想念

しばしば、敬虔な夫の妻は神さま事が嫌いであったり、
敬虔な妻の夫は、妻の信仰を禁じたりするものだ。
そうした場合、それぞれに葛藤や、摩擦が起きたりするものだが、
稀に(とあえて書くが……)、御夫婦そろって敬虔であったり、
さらに稀には、一家で瞑想を楽しまれたりというご家族もおられる。
宮城県亘理の高橋夫妻は、そんなご夫妻だった。
先に瞑想を習いにこられたのは奥さまの佐予子さんのほうで、
4年前のお正月だった。
とても感性の豊かな方だったという強い印象を、今も忘れずもっている。
講座中、最後の瞑想の後で、
「いつまでもこうしていたかった……」という感想を述べられたが、
同期の受講者のなかに、結婚前の名前が彼女と同性同名という方がおられたりして、
驚いたのもついこのあいだのことのようだ。
ご主人の直実さんも、少し遅れて瞑想を習いに東京においでになった。
純朴な感じの方で、
ご夫妻を一緒に拝見したわけではないのに、
とてもお似合いのカップルだということはすぐに分かった。
今まで1000人を越える方々に直接瞑想を教えてきたが、
なぜか、私はこのお二人ともよく覚えているのである。
震災があって、毎日のようにお二人に電話をし続けた。
ネット上にも、安否を気づかう書き込みがあった。
が、大変残念なことに、
一昨日、ご主人の高橋直実さんはお亡くなりになったという警察発表があった。
本当だろうか、情報は混乱しているに違いない、
じきにまた、そうではないという情報も流れるかもしれない……
そう思って二日待ったが、今のところ、この発表は変わらない。
人は、どんな人生を送ったにせよ……

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震災3

震災の当初、心配された東北地方の方が無事でおられることが次々分かり、
原発の状況はともあれ、どこか安心しかかっていた。
なかなか電話のつながらなかった方も、
つながってみればひょっこり無事という方もおられ、嬉しさを隠せなかった。
しかし、実際にお話ししてみたら、無事ではなかった方もおられた。
家が流され、ご家族4人は行方不明……
瞑想をお教えしたある方のそんな言葉を耳にしたとき、
ただ絶句する他なかった。
ご本人だけは、地震のとき、外に出ていて無事だったという。
普段はテレビや、新聞のなかの出来事が、
突如として目の前にあった。
知人のなかに、神さまが好きではないという人がいる。
自らの許容力を超えるほどホームレスの皆さんを援助し続け、
ありとあらゆる生き物を慈しんでこられたその人は、
ご自分も決して楽ではない人生を歩んできたにもかかわらず、
いつも明るい。
どんな人にも、どんな生き物にも優しい。
しかしその人は、神さまだけはあまり好きではないという。
このようになると知りつつ世界を創造し、
多くの生命を苦しむままにしておかれる神さまは……

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震災2

『何ものにも愛着を抱かず
 善を得て狂喜せず
 悪を得ても嫌悪しない者
 そのような人は理知を確立している』
    (【バガヴァッド・ギーター】第二章・詩節57)
つい先月も、こうしたクリシュナ神の言葉を、われわれは普通に読み、解釈し、
聖典を学んだと思ってきた。
『執着を捨て
 ヨーガに立脚して行動せよ、富の征服者よ
 成功にも失敗にも等しく対処せよ
 なぜなら、心の平静がヨーガと呼ばれるから』(同 48)
……と、クリシュナ神は語る。
しかし今回のような事態に直面し、
その体験の度合いは人それぞれであるにせよ、
私たちはこうした聖典の文言を真に生きることの難しさを学ぶ。
難しいというより、それはできないのである。
真に悟りを啓くまでは。
それまで、われわれはこうした“目標”を掲げ、
そこに向って進化していく他はない。
震災以来、ずっと行方不明であられた会員のお一人が無事であることが、
つい先日判明した。
電話でお話してみるとお元気で、
電話やメールはつながらず、ご自宅にもあまり帰れていないけれども、
職責を全うしておられることが分かり、嬉しかった。
一方、行方のまったく分からない方があと二人おられる。
ご一家四人のうち、お子さん一人だけの安全が確認できたが……

