『大いなる生命と心のたび』8

クットララムを出た日の午後、聖サバリ山の麓に着いた。
側を流れる河で、みなは沐浴をするというが、
私はすでにその体力を失っていた。
クットララムで食べたものが原因であることは明らかだった。
急な河に入れば、そのまま流されてしまうかもしれない。
が、しかし何であれ、山には登らなければならない。
なんとか河に入り、出てくると、少しだけ頭がはっきりしたように感じられたが、
頭に載せる物があまりに重い。
その上、今夜は山上で野宿となる可能性もある。
そのために私は、毛布をリュックに入れて背負った。
石や、土の上に寝るのは仕方がない。
しかし、上からかけるものがなければ、山から降りては来られない。
登り始めてすぐに、頭に載せるものとリュックを、
この体調で運んでいくのは不可能であることに気づいた。
その上、こんなときに限って鋭い小石が足の裏に刺さり、
さらに茨を踏んでしまった。
体力があるときは、おそらくわれわれは無意識のうちに、
それらを避けるようにして歩いているのだ。
つい数日前まで一緒に旅をしていた皆さまからはマキュロンをいただいていたが、
それも“重い”と思って荷物から外してしまっていた。
薬用絆創膏を張り、それが剥がれ、また張りなどしていくしかない。
見れば、同じように途方に暮れて坂にしゃがみ込み、動けないでいる人もいれば、
泣き止まない子供を抱えて困り果てている人もいる。
無限に時間をかけてもよいのなら、話は別だったかもしれない。
しかし、帰りのフライトは動かせない。
グループ内で、私一人がしゃがみ込むわけにもいかない。
吐きそうでも、痛くても、とにかく一歩、また一歩と、足を前に出していくしかない。
思えば、前の年は、山に着いてからは余裕で、
キャンディーを大量に買って他の巡礼者たちに配ることすらしたのだった。
しかし今回、もしかしたら途中で動けなくなるかもしれない。
踏み込んだ茨から感染して、破傷風になるかもしれない。
赤痢やコレラになるのかもしれない。
そんな恐怖心が頭をもたげ、実際の吐き気と痛みがそれを増幅する。
聖サバリ山の道には、ところどころ茶屋のようなものがある。
茶屋に入ると、仲間の数人はライムソーダを注文した。
だが、それは生のライムをおやじが手でしぼるという、
元気なときでも忌避しなければならない代物だ。
皆、それをいかにも美味そうに口にして、私にも飲めと差し出すが、
しかしそうするわけにはいかない。
その代わり、ファンタを注文すると、
それは、生暖かい、ねっとりした液体だった。
炭酸と一緒に、胃の中のものがすべて外に出てきそうだ。
いやむしろ、胃そのものが出てくるのではないか。
しかし食べてから時間が経ちすぎているので、物は出てこないで、
胃液の混じったような炭酸だけが出てくる。
心臓の鼓動と共に、足がズキン、ズキンと痛む。
果たしてこの状態で、アイヤッパ神のもとまでたどり着けるか……。
皆さんと一緒だった一週間が、遠い過去のように思い出された。
あの一週間は、楽しかった。
美味しかった。
清潔だった。
快適だった……
百万言を費やしても……

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『大いなる生命と心のたび』7

翌朝、聖サバリ山に登るための儀式が待っていた。
皆さんがシンガポールに着き、
華やかなショッピングモールを散策しておられる頃、クマーラクディの寺院で、
僧侶は私が聖山に運んでいくココナッツの実に穴を開けた。
中のジュースをすっかり取り出し、自ら、温めたギーをこれに入れる。
このとき、大阪の会員さんが造ってくださったギーの残りの半分を使ったが、
日本で造られたギーが聖サバリ山に持って登られ、アイヤッパ神像にかけられるのは、 歴史上、初めてのことであるに違いない。
そのようにして作られたギー・ココナッツと、他に普通のココナッツを3つ、
そして、大量の米とコイン、紙幣などを袋に詰め込み、
ぶ厚い布を頭上に置いてからこれを載せる。
そうして寺院の周囲を一周し、いよいよわれわれは聖サバリ山に向け出発した。

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礼拝の数珠をいただく
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18段の階段上にましますアイヤッパ神
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巡礼者の壮行バジャン(神の讃歌)
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集まってくれた村人に食事を振る舞う
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同じく衣類を配る
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苦行1
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苦行2
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頭上に載せる袋に米を入れる
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ココナッツにギーを入れる
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荷物を頭上へ
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聖サバリ山へ向けて出発

