アダムの肋骨4

それは映画や、ドラマでのみ見ると思っていたような光景だった。
私は助手席で、絞り出すような唸り声を何度かあげた。
正気にもどって運転手に声をかけると、幸い、彼女のほうは無事なようだった。
相手のタクシー運転手は、すでに車外に出て電話連絡を始めていた。
私は、なんとか車外に出、タクシー運転手に「大丈夫ですか?」と声をかけた。
すると、それまで普通に電話連絡をしていたように見えた運転手は、
突然、フラフラッと気を失ったようになり、
道端の植え込みにへたり込んでしまった。
ドラマや映画では、事故を起こした車のクラクションが鳴り続けるシーンがよくある。
それは運転手がハンドルの前に覆い被さるからそうなるのだと思っていたが、
ちょうどそのように、タクシーのクラクションが鳴り続けていた。
閑静な住宅街での大きな衝突音と、鳴り続けるクラクション。
野次馬が次々集まってきて、われわれの様子を遠巻きに見ていた。
なかには、近寄ってきて「救急車を呼びましたよ」と声をかけてくれる人もいた。
救急車!?……

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アダムの肋骨3

5月28日、聖者の指示どおり、伊勢神宮に向かった。
当日朝、まだ6時台だっただろうか、ある方から突然に電話をいただいた。
思いも寄らない方からの電話で、
朝から、決して単純ではないテーマについて話し合うこととなった。
通常であれば、後日ゆっくりまた、とするべき内容であったのだが、
私自身がその問題にかねてより関心を寄せていたということもあり、
ほとんど1時間をそれに当てた。
受話器を置いたころにはもう、新幹線の駅に向う車の迎えが近づいていた。
が、この日にかぎって、さらに二本、電話が入った。
それらにも誠心誠意お応えし、慌てて支度をして部屋から飛び出したが、
この日はさらに、都内の主要道路が予想を超えて混んでいた。
いつも献身的に運転をかってでてくださるボランティアの方は、
それでもなんとか時間に間に合わせようとし、
主要道路を離れて迂回路に入ってくれた。
……が、その迂回路がまた、渋滞していたのだった。
この日がなぜそうなのか、理解できないまま、
渋滞を抜け、スムーズな走行に入れそうだと思ったそのとき……

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アダムの肋骨2

5月26日、他に参拝したのは、法然寺と善通寺である。
法然寺のご本尊は、法然ご自身の作と伝わる阿弥陀如来立像。
のみを一度打つごとに、三度拝礼をしながら彫り上げられたという、
いわゆる『一刀三礼』の仏像である。
また、善通寺でも、花を捧げ、祈り、戒壇巡りをして弘法大師生誕の地で瞑想し、
指示されたすべての勤めを果たすことができた。
最後に、少しの時間をいただいて、善通寺でお守りを買うことにした。
浅草や鎌倉、東北の被災地などに
いつも車を出してくれている方のためであった。
たくさんのもののなかから、大師が中国で恵果和尚からいただき持ち帰ったという、
錫杖(しゃくじょう)のミニチュア交通守りを選んだ。見ていた皆さんに、
「強力そうでしょう。私の命もかかってますから……」と言うと、
皆、顔をほころばせた。
朝一番の便で四国入りし、3カ所で花を捧げて瞑想すると、
あっという間に最終便の出発が迫っていた。
この日一日の巡礼と瞑想をご一緒した皆さんとは離れがたく……

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アダムの肋骨1 

聖者の指示により、5月26日、四国を巡礼することとなった。
いつものように高松入りし、空港でS君と何人かの皆さまの出迎えをいただくと、
まるで故郷に帰って来たかのような感覚に陥る。
今回、特に訪れたのは、雲辺寺である。
四国八十八箇所のうちの第六十六番札所。
もっとも標高の高い位置にあることから、「四国高野」とも呼ばれる。
789年、若干15歳の少年・空海が善通寺建立のための木材を求めて登った際、
この地の特別な霊性を感じ取り、堂を建立したとされる。
空海はまた、33歳のときにはこの地で秘密灌頂の修法を行い、
霊山としての地位を不動のものにした。
通常の方法で登ることはほとんど不可能なので、
ロープウェイを使って眼下に遥かな山並みを眺めながら着いたのは標高1000メートル、
かつてはここで数多くの修験者たちが、日々、真言を唱え、
護摩を焚いて、修行に勤しんだ一大聖地だという。
頂上には甲冑に身を包んだ毘沙門天の大像があり、威容を誇る。
毘沙門天、それは日本の神仏のなかで……

