前後不覚……2

SHOさん、いつもコメントをありがとう。
『大いなる生命と心のたび』シリーズが終わったら、
SHOさんのコメントにもコメントしようとずっと思っていたのに……

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前後不覚……

イスカーナさん、いつもコメントをありがとう。
『大いなる生命と心のたび』シリーズが終わったら、
イスカーナさんのコメントにコメントしようとずっと思っていたのに……、

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2月17日(七日目)

マハーバリプラム → チェンナイ 
現在はベンガル湾を臨むビーチリゾートであるマハーバリプラムは、
世界遺産として登録され、数多の遺跡を含む聖都でもある。
7世紀頃には東西交易の要衝として栄え、
学術的に極めて重要な村であるが、
皆さんの予言のなかでは、
過去世や、来世の地として度々登場してくる場所でもある。
とりあえず、当地を代表するリゾートホテルの室内やプール、
マッサージルームや海辺の瞑想で旅の疲れを癒すとともに、
一週間の神聖な体験を心の奥底で温めたい。
この日午前は、太古の遺跡を巡礼し、
前回も堪能していただいた昼食ビュフェをいただいた後、
午後はチェンナイでも、皆さまに縁とゆかりのある寺院を訪ねる予定だ。
また、数カ月前からボルボ社製のバスを確保し、
皆さまにはゆったりした旅をしていただけるものと思われる。
なお、旅行期間中は、過去大変評判のよかった……

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2月16日(六日目)

カンチープラム → マハーバリプラム
ヒンドゥ教7大聖地のひとつカンチープラム。
パッラヴァ朝の時代、特に7〜8世紀に栄えたこの村は、
多くのヒンドゥ教徒が一生に一度は行きたいと願う聖地として知られる。
シヴァ派やヴィシュヌ派、その他の神々を祀る200以上の寺院は、
十数世紀を経た今日も当時そのままの姿でわれわれを迎えてくれる。
なかでも壮麗なカーマクシ・アンマン(女神)寺院では、
60メートルを超える門塔と、本物の象がわれわれを祝福してくれるはずだ。
さらにこの日、シャンカラーチャーリヤがそのマット(教場)におられるようであれば、
私たちは彼に直接お目にかかることとなる。
シャンカラの後継者、すなわち不二一元哲学の正統伝承者である。
私はまた、かつてリクエストされた、
アディ・シャンカラの著作の日本語訳・CD版を、
第70世シャンカラーチャーリヤに手渡すことになるかもしれない。
なお、本日(1月6日)でてきた予言の指示により……

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2月15日(五日目)

ティルパティ → ティルタニ → カンチープラム
この日、バスは南下し、タミル・ナドゥの州都チェンナイに近づいていく。
チェンナイから84kmほどの地点にあるティルタニ・ムルガン寺院は、
ムルガ神を祀る六大寺院の一つとして人々の信仰を集める場所だ。
シヴァ神と女神パールヴァティの間には、二人の皇子がおられる。
長子、すなわち皇太子はガネーシャ神。
智恵の神であり、物事の始まりにおいて常に祈りが捧げられる。
象の顔をしておられ、近年は日本でもよく知られる神だ。
次子、すなわち皇次子がムルガ神。
お生まれになるや即、神々の王によって天軍の総帥に任命され、
天界の神々を長年にわたり苦しめていた悪鬼どもをまたたく間に蹴散した。
こうして以降、戦いの神と崇められると同時に、
彼は結婚を司る神でもある。
つまりインドにおいては、「戦いの神」すなわち「結婚の神」なのだ。
実際、現実世界においては……

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2月14日(四日目)