かつて人びとは、自宅のある村の寺院から頭に荷を乗せ、裸足で、
はるかかなたの聖サバリ山を目指した。
旅は数カ月にも及ぶものだったが、その間、サンダルを履くことは許されない。
その他、沐浴にお湯を使うこともできず、髭を剃ることもできない。
肉・魚・卵は御法度で、人と口論することもできない。
ベッドやマットに寝ることはできず、枕は木製でなければならない。
現在、われわれは車で聖サバリ山の麓まで行くことができるが、
それでも先に、各地の主要な寺社仏閣を訪ね、最後に聖クットララムの滝を経て、
それから聖サバリ山に登ることを計画した。
今も聖者アガスティアがお住まいになり……

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『大いなる生命とこころの旅』6

2009年12月18日(7日目-2)
新しく建った家は、貧しい集落の、しかし美しい田園地帯にあった。
少し離れて見れば、背後にはまるでシヴァ・リンガムのような山が聳えている。
一家で瞑想を楽しまれるS家の皆さんが留まって瞑想するのに、
ちょうどよさそうな感じだ。
実際、落成のプージャ(儀式)に続いて瞑想していきたいと思ったが、
われわれはその気持ちを振り払うようにしてそこを後にした。

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新しい家と、背後の“シヴァ・リンガム”

次に向った先はカンチープラム、すなわち
「不二一元の究極哲学」を数千年にわたり説いてきた
シャンカラーチャーリヤのマット(教場)である。
この日、この場所に、第69世シャンカラーチャーリヤ
シュリ・ジャエンドラ・サラスワティ聖下の姿はなかった。
その代わりに精力的に活動しておられたのは、第70世シャンカラーチャーリヤ
シュリ・ヴィジャエンドラ・サラスワティ聖下であった。
前回、69世に謁見し、もう出発しなければならないというぎりぎりになって、
この方が会おうとおっしゃってくださったのだった(2008年10月23日のブログ)。
そうして奥の部屋に招き入れられ、
大聖アディ・シャンカラの著作を日本語に訳すよう言われた。
私はそれを謹んで承り、帰国したのであった。
その日本語訳を、今回、持参してきていた。
小冊子を差し出すと、聖下は大変お喜びになられて言われた。
「これは、CDに入っていないのですか?」
訳された紙だけをお持ちしてきていたので、
「次回、CDに焼いてお持ちします」
とお答えした。
この後聖下は、日本とインドの文化についての短い講話をされた。
遠いはるかな伝統文化を尊ぶ気質が、徐々に薄れてきているのは、
インドも日本も変わらない。
いずれにしてもわれわれは同じ東洋の文化のもとに生きていること、
そしてその伝統を絶やさないためには適切な教育が必要であると言われた。

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第70世シャンカラーチャーリヤと

チェンナイに着くまでの二時間、私はマイクを握って離さなかった。
もう、皆さん全員に話しかける機会はこれしかない。
そう思うと、話し続ける他になかった。
チェンナイの一流ホテルでのビュフェ形式の食事は美味しかったし、
今まで見たことのないようなさまざまな食材も並んでいたが……

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『大いなる生命とこころの旅』5

2009年12月18日(7日目-1)
今年4月のインド巡礼旅行の際、シヴァ神の予言にはこう書かれていた。
『(巡礼中)アシュラムに向かう最初の日、プージャを行ないなさい』
そのため、われわれはバンガロールを発つ日の朝、儀式を行なったが、
その一つは、<プレマ倶楽部>会員のSさんがインドの貧しい人のために建てる家に関係していた。
その家をどこに建てるかもまた予言に指定されており、
貧しい方が入居する際には、
寄贈者のご親族と私は、ふたたび儀式に与るよう定められていた。

アシュラム前儀式

旅の最初に儀式を捧げる

この日早朝、ヴェロールを発つと、
バスは幹線道路を外れ、田園地帯に入っていった。
周辺のインド人たちは、日本人はおろか、外国人を見たのも初めてなのであろう、
われわれの大型バスを珍しそうに見ては歓声をあげ、手を振ってくれる。
田舎道を行くこと1時間半、遂に今回建った家の近くまで来た。
われわれが到着すると、爆竹と花火が上がり、歓迎してくれる。
家に着くと、そこではすでに儀式が執り行なわれていた。
家を寄贈されたS家の皆さんと共に、われわれも儀式の席に着く。
そこに小さなホーマの炉が組まれ、捧げ物を次々とくべる。
われわれも木の杓でギーを継ぎ足し、マントラを唱和する。
外ではお祭りのときの屋台のように、コックが食事を用意してくれている。
落成の儀式が終わる前に、われわれはそうして用意された食事をいただき、
ふたたび儀式の席についた。
最後に、今回の家を寄贈された側の老夫婦が、
われわれのために朗々と詩を吟じた。
『私はどのようにしてこのご恩に感謝しよう。
 私は今、この恩に感謝する。
 これからも感謝する。
 死ぬときも感謝する。
 死んで、生まれ変わっても感謝する……』
こうして、いつの日かわれわれがすべて今生を終え、
この次に生まれてふたたびめぐり逢ったとき……

