12月11日、最後の一回をアップしてから成田に向った。
インドから帰国したのは12月23日。
翌24日、ある方のパリハーラムのために地方に出、
年老いた両親にも会って、帰京したのは26日深夜。
その後、年が代わる直前まで一生懸命に仕事を続けたが、
うっかりしている間に新年になっていた。
メルマガと、かわら版の読者の皆さんにはうるさいだろうが、
ブログだけの読者の皆さんには、
大変遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。
ところで、旅行に出発する直前に書いたように、
「美しい紫色のランの花束のなかに、
 花に絡まれるようにして腕輪があった」
そしてこの花を持ち帰り、腕輪を見つけてくださった方から、
最近お便りがあった。
あのときのランが、未だに咲いているというのである。
一緒に、添付のような写真が添えられていた。
腕輪が見つかった時点からひと月半余り、
写真をみれば、ランはいまだに咲いて、つぼみもつけているように見える。
この方はどんな神秘な思いをもって……

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腕輪9

美しい紫色のランの花束のなかに、
花に絡まれるようにして腕輪があった。
それは、いつか本で見た、サイババの腕輪のようだとその方は言われた。
表にはサンスクリット語でOhm、
内側にはアルファベット表記でOHM SAI RAM、
その他、特徴をうかがえば、たしかにあの腕輪に違いないことが分かる。
だが問題は、それが入っていた花束だ。
それはたしかに、当日の朝、
儀式にあずかる方の一人がお持ちくださったものだった。
果して、そんなことがあるのか……。
いったいいつ、どうやってそれは現れたのか。
さまざまな場所に電話し、一緒に探しにも行ってくれたスタッフは、
実はこれを秘かに隠し持っていて、
儀式のとき、誰にも気づかれないようにそっと花束のなかに入れたのか。
だが、そのうちの一人にさりげなく打診してみたが、
彼女はただ当惑して笑い出すばかりだった。
目の前でさまざまなものを物質化するサイババが、
遠く離れた場所に何かを物質化しても、
それは決して不合理とはいえない。
実際、世界中にあるサイババの写真から金やヴィブーティ、蜜が出ている。
現実に今、私の手許に戻ってきた腕輪に触れてみれば、
それは硬く、重みのある、金属独特の感触がある。
全身で感じることのできるその物質的な感覚が、
逆にことの神秘性を教えてくれる。
そう考えれば、私たちが今こうして肉体をもって息づいていること自体が、
さらにかけがえのない奇跡のように私には思えてくるのであるが、
それは今、夜を徹して一睡もしないでいるからだろうか……。
ところで……

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腕輪8

神聖な物品や護符は、
その役割を終えると消えてなくなることがあるという。
一度、アガスティアの葉のなかに、
『こうしてできた護符は、ときがきたとき、
 他の誰も手を触れないケースから、消えてなくなるだろう……』
と予言されていたことがあった。
サイババの物質化したものについても、そんな話をよく聞く。
今回のこの物語も、そのようにして終わるのだと、私は覚悟を決めた。
あらゆるところを、探し尽くした。
スタッフや、周囲の人びとを巻き込みながら、
できるだけのことをした。
最後にこうして儀式を捧げて腕輪の歴史は終わり、
新しい会社の歴史が始まったのだ。
そう思い、執着から解放されようとしたその日……

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腕輪7

かねてより、
『おまえの仕事について、特別に書かれた予言が出てくる』
と予言されていたことは、いつも頭のどこかにあった。
それは例外的に、誰が書いたものか書かれておらず、
いつ頃出てくるかについても言及がなく、ときが過ぎていった。
秋口になって、それは唐突に出てきたのであるが、
10月22日、結果的に会社の設立されるちょうど一カ月前のことだった。
聖者カードゥヴェリによるその予言には、こう記されていた。
『新しい事務所でナーディ(予言)のプージャ(儀式)を行ないなさい
 その場所を輝けるものとするように……』
ちょうど、
【アガスティアの葉】を読んで儀式を捧げなければならない方が数人いたので、
聖者カードゥヴェリに言われるまま、
11月23日のサイババ誕生日にそれは行なわれた。
スタッフが手弁当で参加してくれて、
予言の葉の儀式に与らなければならなかった数名の方が、
花・果物・お菓子その他のお供えものを持参してくれた。
経済的に、広い場所を借りられようはずもなく、
新しい事務所は大変手狭なので……

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腕輪6

ところで、何年も前から、私について書かれた聖者や神々の予言のなかに、
新しい会社を設立するようにという言葉が現れるようになっていた。
今、過去の予言をひもといてみれば、
たとえば2006年5月7日には、すでにシヴァ神の言葉として、
『新しい会社の設立は、遅れていくだろう』
という予言がある。実際、
『(新しい会社を始めるには)
 これから来るタニの月(2007年1月14日~2月14日)、
 またはチットライの月(同4月14日~5月14日)の間が望ましい』
という言葉があったが、
私はどうしても、そのとおりにすることができなかった。
聖者や神々の書かれたことについては、
たとえば瞑想を教えなさいとか、他の方の予言を読みなさいとか、
何年も回避しようとあがき、結果として実行が遅れたことはある。
しかし、日取りまで勧められていたのにそのとおりにしなかったというのは、
後にも先にもこれだけではなかろうか。  
新しい会社名アート オブ サイエンスは、私が考えたものではあったが、
しかし他にも魅力的な社名がいくつかあり、悩んでいた。
2007年1月25日には、聖者テーライヤの予言のなかに、
次のような文言があった。
『チットライの月が始まって(4月14日)10日が経って以降、
 おまえにとってのよい日が訪れる。
 望むように、仕事を始めたほうがよい。
 どの名前がよいかを、わたしが教える。
 その名前には、Science と Artが入っているほうがよい。
 その名のもとに、成功が与えられる』
この一言で、名前について、他の選択肢のすべてが消えた。
さまざまな紆余曲折を経て……

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