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地球環境

先日、待乳山聖天様にお参りしようとしたとき、
急に空がゴロゴロ鳴って、雲行きが急激に悪くなっていくのを感じた。
とはいえ、境内に入って手水舎でお清めをすれば、
後は数十メートルのことだと思い、呑気にお供えのダイコンを買おうとした。
が、その間に雨が降り始め、そこからお堂までほんの20メートルほどの間に、
ずぶ濡れになるほどの雨が降り、雹(ひょう)に当たった。
地球環境が不安定になっているのが、日常生活のなかで感じられる。
大地が怒(いか)っているのか、あるいは海や河、水たちが反乱を起こしているのか……。
特に3・11以降は、大地が揺れるだけでなく、
以前にもまして天候も不順になっている感じがする。
それに伴い、出てくる聖者の予言の文言も、
“不安定さ”を増しているように私には思われる。
先日突然に出てきた文言には、次の満月の前5日間と、後9日間、
インドで、ある特定の儀式その他を行なわなければならないと記されていた。
次の満月は6月4日なので、これを暦に直すと、
5月30日から6月13日となる。
そのために、私の友人は急遽インドに帰国することとなり、
それに伴って、楽しみにしていた会員の皆さんとの時間にも、
大幅な変更が強いられることとなった。
それ以外に、特定の会員の方とご一緒に行なわなければならない供儀として、
5月26日に四国を訪れ、3カ所の寺社で花を捧げ、祈り、瞑想すること、
また、5月28日に伊勢神宮を訪れ、花を捧げ、祈り、瞑想すること、
さらには、6月9日以降に日本のために行なわなければならないことも書かれていた。
ところが、この最後の部分を行なうのためには、
インドの友人もまた、日本に帰ってこなければならない。
そこで、彼は6月8日に再来日し……

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日食 2

日食の時間帯を迎える。
たとえそれが一回の人生の間に一度か二度のことであっても、
数分から数時間で終わることであったとしても、
太古の時代、コンピュータによる計算が予めできなかったとき、
人びとはこれに驚き、不吉の前兆と感じたことだろう。
昨夜は日食について、
ヴェーダの教えるやや形式的な側面をブログに書いた。
それをお読みになった皆さんからは、
早くもさまざまにありがたいお返事をいただいている。
過去、天皇は日食時に御簾にお籠もりになったとか、
精神性を探求する人は見ないとか、
聖者ヴィヴェーカーナンダも部屋にこもられた等々、
それぞれ興味深い。
会社のスタッフからも、
本日の業務は10時スタートにしますとの報告があり、
日食が終わる9時まではそれぞれが自宅待機ということかと思ったら、
これを決めたのは昨日のブログ以前であり、要するに、
セミナーとプージャの後片づけで疲れたから、という理由のようである。
いつもご苦労さま……。
昨夜のブログの内容は、ヴェーダの、したがって聖者たちの見解であるが、
これを読んでそのように過ごされる方も、
読まないで日食を楽しまれる方も、
読んだけれども、せっかくだから少しだけ見てみようという方も、
そんなことには頓着することなく日常の仕事に就かれる方も、
さまざまおられると思う。
私自身、おそらくは今生最後の機会、
ちょっとだけ見てみたいな、という気持ちも心のどこかにある。
どのようにされるのもいいと思う。
人生を生き生き楽しんでいただきたいと、いつも思う。
いずれにしても、大切なのは……