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『大いなる生命とこころの旅』4

2009年12月17日(6日目)
この日、聖者ラマナ・マハリシがこの地に来る前からあった、
シヴァ神大寺院を巡礼。
最初に聖者が来て瞑想に浸ったという千本柱廊の間でまずは瞑想、
それから、主神であるシヴァ神と女神パールヴァティを礼拝した。

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シヴァ神大寺院の門塔
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悠久のとき……
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アルチャナにあずかる
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かつて聖者も瞑想に耽った千本柱廊

そのままホテルに戻って昼食の予定であったが、
なんとかもう一度、30分でもラマナ・アシュラムに寄りたい。
そう思って無理を言い、最後にそうすることができた。
ほとんどまっすぐ瞑想部屋に向かうと腰を下ろし、瞑想を始めたが、
バタン、バタンという大きな音がする。
静寂の支配するこの部屋でどうしたことかと思っていると、
11時半となって、掃除のおばさんが入ってきたのだった。
おばさんはこれ見よがしに座布団をはたくと、
その場にいる全員に、「掃除時間だよ! 瞑想やめて出てってね」
といわんばかりである。
規則なのだから仕方がない。
聖者が眠るプージャ・ホールに移り、瞑想を続けたが、
ここも昼の12時でいったん閉まる。
最後の10〜20分をここで瞑想と祈りの時間とし、
ちょうど12時に全員がここを出た。
約束通り、きっかり30分。
もう少しいたいという気持ちを振り払い、われわれはアシュラムを後にした。

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シュリ・ラマナアシュラム入り口
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聖者の眠るプージャ・ホール

昼食後、ヴェロールに向かう。
近郊はラトナギリの丘に、この地方を代表するムルガ神の寺院があるという。
訪れてみると、丘の上に階段があり、かなり新しい寺院が建っていた。
40年ほど前にこの地にやってきた一人の僧侶が、
厳格な沈黙行を続けながら建てたという、立派な寺院だ。
中央の主祭壇ではちょうど儀式が捧げられていて、
入り口のところにはこの寺院を建てた僧侶が座っておられた。
これだけの寺院を建てるのに、いかほどの苦労があったことか……。
しかも彼は、何も言葉を発しないのである。
まさに、言葉ではなく、人格で建てた寺院だ。
そうしてここで、以後何百年、何千年と、ムルガ神が礼拝されることだろう。
一回の人生の間にこのような偉業を成し遂げることができたら、どんなに幸せか。
この方にすっかり憧れてしまった私は、思わずその御足に手を触れる。

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新たに建立されたムルガ寺院
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ムルガ寺院への階段

この日の最終目的地ヴェロールの地で、15年ほど前、
一人の若者が神々しい女神を見た。
その後、若者の住居近くの土地が盛り上がり、
なかから人の背丈ほどの女神像が出現するという奇跡があった。
女神サラスワティの英知、女神ラクシュミの富、女神ドゥルガの力を併せ持つ、
すなわち相対世界のすべての要素を兼ね備えられた、女神ナーラーヤニ。
自らがその化身であることに気づいた少年もまた、
周囲の人びとに対してさまざまな奇跡を行ない、
気づいてみれば、この地に黄金の寺院が建立されていた。
寺院の周囲は美しい池が巡らされているが、
前回訪れたときには水がなかった。
今回はそこに水が張りめぐらされ、水面には燦然と輝く黄金の寺院が映っている。
その主祭壇に至る前、周囲を歩いていると、
さまざまな人びとや風景の写真とともに、聖者による金言が掲示されている。
ふとみれば、そこには一枚、見覚えのある写真が。それは……