ティルパティ → シュリ・カーラハスティ → ティルパティ
この日午前、われわれはバラジ神のダルシャンに速やかに与る予定だ。
この強大な神さまにどのように祈ったらいいのか、何を願ったらいいのかが分からない、
という方も、もしかしたらおられるかもしれない。
願いがかなってしまうとしたら、
それが怖いと思う方もおられるかもしれない。
そうした皆さんのためにこの地で、われわれは特別な儀式に与る予定でいる。
皆さんはただ、この儀式に身を任せ、事実上の瞑想状態を楽しんでいただいたらよい。
さらにまた、バラジ神に直接願うのが恐れ多いという人のためには、
その妃にあたる女神パドマヴァティの寺院も巡礼する。
ちょうど、婚礼の席でぶどう酒がなくなっていることに気づいたとき、
聖母マリアがイエスになんとかしてくれるよう願ったように、
そして時がまだ熟していないことを知りつつも、
結局、聖母の言われるがままイエスが水をぶどう酒に変えたように、
われわれも、バラジ神に直接何かを願うのが躊躇われるならば、
その妃・女神パドマヴァティに祈りを捧げることができる。
その後、バスはシュリ・カーラハスティに向う。
聖地カーラハスティは、ティルパティから東に約36kmの場所にある。
タミルの人々はこの寺院を2000年以上前から、南インドのカイラス山、
傍らを流れる小さな川を南インドのガンジス河として崇めてきた。
もともと、5大元素を象徴するシヴァ神の聖地のうち、
この聖地は「風」元素を象徴する。
移り変わる相対界の流れの象徴であり、また、動きのもととなる力の象徴でもある。
ここはまた、『神々の科学』のなかで、
シヴァ神がリンガム(宇宙卵)として聖者の胃からお出になった後……

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2月13日(三日目)

プッタパルティ → ティルパティ
インド最大の聖地はどこかといわれれば、
多くのインド人が「ティルパティ」と答えるに違いない。
今から20年ほど前、私が初めてインドに来てサイババに出会った頃、
この地で一つの奇跡が起きた。
ある朝、僧侶達が祈りを捧げるため、
ヴェンカテーシュワラ神像の御足を触ろうとすると、
手に柔らかく温かな感触を感じた。
御神体にかかった布をとると、そこに生身のサイババがいた。
このときから、ティルパティの僧侶たちは、
こぞってサイババのアシュラムに巡礼するようになった。
サイババは彼らをインタビューに呼び、その奇跡が事実であったことを告げたという。
さらに、サイババはこう言った。
『わたしにかかっている金・銀の装飾品は重すぎる。少し減らしなさい……』
この日午前、ふたたび墓前で祈りを捧げた後、バスは一路ティルパティへ向う。
チェンナイより北西へ約250km、海抜874mの山上にあり、
毎年一千万人もの巡礼者を集める聖地である。
シュリ・ヴェンカテーシュワラ寺院に祀られている神は、
北インドではバラジ、南インドではスリニヴァサとも呼ばれるが、
実に、彼は「願いをかなえる神」なのだ。
特に、富と、愛情にかかわる願いをもった帰依者が来たら、
それをかなえ、苦しみを取り除かないではいられない。
相対世界における強大な神として信仰を集め、
巡礼者の数はインド一、
御布施の額はヴァチカンに次いで世界で二番目であるというこの聖地では、
時期によって、神像の前に到達するのに一日、二日もかかるという。
この神を前にしたとき、多くの人は、
まさに現世における「お金」と「愛情」を願い求める。
かつてヴェンカテーシュワラ神に自ら姿を変えたサイババは、その人びとに、
こう語って聞かせたことがある。
『そうしてヴェンカテーシュワラに願った結果、
 おまえたちは実際、金持ちになるだろう。
 だが、よく考えてみなさい。
 一体どれほどの金持ちが、本当に幸せであるかを……』
肉体をもって相対界を生きる者が、神々に願いを捧げるのは自然なことだ。
イエスも、クリシュナ神も、サイババも、
正しい方法で願われたそれらは、速やかにかなえられると言っている。
しかし大事なことは……

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2月12日(二日目)

バンガロール → プッタパルティ
この日、ホテルでゆったりした朝食バイキングを楽しんだ後、
専用バスでプッタパルティに向う。
アーンドラ・プラデーシュ州にあるこの村は、
サティア・サイババのアシュラムがあることで世界中から巡礼者を集めた。
私が初めてここを訪れたのは1990年であるから、
あれからもう20年以上が経ったことになる。
その間に、『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』『真実のサイババ』等を上梓し、
アメリカの大学で教え、帰国してからは瞑想をお教えするようになった。
これらの時間を、長かったというのか、短かったと感じるのか……。
その間に行なってきた仕事は、充実していたといえるのか、
あるいは本当はもっといろいろなことができたのか……。
それにしても驚くべきは、私自身はいまだに自分が死ぬことをあまり想定しないで、
わくわくするような次の仕事のステップを考えていることである。
そして、それらを完遂するまでは、死んでも死に切れないなどと思っている。
自分のことはもちろんのこと、ましてサイババのような方が亡くなるなどとは、
当時は想像もできなかった。
今、サイババが亡くなってみて、われわれは相対世界の無常を学ぶ。
たとえ神と一致した人格を宿していても、肉体は滅びていく。
ラーマも、クリシュナも、仏陀もイエスも亡くなっていった。
そうした無常の相対界に生きるわれわれは、
しかし心の奥底では変わらないものを求め、
変わらない何かをこの世に残したいと願っている。
サイババ逝去の後もサマディ・ダルシャンに訪れる巡礼者は後を絶たない。
この日夕刻、サイババがお育てになった僧侶らによるヴェーダ吟唱に耳を傾け、
それから神の讃歌バジャン、そしてサイババの墓参を行なう。
ご参加になるすべての皆さんが心の最も深いレベルで何かを感じ……