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震災

このたびの震災にあわれたすべての皆さまに、
謹んで、心よりのお見舞いを申し上げます。
また、会員の皆さまに関しましては、
この数日、私自身個別に情報収集に務め、
多くの皆さまのご協力もあって、
東日本にお住まいのほとんどの皆さまが無事でおられることが分かりました。
逆に「無事ですか」とのお問い合わせメールを数多くいただき、
大変恐縮するとともに、そのすべてに返信したつもりですが、
仮に返信洩れがありましたらお許しください。
会員の皆さまのなかでいまだ行方の分からない方、
大きな困難に逢われている方をご存知の皆さまは、
info@art-sci.jpまでお知らせください。
また、ご無事の方も是非、その旨お知らせいただければ幸いです。
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「万難」の次に「震災」をブログに書かねばならなくなるとは、
もちろん私も思っていなかった。
しばらくの間、ブログが掲載できなかった理由は他でもない、
まったく時間がなかったからだ。
特に週が明けてからは連日、聖者の指示により、浅草や鎌倉に行っている。
指示は突然に出てくるのであるが、
この時期、他の皆さんになるべく迷惑をかけないよう、
できる限り当事者とのみ迅速に移動し、
速やかに帰還するよう務めている。
普段ならば週に一回か二回、心楽しく、静かで敬虔な小巡礼の旅となるが、
今は心引き締まる思いだ。
聖者は明らかに、この時期、浅草や鎌倉などの聖なる地で、
より密度の濃い瞑想をするよう指示しておられるわけだが、
これから分かるもう一つのことは、
少なくとも現時点では、こうして動き回っていても大丈夫だということだ。
もし、そんなことをしてはいけないということであれば、
必ずそのような指示がでるだろう。
そのときは、個人情報を保護した上で、このブログに速やかに掲載するが、
私自身は依然、そのような事態には至らないだろうと思っている。
こんなときには、さまざまな噂が飛ぶものだ。
そのなかには、いわゆる“流言蜚語”の類から、
多数の、善意のものも含まれる。
もっとも人気のある、古典的な言い方は……

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万難

日本語に“万難”という言葉があるように、
世の中“難”だらけである。
われわれの住むこの国の根幹は、一つは財政、もう一つは安全保障であろうが、
両者ともに困難をきわめる。
それは、通常の「困難をきわめる」という言葉を超えたレベルで、
困難をきわめているようにも思われる。
個人個人の生活もまた、同様だ。
人間の霊性、この世界の精神性を探求したいと願う心は、
進化した人が必ず強く抱く願望であるが、
しかしそこには、
「そんなわけの分からないことしててどうするの、あなた!」
という言葉が常に投げかけられる可能性に満ちている。
今、それを女言葉で書いてみたが、
同じことを女性が言われることのほうが多いであろうことは想像に難くない。
<Art4>の会場にSHOさんの姿を発見したときの内心の驚きはなかった。
なにしろ、<Art1>のときから、
奥方にはある“書類”を提出しておいでになっていたと聞いていたからだ。
だが、私自身、たとえば過去一週間のうち5日間は唐突に遠出をせねばならず、
残った二日間のうち一日は<木曜くらぶ>、
飛行機が雪のため飛ばないという状況が起きたり、
山手線に乗れば人身事故のため電車はしっかり止まった。
新幹線に乗るのも、最後の数分とか、
ひどいときにはベルが鳴っている最中に駆け込んだりするものだから、
飛行機が飛ばなかったり電車が止まったりすれば、
ぎりぎりで命脈を保っていた予定は当然に破綻する。
そんなこんなでSHOさんとは、
一度か二度、目と目があって会釈する、ということしかできなかった。
大変に申し訳ないことだったと思い、
後から大いに自責の念に苦しむこととなったのだが、
しかしそうした状況は、実はわれわれに共通のことであるに違いない。
古来日本人の男は、
いや女ももちろんそうだが、
いつも時間をやりくりして、
労力や精神力の多くを人のために費やし、
しかし相当に文句を言われ、誤解をうけ、
弁明することもしないで最後には、
心身ともにぼろぼろになりながらこの世を去っていった。
このパターンは、わが国においては“健在”だ。
そう考えてみれば、
あの日SHOさんと交わした目線は……