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『大いなる生命とこころの旅』3

2009年12月16日(5日目)
ティルヴァンナマライ、
またの名をアルナーチャラ--炎の山--。
山自体がシヴァ神の御神体である。
14歳で悟りの体験をし、
以後、世俗の事物に対する一切の執着を失ったラマナ・マハリシは、
迷うことなくこの山を目指す。
途中までは列車で、それからは徒歩で、
途中、行き倒れそうになりながら、しかし神の配剤によりこの山にたどり着いた。
そうして、ただただ法悦の意識状態に浸っていった。
この日午前、小雨の降るなか、われわれはまず、
聖者ご自身とその母親が眠るラマナ・アシュラムで拝礼、
その足でこの聖なる山を登攀した。
履物を履くことは可能であったが、皆さん裸足のままだった。
こうして、聖者が実際に瞑想された洞窟のいくつかで、
われわれも瞑想に浸ることとなった。
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大聖ラマナ・マハリシの霊廟
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アルナーチャラ(炎の山)を行く
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アルナーチャラの風景1
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アルナーチャラの風景2

この日の午後は、ギリプラダクシナ、すなわち、
聖なる山の周りをゆっくり歩いて回る。
だが、お昼を過ぎ、昼食を済ませても雨がやまない。
もともと自由参加ではあるが、それでもやめておいたほうがいいのではないか……。
そう思ったが、しかし多くの皆さんがやる気まんまんである。
ホテルは二カ所、しかし一カ所から出たほうがいいということで、
全員がホテル・スパルシャから出ることとなった。
何人かの皆さんは、裸足だ。
山の反対側に、もう一つのホテル・アルパナがある。
出発して二時間後、そのロビーでしばし休憩。
車の迎えを待ってそのままリタイアすることも可能だったが……

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『大いなる生命と心のたび』2

サイババ・アシュラムを訪ねた2009年、
なんと年末にもう一度インド旅行を行なった。
私が皆さんに瞑想を教える以上、しなければならないことがさまざまあって、
頭上に聖なる荷を載せ、聖サバリ山を裸足で登攀することがそのうちの一つであった。
そのための儀式に皆さんにも立ち会っていただき、
また、古都ガンガイコンダ・チョーラプラムでは
高さ3メートルはあろうかというシヴァ・リンガムにお米を捧げる儀式
(アンナ・アビシェーカム)を行なった。
実はかつて、このときの旅の模様を、ブログに書いたことがあった。
2009年12月12日から2009年12月15日-1までのものが
当時掲載された部分であるが、
理由があって、文章を書いたまま今日まで掲載を中断していた。
そこで、突然で恐縮だが、そしてやや長くなるが、
以下、謹んでこれを続けさせていただくこととしたい。
2009年12月15日(旅の4日目-2)
(2010年2月12日のブログより続く)
シヴァ神に捧げる祭礼が一通り終わり、
今度は女神パールヴァティに儀式を捧げる。
その間も雨が降り続いていたので、
われわれは濡れながら、水たまりのなかを裸足で移動することとなった。
こんなことをしたのは、小学校のとき以来のような気がする。
女神パールヴァティにもアビシェーカムを捧げ、
お衣を真新しい絹のサリーに変えさせていただいた後、
ふたたび水たまりのなかを移動してシヴァ・リンガムの前へ。
すでにこの時点で午後1時を回っていたが、
ここで初めて、大量のお米をシヴァ・リンガムにおかけする。
そして今度は、その米でシヴァ神を“着飾らせる”。
僧侶たちはたっぷり時間をとってこれを行ない、
結局、すべての儀式が終わったのは午後4時。
寺院を出発したのは午後4時半であった。
われわれはこれから“昼食”のため、クンバコーナムに向かわなければならない。
そのために小型のバスに分乗し、片道1時間の旅にでる。
そうしてまた、帰ってくるのに1時間。
ふたたび大型バスに乗り換え、それからティルヴァンナマライに向かった。
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シヴァ神大寺院の風景
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天界の、王らの戯れ……
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シヴァ神に捧げる、炊きたてのご飯をほぐす
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シヴァ神に捧げるご飯を運ぶ

時間が押して、皆さんには申し訳ないことだったが、
しかし儀式自体は素晴らしく、通常では与れないものだった。
今回の儀式は、これからわれわれが直面するであろう日本と世界の天変地異、
および食料危機の回避を願ったものだったが、
そのときふつふつと湧いてきたのは、
将来、どんなことがあっても、世界中の飢餓を撲滅……