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日食

ばたばたしている間に、金環日食があと10時間以内に迫ってきた。
東京では173年ぶり、次回は300年後というのだから、
皆さんはこれを観測することをお考えだと思うし、それはそれでよいと思う。
ただ、ヴェーダの観点からは、日食を見てはいけないといわれ、
できれば屋内にとどまるのがよいとされている。
日光には紫外線が含まれるため、
日光を肉眼で直接観測すると日食網膜症を引き起こし、網膜のやけどや後遺症、
失明を引き起こす可能性もあるので、
こうした危険性を避けるために昔の人びとがそのように言ったとも考えられる。
しかし、太古の聖者たちは、われわれの気づかないことに気づいていた可能性もあるので、
以下、一応、ヴェーダの示す日食の迎え方をご紹介したい。
1)日食の始まる前と終わった後、沐浴をする。
(東京では、午前6時19分と午前9時2分)
2)日食時は、できるだけものに触れない。
3)日食中は眠らない、飲食をしない、(金銭を生む)仕事をしない。
4)可能なら、寺社仏閣で儀式に与るとよい。
5)日食時に瞑想するのは……

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プージャ

本日の【バガヴァッド・ギーター】は、
たまたまですが、「祭祀」についてのクリシュナ神の解説部分です。
それに続いて、呼吸・気息に関する生命の秘密が語られます。
その後、実際に祭祀(プージャ)を行ない、お食事をいただきますが、
今日は菜食、非菜食両方のお弁当が用意されていますので、
皆さまはお好みのほうをお召し上がりください。
充分な数がありますので……

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同行二人 3 

いろいろ外に出かけるのと、自宅にいるのと、
どちらが好きかとあえて問われれば、
たぶん、私は後者が好きだと答えるだろう。
同行二人1・2に書いたように、
外に出て初めて経験できる得難い体験も多々あり、
一慨にはもちろんいえないのだが、
どちらかといえば基本的に自宅にいて、こつこつ仕事をしていられるほうが、
私は幸せだ。
それはもちろん、私の怠惰とも関係があるのだが、
自分の内側にすべてがあるという感覚もまた、
やはりどこかに潜在しているのかもしれない。
そんな私なので、これから海外にでかけようというとき、
手放しで楽しみ、心はずむという国はそう多くはない。
だが、タイはそのうちの数少ない一つだ。
かつて、タイの皇太子殿下が壇上から降りられたとき、
まずこの国の大僧正の前にひざまづき、
祝福をいただいてから自席に戻られた話をこのブログでご紹介したが、
ことほど左様に国民は礼儀正しく、敬虔な気持ちをもっている。
日本以外のアジアの国で、歴史上植民地にならずに済んだ唯一の国で、
国王陛下が国民に深く敬愛されているという点も、日本に似ている。
この国の食べ物が美味しいのは国民のやさしさと関係があると私は思っているし、
寺院に鎮座する仏像のおもむきと、人びとの笑顔の美しさには、
関連性があるとも思っている。
そのタイで、寺院の伝統的様式に従って儀式にあずかりなさいという聖者の指示を受け、
本来が出無精の私も、今、喜んでそれに従おうとしている。
貴重な機会なので皆さんとご一緒に儀式に与り……

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同行二人 2

四国巡礼に続き、12日(土)はYさんが、
「霊的講話を聞いた後の50名の方にお食事を差し上げる」よう、
聖者に勧められた日である。
果して、50名の方にお集まりいただけるのか、
もし50名に満たなければ、やり直すことになってしまう……
そんなふうに思っていたが、
それぞれに忙しい皆さん、パーティまで残っていただいた数は、
41、42、43人……で止まってしまった。
定刻前、もうしばらくお待ちして、44、45人。
そして最後に、46人目がおいでになった。
スタッフを合わせてちょうど50名。
聖者の指定どおりの人数で、ゴーヴィンダ倶楽部を滞りなく行なうことができた。
四国から帰っても、お大師様がここまで面倒みてくださったようにも思えるし、
インドの神々のお取り計らいのようにも思え、
両者に違いがあるのかないのか、
渾然一体として分からない。
ところで、今度の20日(日)解説する【バガヴァッド・ギーター】では、
クリシュナ神自らが調息と気息(呼吸)、そして、
実在に至るさまざまな方法について語っている。
この部分、本来は……

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