インドの旅6

医師はやおら、こう語った。
「今、あなたがいるあの地域は、とにかく田舎なんですよ」
田舎・・・。
その意味ではどこもだいたい同じに思えたが、彼は顔をしかめるようにしてそう言ったのだった。
「そしてあそこには、〇〇〇〇〇がいる(この部分の発音がよく聞き取れなかった)。
彼らは草むらや林に潜んでいて、突然現れ、人を噛むんです。すると・・・」
そう言って医師は、ついさっき撮影した私の手を、パソコン画面に映し出した。
鮮やかに映えるその画像を田舎に住むインド人が見れば、科学技術の粋を見たと思うだろう。
そして科学の粋を集めたこの医師が主張した原因というのは、結局、
「虫刺され」であった。
「これを私は証明したい。そのためには、ぜひとも血液を採取し、検査に回したいのですが・・・」
この言葉に、私は震え上がった。
ここで血液を採られた日には、新たに何かの病気に感染してもおかしくない。
それは、虫刺されのようなものとは次元の違う話であるに違いないのだ。
仮に運良く感染を免れたとしても、私の友人は、
さんざん使い回されて先がなまくらになった針を無理やり刺されたものだから、
何年経ってもその痕が消えないのである。
その上、さらに医師が続けた言葉を聞いて、私はほとんど気を失いそうになった。
「結果が出るには一カ月かかります。待てますか?」
(待ちます!)
こうして私は、この一見用務員風の医師のおかけで、
これからさらに一カ月、インドに滞在することになる・・・

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インドの旅5

医師は言った。
「ディーパック・・さん?」
「はい」
「なんでインド人の名前がついてるんですか?」
(そ、そんな・・・そこから始まっちゃうんですか・・・)
そう思いつつ、仕方ないので本に書いたような聖なる紐の儀式の話をする。
「そうですか・・。それであなたは、日本でもディーパックさんなんですか?」
「いえいえ、日本では、日本の正式な名前があります」
「ほう・・・で、今日は・・・?」
「はい、蕁麻疹が出来まして・・・」
どれ・・・とばかりに、用務員さんのような医師は、まず腹部にできたそれをまじまじと見つめた。
次に胸、背中、それから手足の末端をみて、やおらカメラを取り出した。
キャノン・・日本製である。
ひじから手首にかけてできた蕁麻疹をパチリと一枚とると・・・

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インドの旅4

あまりの苦痛に、なんとか車を仕立て、最寄りの皮膚科を受診することにした。
最寄りといっても、車で1時間、街にでなければならない。
土埃の中を車が進み、揺れる度、衣服が肌にすれ、耐えがたいので、
両手で衣類をぴたりと肌に押しつけることになる。
下をうつむいたまま、ときどきうーっと声をあげると、
運転手はよほど重病人を乗せたと思ってか、
スピードをゆるめてくれたりする。
日本でも皮膚科を受診したという記憶はないのに、
ましてインドである。
どのようなことになるのか見当もつかないが、
苦し紛れとはまさにこのことだ。
だがそれも、目指す皮膚科が意外と近代的な建物に入っていたので、
やや不安が薄らいだ。
受付嬢が端正にサリーをまとい、パソコンを打っているのをみて、
もう少しだけ不安が和らぐ。
さすがIT産業の国、そう、この国はいまや、先進国の仲間入りをしようとしているのだ!
だが、待合室にいた私を呼びにきた用務員のおやじが当の医師であったことが判明したとき・・・