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『大いなる生命と心のたび』1

今をさかのぼること前世紀、
1999年の第一回『大いなる生命と心のたび』の目的地は、
いろいろな訳があって中国だった。
かの地で、近代中国の発展に驚くと同時に、
中国医学・中国文化に接したわれわれは、 翌年はバリ島に。
そこでバリ土着の医学と文化に触れることとなった。
その後、小説『最後の奇跡』の上梓を経て、
もっぱら訪ねることとなったのは、聖地ルルドである。
ルルドを計6回訪ねる間に、
旅の仲間の何人かが奇跡的治癒を実際に経験されたことは、
私自身、まことに驚くとともに、望外の歓びだった。
また、ルルドと並ぶ聖母出現の聖地ファティマ、ローマ、アッシジ、
さらにはメジュゴリエ、サン・ジョバンニ・ロトンド、
アヴィラ、ガラバンダル、サンチャゴ・デ・コンポステーラ等、
今日知られているキリスト教の大聖地の多くを巡礼することができた。
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ルルド:ご出現の洞窟に建つ聖母像
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メジュゴリエ:ご出現の丘に映える夕陽
『大いなる生命と心のたび』で初めてインドを訪れたのは、2008年である。
沈黙の聖者ラマナ・マハリシの聖地を訪ね、
チダンバラムのナタラージャ(踊るシヴァ神)寺院では
ホーマ(火の儀式)にあずかり、
何人かの方の協力を得て建立したばかりのムルガ寺院の落慶式を行なった。
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ムルガ寺院天蓋
2-2 (1)

ムルガ寺院の天蓋にて1
2-2 (2)

ムルガ寺院の天蓋にて2
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落慶したムルガ寺院 –花で飾られた9つの惑星の神々–
翌年にはサイババのアシュラムを訪問したが、
このときは、『大きな困難に遭遇するであろう』ことが予め予言されていた。
それが具体的には何のことなのか分からないまま、
われわれは旅行に突入、その日……

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いい夫婦の日

本日11月22日は、「いい夫婦の日」と読むらしい。
人によってこの言葉の受け止め方は微妙に異なるものだろうが、
しかしともかくも、株式会社アート オブ サイエンスにとっては創立記念日。
しかも、初めての。
会社を自分で創るようにと予言に書かれてから、
ああでもない、こうでもないと、さまざまな社名を考えた。
アート オブ サイエンスはそのうちの一つだったが、
他にも気に入った名前がいくつかあった。
だが、ちょうど出てきた予言には、
『どの名前がよいかを、わたしが教える。
 その名前には、Science と Artを入れなさい……』
という記述があり、それで決まった。
本当は11月23日を創立の日にしたかったが、
この日は祭日であるため、
11月22日に設立、翌23日を“営業”開始ということにした。
あれから1年が経つ。
その間に、東日本大震災や、
サティア・サイババが亡くなるということが起きてきたのであるが……

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化身の誕生

『人がいかなる方法で帰依しようとも、
   わたしはそれに応じて彼らを愛する
  いずれの道を通っても
    人はすべて、わたしの道をたどる』
(【バガヴァッド・ギーター】第4章 詩節11)
クリシュナ神によるこの言葉を目にするとき、必ず思いだすのは、
イエスによる次の言葉である。
『わたしは、道であり、真理であり、生命である。
   わたしによらなくては、誰も天の父に至ることはできない』
          (【ヨハネによる福音書】第14章 第6節)
ちょうど地上から空を見上げたとき、その高さが計り知れないように、
われわれには、神が化身してきた人格と、
人間が進化して神と一致したものとのあいだに、区別がつかない。
【バガヴァッド・ギーター】は【東洋の聖書】と言われるが、
クリシュナ神とイエスの遺した聖典を見ていると、
まるで両者が一つの人格のようにすら見えることもある。
ただ、それぞれの置かれた時代や地域、民族の歴史や伝統、文化によって、
表現の仕方が少しだけ違う。
先月の【バガヴァッド・ギーター】の解説では、
クリシュナ神による「神の化身」の概念が語られたが、
11月23日、それを完結する部分が語られる。
奇しくもこの日は、サティア・サイババの誕生日にあたっている。
聖典の勉強の後、われわれは、この化身の生誕を祝うと同時に、
聖者の予言による儀式を捧げる。
ちょうど、上記詩節11に続く詩節12では、クリシュナ神が次のように語っている。
『地上において行動の成就を望む者たちは、
   神々に供物を捧げる
 実に、人間界においては
   行動から生ずる成功は速やかに訪れる』
物質と肉体からなる地上の生活は、
困難なように見えて、しかし実り多い。
肉体を持つわれわれには大きな負荷がかけられてはいるが、
しかしそれに見合う以上の進化のスピードが与えられる。
だからこそ、われわれは肉体をもって地上に現れることになる。
そうして同時に、適切な儀式やマントラが神々に捧げられるとき、
進化のスピードは当然に何層倍にも加速する。
23日(水)は、これらクリシュナ神の言葉の解説と……

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