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2012年2月11日(初日)

成田 → シンガポール → バンガロール
皆さまの大いなるおかげ様をもって、
何度かのインド旅行で神々に儀式を捧げ、瞑想し、聖地を巡礼することができた。
さまざまな慈善活動は、有り難いことに貧しい人びとや身寄りのない子供、
老人、病気の皆さんが受け取ってくださった。
また、私自身がしなければならないことについては、
どんなことがあってもそれを行ない、帰国することができた。
神々はそれらをたしかにお受け取りになり、お歓びになっているに違いないし、
そのような記述が予言に書かれていることがある。

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聖なる絆の儀式
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生まれて初めて結婚式に参列した孤児たちの感謝の言葉
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お食事前に祈る孤児たち
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握手を求める孤児たち
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村人に食事を振る舞う
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一昼夜マントラが吹き込まれた水を全身に浴びる
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ホーマ

一方、昨年はサティア・サイババが亡くなるという突然のできごとに私自身も驚き、
すぐにでも墓参したいという強い気持ちを抑えるのが難しかった。
しかし、日本を離れることはまったく不可能な状態だった上、
過去の12月の旅行では、雨期から外れているとはいえ、実際に雨が降った。
それは浄化の雨であったに違いないのであるが、その教訓から、
今回はさらに時期をずらして2月に旅をすることとした。
まさに、インド旅行のベストシーズンである。
通常、南インドの雨期は11月中旬に明ける。
したがって、12月中旬に計画された旅は決して間違ってはいなかったはずだった。
特に2010年は、いまだかつてない大規模なホーマをシヴァ神に捧げる予定で、
現地ではボランティアを含む多くの人びとが会場の設営に多大な労働を捧げてくれていたのであるが、
しかし、いよいよ出発も押し迫った時期に届いた報せは、
大雨と強風のため、設営した会場が水浸しになったというものだった。
会場を、雨の降っていない北の地方に新たに設営するのか、
その場所に留まるのか、決断を迫られたが、
結局、その場所を大量の砂で埋めて、
予定通り百数十名の僧侶たちによる大ホーマが行なわれた。

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大ホーマの始まり
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炉にギーをくべていく
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ミルク・アビシェーカム
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日本の舞い

多くの貧しい方々に衣類や食事が振る舞われたこの日は、
もったいないことに聖者カルパスワミにご臨席いただいた。
この聖者は、「カルパスワミ神」がお入りになって、
人びとに予言その他の神託を次々お与えになるので、
聖者自身も「カルパスワミ」と呼ばれている。
この日はまた、インドを代表するバジャン歌手の一人ヴェーラマニ・ダサンが、
言祝ぎのバジャンを深夜に至るまで歌ってくれた。
このとき、カルパスワミを讃えるバジャンが謳われるなか、
なんと普通にしておられた聖者にカルパスワミ神が入りそうになった。
聖者の身体が小刻みに震え始め、二人の高弟が突然の事態に備えて後方にはべり、
会場は緊迫したが、
すんでのところでバジャンが終わり、カルパスワミ神は離れていかれた。
私自身はほっとしたが、しかしあのまま神さまが入ってこられたらどうなっていたのだろうという気持ちの入り交じった、
複雑な感覚に陥ったのが忘れられない。

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熱唱するヴェーラマニ・ダサン

ともかくも、今年の2月11日、成田を飛び立つシンガポール航空機は、
夕刻、チャンギ空港に到着する。
私の知るかぎり、世界でもっとも心楽しい空港だ。
さまざまな飲食を楽しまれてもいいし、買い物をされてもいい。
あるいは、中国式マッサージを楽しまれてもいいし、
またはマッサージ機に身を委ねてもいい。
そのシンガポールからふたたび搭乗して3時間半、
飛行機はガーデン・シティと呼ばれるバンガロールに到着する。
なお、新しい年の始まりに当たり……