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インドの旅3

ここへきてとうとう食糧が底をつき、
しばらくは飢餓状態に耐えていたがそれも限界がきて、
やむを得ず、カエルやイモリを捕って食べる他なくなってきた・・・
こんな記述を、旧日本兵の手記で読んだ気がする。
幸いにして私はそこまでの状況にいたっていない。
断食をしたといっても、意図的な断食だし、いつかは終わることが分かっているのだから、
食糧がなくて苦しんだ日本兵の皆さまとはまったく違う。
だが、何が悪かったのか、数日前より突然全身に蕁麻疹が発生し、
眠ることができなくなった。
眠ってしまえば掻きむしってしまって、
今ごろは全身血まみれになっていただろう。
肌に衣類が擦れても、風がふいてもかゆみが激しく、
その度にうんうんうなりながらこれを書いている。
原因が分からず、その可能性のあるものはもう食べられないので、
一瞬、冒頭のような日本兵の手記が心に浮かんだわけだが、
今のところ当のカエルやイモリに累は及んでないので、
どうか心配しないでいただきたい。
私にとっては生まれてこの方経験したことのない事態ではあるが、
思えば、瞑想をお教えした皆さんのなかにはこうした状態を長期間耐えている方も何人かおられ、
かねてより、その皆さんの全快を心に思い描き、ときに強く念じてきた。
そのために聖者の指示で、クットララムの滝の水をとってきたり、
これから滝や、その他の聖地にお連れしなければならない方もいる。
ただやみくもにその皆さんの回復を願うだけではなく、
今回、その苦しみを少しでも共有できたことは、私自身にとって恩寵だった。
その皆さんが治っていかれるような気が、実際にしてきたからである。
ネットがつながった間にかいま見たメールのなかには、
一体何のためにそんなことをしているのかというご指摘もあった。
今回のパリラーラムを進めるに当たり、なせこれだけ次から次へと困難が現れ、
しかもそれらが揃いも揃って原因不明なのか、私にはわからない。
しかしおよそインドにきて、なにかをするということは結局、こういうことだ。
過去例外なく、そのようにしてしか、
『理性のゆらぎ』も『アガスティアの葉』も、『神々の科学』も生まれなかった。
そう考えれば、六十数名の方があれだけの内容の巡礼旅行を大過なく終えられたのであるから,
それだけでも参加者の皆さんそれぞれの賢明さと忍耐、神々の恩寵を思わざるを得ない。
ところで、みなさまからのコメントによれば、
私と目が合ったカエルは、心配して見に来たスタッフだったのだから、
これを外に出したのはまずかったのだという。
しかし、そのスタッフが言うには、
カエルは魔法をかけられているだけで、
本当は王子か王女だったのではないかという。
そう言ったスタッフは、ネコを十数匹も飼っているということで、
自分自身もネコから進化し、
今回が人間として初めての人生なのだという。
昨年の冬、打ち合わせを終えて外に出ると突然、
眼前に展開した一面の銀世界に驚いたことがあり、
おもわず「嬉しいだろう?」と聞いたところ・・・

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インドの旅2

その後、どうしているのかというお問い合わせもあると聞き、
また、セミナーのこともあるで、恐縮しつつも近況を。
現在私は南インドの山小屋でなんとか棲息している。
通信をはじめとするさまざまな不便は仕方がないにしても、
昨夜は、部屋のなかにもともと住み着いていたヤモリに加え、
蛙が大発生した。
一夜にして、5匹、10匹と湧いてくるので、どこから来るのかと思ったら、
外界と通ずる穴から顔を出す蛙とたまたま目が合った。
先方も、日本人を見たのは初めてであっただろう。
その穴をわずかに残る貴重なティシュでふさぎ、寝たものの、
夜中、蛙とヤモリが顔の近くを行き来する気配で目が覚めた。
彼らをつぶさないように気をつけながら起き出して、
何匹かは外にお引き取りねがった。
もともとは、すべて彼らの住処であったことを思うと申し訳ない気持になるが、
仕方がない。
こんなことをしながら、体調のほうは残念ながら未だ回復途上にあり、
パリハーラムも道半ばである。
止まらぬ吐き気や下痢について医者に相談したところ、
彼は今までの日程・旅程を知り、
そんな無理をしていては一生よくはならないだろうと予言した。
心身ともに休息をとりなさいというのだが、しかし正直、
そうは言われても、というのが人情だ。
日本の状況についても解決できないことが縷々あり、
どうしたらいいかと思い、悩む。
セミナーについては、大変申し訳ないことに、10日は不可能な状況となってしまった。
代替日として18日(日)を模索しているが、これができるかどうか分かるのは、
7日から10日の間のどこかだと思われる。
行なう場合は、今回のインドの旅についても触れてみたいと思っているが、
いずれの場合も、7日から10日の間にホームページに告知する。
以上のような状況で大変ご迷惑をおかけしているが、
20日の聖書会は何としても行いたいと思っており、
それまでにすべての必要なことを終え、帰国したい。
私がみなさんのために祈らなければならないのに・・・