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誕生日8

現在、瞑想をお教えした皆さんの多くが、
その英知を与えてくれた国においてそれぞれに儀式を捧げ、
チャリティを行なっている。
この日は、孤児院の食事に加えて、ティルヴァンナマライのシヴァ神、
パラニ山のムルガ神、ティルチェンドールの同じくムルガ神、
チダンバラムの女神カーリーらに特別な儀式を捧げるよう、
アレンジしてくれているという。
それらは私の名前で出してくれるというので、私は、
私の周囲で現在苦しんでいる人の名前をまず吟唱してもらえるようお願いし、
個別の名前を彼らに告げた。
これらの儀式の功徳が……

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誕生日7

帰ってから、数名の皆さんと自宅祭壇で礼拝の続きを行なっていると、
突然インドから電話がかかってきた。
昨年の12月、旅行中に貧しい皆さんのための結婚式を出したとき、
お祝いに来てくれた孤児院からであった。
あれあれ……と思っていたら、
「これから先生のおかげで皆、特別な食事をします」
 そう言って、食前の祈りと、感謝の言葉の唱和を電話で届けてくれた。
 続けて子供たちが電話口で代わる代わる、
「おめでとう、アオヤマおじさん!」
「ありがとう、ディーパックおじさん!」
などという。
彼らが私の誕生日に特別な食事ができるようにと、
インドの友人たちが手配してくれていたのだった。
なかには声を聞くだけで即、顔が思い浮かぶ子もいて……

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誕生日6

2月12日を迎え、この日も淡々と通常の仕事が始まった。
毎年、この時期は瞑想をお教えした皆さんお一人おひとりと
きわめて深い時間を過ごすが、
この日も何人かの方と一緒に浅草に行くことになり、
浅草寺で聖観音菩薩と不動明王、そして愛染明王を礼拝した。
その際には、スタッフも連れていって食事をさせなさいという指示があったので、
日頃から何かしてやりたいと思っていたスタッフに対して、
ちょうどよい機会となった。
もともと、インドには、自分にとっての慶事があったら、
なにかをもらうこともあるが……

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誕生日5

人生も中盤を過ぎると、
まるで人の足元を見透かすかのように、
ときはますます大胆に経過していく。
ぼやぼやしている間に1年、また1年と過ぎていくのであるから、
当初、大きな違いと感じられた1年、2年、まして数カ月など、
実に、誤差の範囲内であったことに早晩気づくこととなる。
この時期誰もが、自分のやりたいこと、やらねばならないと思うことを、
いまだ成し得ないでいるという感覚を、多かれ少なかれ持っているに違いない。
自分はそうではない、常に充実感と達成感に満ち満ちた人生だという人がいたら、
彼は幸福な人だ。
そういうわけだから、華やかで美しい年の暮れも、
人は多かれ少なかれ焦燥感を感じて過ごすこととなる。
クリスマスや大晦日を一人で過ごすなどということは、
よほど内省的な人でないかぎり避けたいものだろうが、
昨年末、聖サバリ山から帰ってすぐ、
私もまたそうした事態に陥ったのであった。
これをなんとかやり過ごすには仕事をする他に方法はなく、
大晦日も夜の11時59分まで仕事をして少しだけ癒された私は、
(つきあわせてしまったスタッフには申し訳なかったが)これに味をしめ、
今回の誕生日も同様にして過ごそうと考えたのであった。
そもそも、「年」が代わっただけで多少のショックを受けているのに……

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誕生日4

昨日たまたま観たニュースのなかで、
中国のメダリストのなかには、
年齢を詐称している人がかなりいるのではないかということが報道されていた。
具体的な名前も何人か挙がっていたが、
特に女子のフィギュア・スケートや体操競技の場合、
体重が軽ければ軽いほど有利だ。
一日のすべてを技術の習得に費やせば、
才能のある子なら若くして、というより幼くして、
きわめて難度の高い技を習得するだろう。
しかる後、年齢のほうは協会や国家ぐるみで詐称し、
オリンピックやその他の国際大会に出場させることとなる。
そもそも、中国の農村部などでは、戸籍がはっきりしない人もいるだろうから、
その場合は詐称もなにもあったものではない。
それについては、インドもまた同様である。
かつて浅田真央が、グランプリファイナルで優勝しながら、
オリンピックに出られなかったことがあった。
年齢が、二カ月足りなかったからだ。
それでも彼女は、
「気にしない。もっと力をつけて、
 次のオリンピックでメダルをとる」
と言い、本当にメダルをとってしまった。
ただ、その色が金ではなかったことで、
(4年前に出られていれば……)という思いは残ったかもしれない。
あと二カ月、早く生まれていればとファンは思うかもしれないが……

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