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『大いなる生命と心のたび』9

アイヤッパ神のもとに近づいた頃、私はもうフラフラの状態だった。
が、ここからさらに長く、気の遠くなるような待ち時間が訪れる。
毎日、少なくとも数万、もしかしたらそれ以上の人びとが巡礼に来て、
そのすべてがあの18段の階段を登る。
ほんの一瞬でもアイヤッパ神を見ることができれば、幸運だ。
しかし、多くの人は、次の人に押され、
または警官に押されて、一瞬たりとも神像を見ることはかなわず、
その年の、または一生に数度の、または生涯ただ一度きりの巡礼を終える。
そんなことを微かに思いながら、ほとんど気を失いそうになっていたとき、
一人の警官が近づいてきた。
やや位の高そうな、警部かもしれないこの人は、私を見て言った。
「いったい、どうしたんだ!」
何を怒られるのかと思ったら、そうではなかった。
「この外国人は、病気じゃないか!」
警部は、私をこのまま担架に乗せ、山を下ろそうとしているようだった。
実際、何人か、瀕死の状態になり、そのようにして山を下る人がいるのを今回も見た。
しかし、冗談ではない。それでは一体、なんのためにここまで来たのだ。
私は言った。
「アイヤッパ神のところまで行きます……」
「大丈夫なのか!」
「大丈夫です……」
同行者の何人かが、私が単なる巡礼者ではなく、聖者の指示により、
どうしてもアイヤッパ神像の前まで行かなければないないことを説明してくれた。
さらに一人が言った。
「この人は、ここ(ケララ州)でクリシュナ寺院を建てた人です」
「クリシュナ寺院を……?」
警部は敬虔な人だったのだろうか、そのことに心動かされた様子だった。
無線で連絡をとったかと思うと、何人か、部下のような警官が来て、
まったく動いていなかった列を少しだけ抜いて、前に進むことを許してくれた。
それでもなお、荷を頭に載せたままの待ち時間が何時間もあったが、
しかし地元の人のこの心遣いは大きな勇気を与えてくれた。
クリシュナ神が、助けにきてくれたのだ。
なんとかぎりぎりのところでアイヤッパ神の前までたどり着いたとき、
18段の急な階段を前にして、ふたたび言い知れぬ恐怖心が湧いた。
これを登れるか……。
もう、ほとんど体には力が入らない。
しかし考える間もなく、私はその流れに呑み込まれていった。
人びとに押し合いへしあいされ、
警官に押されたり引っ張り上げられたりしながら、
徐々に階段上のほうに近づいていく。
一番上、つまりアイヤッパ神に最も近づいたとき、
となりにいた老婆が全身を声にして叫んだ。
「アイヤッパ〜〜! アイヤッパ〜〜〜!!」
私も思わず日本語で叫んでいた。
「助けて! 助けてください!!」
例の警部は、私のために小部屋を用意してくれたらしい。
私はそこに倒れ込み、半ば気を失ったような状態でいた。
気がつくと夜中の1時過ぎだった。
ここにこのままいることはできない。
下山しなければ……。
荷物を人に持ってもらい、手すりにつかまりながら坂道を下る。
足の裏と、体全体が、奇妙な痛みに襲われていた。
熱が出ているわけではないのに、熱発したときのような体の痛み。
その痛みを抱えたまま、その後数日間、ほとんど何も口にすることもなく、
チェンナイ空港まで車で運ばれた。
思えば、20年前に初めてインドに来て以来、
この国の神秘に出会い、感動し、ときには騙されたり苦しんだりしながら、
あっという間に年を重ねてきた。
その間に実地の体験や文献、その他の方法で蓄積してきたヴェーダの知識を、
私は今、皆さんにお教えすることができる。
そう考えると、ときにこうした苦しみがあったとしても、
その日々までもが愛おしく感じられる。
そのような試行錯誤を繰り返しながら、われわれは人生を重ねていく。
そして気づいたときには、一年が終わり、十年が経ち、
そうして、一つの人生が終わっていくだろう。
そのとき、少しでも充実したいい人生であったと、
もしできることなら、近しい人や、地域や、ひいては国家の役に多少なりともたったと、
最後に思いながら死にたいと思う。
なお、一年の終わりに当たり……

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