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インドの旅

大変遅ればせながら、皆さまのお力添えをもちまして、
第22回『大いなる生命と心の旅』は、無事終了いたしました。
日本でお祈りいただいた皆さまには、心より感謝いたします。
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困難ながら神聖なこの旅をご一緒いただいた皆さまとはこの上ない絆が生まれ、
奇跡的な体験をされた方、されつつある方もおられるようだ。
私の方は皆さまと空港で泣く泣くお別れしてから、今回も孤児院を訪問させていただき、
特別なお食事とともに、お預かりした毛布をお届けした。
それに続く旅は、相も変わらず難しいものとなっており、
今日で断食の三日目を過ごしている。
私が50キロを割らないようにと日本でお祈りくださっている方もおられるというのに、
あっという間に割り込んだ感じだ。
体温が奪われるらしく、南インドにいるというのに寒いと感じる。
毛布がごわごわして硬く、保温性に乏しいので、
孤児院においてきた柔らかい毛布を一枚でいいから持ってくればよかったとつい思っては、
あの毛布と、一緒に触れた子供たちの手の感触を思いだす。
今回のパリハーラムが難しいのは、
行なうことが直前まで明らかにされない点だ。
それを読むためのパリハーラムがまたあり、進行は困難を極めている。
したがって、困ったことに、いつ帰国できるかがいまだに分からない。
2月中は無理だろうとは思っていたが・・・

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旅立ち

もうすぐ車がきて、成田に向う。
今回も、出発前日は眠ることができなかった。
が、途中で『王者』に対するイスカーナさんのコメントを読んでしまい、
ひととき笑ってしまった。
準備がすべて整ったわけではない。
しかし可能なかぎりのことをしてきた。
そうして、60名の参加者の皆さんとともに聖地に赴き、
日本におられる皆さんと……

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王者

世の中には、深いご縁を感じさせる人がときどきいるものだが、
この男との出会いも忘れることができない。
K1闘士として闘い、二度の網膜剥離に苦しみ、
ときには一周りも二周りも体格の大きな相手を粉砕し、
闘い続けてきた大山峻護君。
この度、ロードFCミドル級トーナメントで優勝し、
ロードFC初代ミドル級チャンピオンのベルトを巻いて帰国した。
瞑想をお教えしてから、もう長く彼の闘いを見続けている。
それはときには病気との闘いであり、怪我との闘いであり、
ときには俳優としての仕事にも誘われながら、
しかしブレることなく格闘技の道をきわめてきた。
それは、なにより自分との闘いであったろう。
その意味で、今回のベルトは、体力や技術の勝利でもあるだろうが、
それよりもむしろ……

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縁(番外) 

通夜・告別式の日、若くて可愛らしい二人の女性をみかけたが、
それがY家のご令嬢であった。
『理性のゆらぎ』が出た前後、
まだ4歳か5歳であったEちゃんの笑顔があんまり可愛いので、
私の友人までもがとろとろに溶けていたのを想いだす。
私がよく冗談で、
「先生は結婚しないで、Eちゃんが大きくなるのを待ってるからね」
などと言うと、父親であるYさんはそれを笑いながら聞いているのだった。
そのEさんがいまや美しい女性に成長され、大学院に通っておられるのだが、
父親から、この娘には恋人がいないと聞いて、
思わずホッとするこの気持ちは一体なんなのか……。
次女のAさんのほうは、告別式の翌日が大学受験なのだといわれた。
なんと、上智大学神学部を受けられるという。
キリスト教が好きで、聖地ルルドなどにも行きたいと……。
実は当時、なかなか次のお子さんができないでいたY家に、
私がインドからさる神秘の薬を持ち帰り、
それを一粒呑んだYさんにできたのが、今のこのAさんだった。
こうして“Aちゃんは私がつくった”などと仲間うちで公言していたのだが、
その子を、私自身は長く知らなかった。
私がアメリカにいたとき、Y家が遊びにきてくれたことがあったが、
そのときには彼女は存在しなかったのだ。
あれから18年が経ち、彼女もまた美しく、立派になられた。
将来、一緒に……

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縁 4

私たちの知らないところで、何が起き、どのようにして運命が決まっていっているのか、
私たちは、まさに与り知ることができない。
それは、何十年も、何百年も前に起きたことかもしれない。
地球の裏側で“偶然”起きたことかもしれない。
天界で神々が相談したことかもしれない。
こうした考え方は多くの人びとにとって非常識に聞こえるかもしれないが、
私には、すべてが物質世界のなかで営まれていると信じられることのほうが
申し訳ないが常識的でないと感じられてしまう。
瞑想を教えたり、教えられたり、
聖典や聖句を解説したり、それを聞いたり、
聖地にご一緒して共に祈りや儀式を捧げたりする会員の皆さまとも、
Yさんのようなご縁をそこはかとなく感じる瞬間があり、
いい知れぬ感興に浸ることがある。
が、それらのご縁がどういうものだったのかを知ることは、私たちにはできない。
ご尊父様は2012年1月25日に亡くなられたが、
和尚様の法話によれば、
浄土宗の開祖であられる法然上人がお亡くなりになったのが……

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