ダルマ(番外編)

しばらく雨が続き、台風もきて、東京も盛大な雨となった。
薄明かりがさして、晴れてきたと思っていたらまた大雨となり、
視界がはっきりしなくなるようなことを経験すると、さすがに驚いてしまう。

そんななか、鬼怒川では川が氾濫して洪水になったということは知っていたが、
昨日、たまたまテレビを見て、こんな状況だったのかと驚いた。
考えてみれば、溜まっていく一方の新聞をやめてかれこれ二年、
これでテレビも見ない時間が過ぎれば、世間で何が起きているのかは分からない。
昔の学者さんで、日露戦争が起きているのを知らなかった人がいるという話があるが、
気づかないうちに、私もその状態に近づいていたのだろうか。

そんなことを書いていたら、今突然、下から突き上げるような揺れが来た。
ドドンッ! という縦揺れの後、続いて横揺れ。
これは大きいと思い、思わず祭壇の神像が倒れないように抑えに行った。
幸い、揺れはすぐに収まったが、
東日本大震災ではこれがますます大きくなって何分も続いたのかと思うと、
そのときの皆さんの恐怖が思い浮かぶ。
次の洪水、巨大地震、津波、噴火、
そうしたものがいつあってもおかしくはない時代なのだと、あらためて認識させられる。

ところで……
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ダルマ8

小泉内閣発足時の支持率は、最も低かった朝日新聞社調べで78%、
最も高かった読売新聞社調べでは実に87.1%を記録した。
これは戦後の内閣として歴代最高であり、
あれほどのブームとなった鳩山内閣も抜けなかった。
「構造改革なくして成長なし!」
「私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力だ!」
そう言い切る小泉の姿勢は分かりやすく、政権運営は小泉劇場と評された。
しかし、その真骨頂は、政治生命をかけた、後の郵政選挙のときに訪れる。

「(郵政民営化の)基本方針は絶対に変えない。ちゃんと理解しておけ。
 自民党はとんでもない男を総裁にしたんだ!」
そう言い切る小泉に対し、利権にどっぷり浸かったいわゆる郵政族議員は、
採決に造反して対抗した。
衆議院では、わずか5票差で可決されたが、
その結果を見た小泉が笑ったのを見て、私は唖然としたものである。
自らの使命と任じ、国家の行く末にも関わる、この厳しい戦いを、
小泉はまるで楽しんでいるかのように見えたのだった。

続く参議院では、とうとう造反議員が数を制し、可決はほとんど困難な状況であった。
それ対して小泉は、「(参議院で否決された場合)衆議院を解散する」
と脅しをかけたので、反対派ははますます姿勢をかたくなにし、
本会議での可決は絶望的となった。

衆院解散、総選挙となってはたまらないと思った森喜朗は、官邸に小泉を訪ねた。
「衆議院を解散するなら、オレは森派会長を辞める」
国民的にはまったくの不人気であったとはいえ、いまだ派閥の領袖であった森は、
自分の言うことなら小泉は聞くと思ったのだろうか。だが……
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ダルマ7

小泉は組閣にあたり、派閥の推薦を受け付けなかった。
閣僚・党人事を総理・総裁が自分で決めるということは、制度上は当たり前のことだが、
しかしそれは実際のところ、政治的な天才・小泉にしかできないことだった。
つまりそれほど、日本の政界は派閥でがんじがらめだったのである。
弱小派閥の領収であった盟友・山崎拓を幹事長に起用する一方、
最大派閥・橋本派からは党三役を起用しないという、
これも当時では考えられない“離れ業”である。
民間からは竹中平蔵を経済財政政策担当大臣に起用し、
慎太郎の息子・石原伸晃を行政改革担当大臣、
5人の女性を閣僚に任命したが、
そのうちの一人は、論功行賞による田中眞紀子(外務大臣)であった。
小泉は当初、田中には文部大臣のポストで報いるつもりであったが、
田中がそれでは納得しなかったのである。

一般に、この世界では、「ポストが人を造る」といわれる。
最初は力不足と思われても、そのポストについて精進・研鑽を積むならば
それなりに格好がついていき、人間も育っていくという意味である。
しかし田中眞紀子の場合、そのような法則性をはるかに超えた人材だったらしく、
就任後は終始小泉を悩ませ、足を引っ張ることとなる。
はるか後、自民党を離党した田中は民主党政権下で文部科学大臣となるが……
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ダルマ6

小泉純一郎が国民の前に颯爽と登場したのは、
2001年、あまりも不人気であった森喜朗首相の退陣後の自民党総裁選であった。
当時、依然として自民党を半ば支配していた平成研究会(旧経世会)から、
橋本龍太郎が立つことが確定していた。
橋本は、すでに一度総理大臣に就任(1996年)、行財政改革を志したが、
二年後、財政再建を急ぐあまり景気の腰折れを招き、志半ばで辞任していた。
もう一度なんとか、という気持ちがあったことは想像に難くないし、
有り余る才能の持ち主として当然であったかもしれない。
もし私が神サマだったとしても、
「橋本くん、前回は君もさぞ、無念だったことだろうと思う。
 君は真面目すぎたんだ。もう一度政権を担当して、力のかぎり改革に邁進したまえ」

などと言って、二度目をやらせたいと思ったかもしれない。
実際、当時橋本のとった政策は、結果論として“失政”であったと評されたが、
財政再建の立場からはごく当たり前のことを、真面目に行なったものと思われる。
しかし、小泉純一郎は知っていた。
派閥政治のしがらみをまとい過ぎた橋本龍太郎では、
金輪際、行財政改革=構造改革はできないということを。
大秀才であった橋本の、小泉はおそらく上を行っていたのである。

田中眞紀子をともない、颯爽と国民の前に登場した小泉は絶叫した。
「(もし自民党が私に改革を行なわせないなら)私が、小泉が、自民党をぶっ潰します!」
後に、知らぬ間に、この前段の部分が省略されて、
「小泉は、自民党をぶっ潰す!」と公約した、としばしば報じられたが……
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ダルマ5

橋下徹さんのあまりの豹変ぶりに驚き、つい政治家ネタで何本か書いてみたが、
非常に危険な状態であることは承知している。
人にはそれぞれに自分ではどうすることもできない好き嫌いの感情があるものだが、
まして政治家の場合は利害がからむ。
自分にとって不利益な政策を実行しようとしている政治家を好きだと書かれれば、
その書いている相手まで嫌いになってもおかしくはない。
なので、今までならこの政治家を評価している、などということは
注意深く書かなかったかもしれないが、私ももうこの歳である。
少しくらい気に入らないことを書いたとしても、勘弁していただけたらと思っている。

近年、これはと思った政治家は、小泉純一郎であった。
かつて田中派の金権批判を展開していたころの小泉からはまだ青臭さが消えておらず、
あれほどの業績を残す政治家になるとは想像がつかなかったが、
なんといってもこの人は、打算がないのがいい。
もちろん人間である以上、さまざまな欲求や欲望は誰もが抱えているはずだが、
この人が持論を展開するとき、私には、それほど私心が感じられない。
文字通りの捨て身で2001年の総裁選に勝ち、紆余曲折を経ながらも、
郵政民営化という一大事業を完遂した。 

それとてももちろん、いまだに批判しようと思えばいかようもにできるだろう。
しかし、かつて国鉄が民営化されたとき……
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ダルマ4

“内閣総理大臣臨時代理”という職務があることを、
私は学部の学生のころ初めて知った。
1980年に行なわれた衆参同日選挙、大平正芳首相が遊説中に倒れ、
そのまま亡くなるということが起きたが、
その際、総理大臣臨時代理を務めたのが、内閣官房長官であった伊東正義であった。

伊東は総理大臣の代理なのであるから、首相執務室に入るのが当然であったが、
決してそうしようとせず、また、閣議においても首相の席には座らなかった。
その後、大平の後継は派閥内ナンバー2であった鈴木善幸と決まったが、
後に“暗愚の帝王”と呼ばれるようになる鈴木は1981年、
“軍事同盟”という言葉の響きに恐れをなし、
「日米同盟は軍事同盟ではない」と発言する。
日米同盟には当然、軍事同盟の意味合いが含まれているとして、
伊東は即刻、外相を辞任した。

1989年、リクルート事件と消費税の不評により竹下内閣が退陣すると、
金権腐敗とは無縁であった伊東が党を挙げて総理・総裁に乞われたが、
彼は頑なにこれを固辞しようとした。
あらゆる政治家は、その才能の有無、人徳の有無に関わらず、
最高権力者の座に就きたがる。
莫大な金をつぎ込み、人を裏切ってでも、そうしたくなるという。
伊東のような見識と、骨のある政治家はそういるものではないと思っていた私は、
きわめて興味深くことの経緯を注視していたが、
伊東がこれを受諾することは遂になかった。その際、彼は、
「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」という名言を残している。

もしあのとき、伊東が総理・総裁の座に就いていたらどうなっていただろうか……
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ダルマ3

かつて、椎名素夫という政治家がいた。
内閣官房長官(岸内閣)、通産大臣、外務大臣(それぞれ二期)、
自民党総務会長、政調会長、副総裁を歴任し、なんといっても田中角栄の首相退陣の際、
いわゆる青天の霹靂「椎名裁定」により三木首相を生んだ椎名悦三郎の次男である。
戦前から戦後、高度経済成長時に日本を支えたといってよい父親の活躍を考えると、
息子である素夫は、ありあまる才能を持ちながら“欲”がなかった。

いくら欲がなかったとはいえ、政治家として何もしなかったわけではない。
アーミテージ元国務副長官やブラッドレー元上院議員ら、
アメリカの政界に知人が多い知米派・国際派として知られ、
中曽根内閣時代にはレーガン大統領との所謂「ロン・ヤス会談」の
お膳立てをしたといわれる。
通常であれば、その論功行賞として、何らかの表舞台に立ったはずだが、
彼は一度も入閣することなく、
したがって自らの政治理念・哲学を積極的に実現する場をもつこともなく、
2007年に76歳の若さで亡くなっている。

かつて、元駐タイ大使であった岡崎久彦先生に瞑想をお教えした際……
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ダルマ2

『君子は豹変す』という。
そのとおりだと思う。
複雑多様な相対世界を多くの人びとが生きているのだから、
そのなかで立場や表現が変わるのはやむを得ないだろうし、
それを不変に保とうと思えば当然、無理がくる。

しかしその同じ事象も、『定見がない』『舌の根も乾かぬうちに……』などと言えば、
これはひどく否定的な表現となる。
これらは同じことや、同じ人の表裏両面を表す言葉なので、
当然、好き嫌いも人によってさまざまだろう。
橋下氏の場合、さすがに一旦は政界を“引退”するのであろうが、
これだけ盛大に発言がブレるところを見ると、その後近い将来、
自民党政権の総務大臣などで突然に舞い戻るなどということすらあるかもしれず、
そのときには(そのときにも)当然、大きな批判が沸くのだろう。
そうしてもしかしたら、「大阪維新の会」と連携して大阪都構想を持ち出し、
ふたたび政治生命をかけた決戦に挑むようなことも仕出かすかもしれない。

いずれにしても大事なことは……
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ダルマ1

茶髪で、バラエティ番組に出て空騒ぎしているだけのように見えたこの人。
大阪府知事選の際、「絶対出ません。2万%ない!」と、断言していたのに、
その翌日には一転、知事選出馬を表明し、当選を果たした。
こんなチャラチャラした男が当選するとは……と思って見ていたが、
実際に打ち出してくる政策は結構骨太で、しかも実行力と固い意志が見てとれたので、
私は内心、にわかに「橋下徹」を好きになった。
世間の人が、特に政治家が本音を言えないし、言わないのに、
思ったことをそのまま言っているように見えて、小気味よかったのである。

今年、長年訴えてきた『大阪都構想』を住民投票で否決され、
その日のうちに政界引退を表明したことは記憶に新しい。
「(結果を)大変重く受け止める。僕が提案した都構想が受け入れられなかった。
 やっぱり間違っていたということになるんでしょうね」
と語り、二度と政界に復帰はしない、都構想は諦めると言ったことに、
私は、潔い、というより、潔すぎると感じたものだ。
しかし、昨日(8月28日)の記者会見では
「僕の次のメンバーの維新がやるというのなら、いいじゃないか。
 維新が都構想を訴えていくのは、十分合理性がある」と一転。
それどころか、彼は27日……
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ブログ2

久々にブログを書いてみたはいいものの、
それをどうやって掲載するのか、すっかり忘れていたので、
朝6時を過ぎるのを待ってスタッフのMに電話した。
彼女は毎朝8時過ぎ(ときには近隣の神社を参拝してから)出社し、
一日淡々と仕事をするという、働き者の人材だ。

「ブログを書いたんだが……」
「そうですか」
「どうかな、皆さんは喜んでくれるかな」
「そうですね、間が開きましたから、皆さん、見てないと思いますが……」
(う……)
私は、一瞬絶句しかけた。しかしMの言うことも確かにもっともなので、
なんとか気をとりなおして言った。
「それはそうかもしれないが、それでも書いたほうがいいよな」
「はい、書かないよりは……」
「それで……、掲載する方法が分からないんだが……」
「ああ……そういえば、この前サーバーが衣替えしたとき、
 パスワードも変えたんですよね」
「なに、そんな話は聞いてないが」
「ああ、先生がブログを更新するとは、誰も思いませんでしたからね……」
(……)
たしかに、そのとおりですとしか言いようがない。

長く【バガヴァッド・ギーター】の解説をしたが、そのなかで一貫して流れる思想は……
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