アダムの肋骨14

気づいてみると、知らぬ間に眠りに落ちていたらしく、
寝返りをうとうとする自分のうめき声で目が覚めた。
もう一度眠ろうとしても寝つけず、
カーテンの外が明るくなってくるのを待つ。
そうして待ちわびた朝が来たと思って時計を見ると、
実際にはまだ5時であることに愕然とした。
朝、一番で近くの整形外科に行く。
狭い待合室には、通常の椅子が7、8客と、
おそらくは補助の丸椅子が十いくつも並べられていたが、
それが次々お年寄りの患者さんで埋まり、なお、立っている方がいるのを見たときには、
これからこの国が向っていくであろう未来像を垣間見たような気になった。
1時間ほども待って、とにかく胸と膝のレントゲンを何枚かずつ撮り、
ふたたびしばらく待っていると、写真が現像できたようだった。
(せめてヒビぐらいで済んでいれば……)
そう、願わなかったと言えば嘘になる。
しかしレントゲンを見た医師は、即、折れた箇所を見つけ、指さした。
飄々とした感じの医師で、
「ほーぅ、ほぅほぅほぅ、きれいに折れてますねぇ〜〜」
と言って感心してくれた。
肺と肝臓の両方に近い位置で、
肺に刺されば気胸に、
肝臓のほうに刺されば大出血はまぬがれなかったらしい。
「それにしても、これを一日、放っておいたんですか?」
「ええ……、あの、ちょっと忙しかったもので……」
そう言って私は、背中をすぼめた。
一般に骨折を治す薬も、有効な治療法もない。
できるだけ固定して、安静にしているしかない。
飄々としていたはずの医師は、看護師さんにコルセットをもってこさせると、
一転、毅然としてこれをきつく巻かせた。
「苦しくないですか?」
(苦しくないはずがないでしょう!)と、思わず言いたくなった。
少しゆるめてもらい、もう一度ゆるめてもらったが、それでもなおきつい。
「ひと月半くらいはかかりますので、いいですかぁ、安静にしててくださいね〜」
ふたたび、医師は飄々と言った。
「動かさない、温めない、咳やくしゃみもしないことですねぇ〜」
私は、必ずそうします、とばかりに口から出まかせを言った。
ここで、入院です、とか言われるのが一番困る。
一週間後、他の方のパリハーラムのため、今度は広島に行かなければならないのだ。
一方、膝のほうは思いの他深刻で、肉が少しえぐれていた。
が、仕方がない。
そもそも、あのスピードで車同士が激突、くしゃくしゃになったのだから、
はっきり言えばそのときに死んでもおかしくなかったのだ。
かつて、前の会社にいたとき、私には……

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アダムの肋骨13

その昔、足首を捻挫した当日は普通に歩いたり、走りさえしていたのに、
その日の晩から患部が二倍くらいに腫れ上がったことがある。
全治一カ月。
同じように、わずかな気力と、聖地の不思議な力でもっていたものが、
ここで一気に崩落するかもしれないという恐れも、心のどこかにあった。
まして、伊勢神宮参拝が終われば、私はいわば“用済み”なのだ。
そう思い、名古屋で降りて病院に行くということもおよそ考えなかったわけではないが、
しかしそのようなつてがあるわけでもないし、
なんといっても、そうするにはあまりにも疲れすぎていた。
ここは東京まで乗り、タクシーで家まで帰り着くんだと自分に言い聞かせた。
布団に体を横たえようとすると、意外とそれが困難であることに気づいた。
どのような方法で横になろうとしても、痛くてできない。
ただ単にゴロンとするだけのことなのに……。
それにしても、では、私はどうやって一日、
長距離を移動し、伊勢神宮を参拝してきたのか……。
誰もいないのをよいことに、
車のなかで出したようなうめき声をあげて体を横にはしたものの、
横になったら横になったで、骨には別向きのテンションがかかるらしく、
じっとしていても痛い。
これでは……

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アダムの肋骨12

突然何かが起こるという可能性は棄てきれないものの、
なんとか、外宮、内宮の参拝が終わっていった。
そのうち、私には、
胸の骨が折れているときでも、車の上下動のような不連続なものでなく、
スムーズな動きであれば、なんとか普通にできるらしいことが分かってきた。
ただ、思わず車のドアを閉めようとしたり、
加重はまったくかからなくても、
横や斜めの動きを突然とったりしたときなどに痛みが走ることが、
徐々に理解されてきた。
膝の出血のほうも止まってくれていた。
黒い、フリースのようなズボンをはいていたので、
血液をうまく吸収してくれたようだ。
帰ったら即、消毒しなければならないだろうが、
しかし半日程度ならこのままでも大丈夫だろう。
ただ、一歩いっぽ脚を踏み出す度、
膝関節にゴクン、ゴクンという妙な感触があって、気持ちが悪い。
しばらく忘れていると、膝関節から下がダランと力の入らない状態になっているので、
いつも注意していなければならなかった。
普段、体内に油分が足りないから、このようなときに関節の脆弱さが露顕する。
しかしそれでも、われわれは聖者の指定どおり花と儀式を捧げ、瞑想をし、
そうして最後には月読みの宮まで参拝して、帰路に就くことができた。
帰りの近鉄特急に乗り、スムーズな走行に入ると……

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アダムの肋骨11

参拝中、もう一つ、心に強く浮かんだことがある。
それは、「体が不自由であること」についてだった。
この日、私自身が不自由な状態で伊勢にたどり着き、
神宮でのお勤めが完遂できるかどうか分からない状況に陥った。
完遂したとしても、常に痛みや、恐れとともに私はいた。
しかしいずれ、この巡礼は終わる。
その後、少々不自由な生活がひと月やひと月半は続くだろうが、
それは有限の長さだ。
ところが、生まれつき、または慢性的な不調に苦しむ人びとには、
そうした期限というものが見えない。
いつ果てるとも知れないことが、苦しみの大きな部分を占めるのである。
世の中に、数多くおられるそうした皆さんを、
いつまでもそんなことにさせておくわけにはいかないという気持ちが、
どこからともなく湧いてきていた。
それは、カルマの法則で決まるといえば、その通りかもしれない。
しかし人は、いつまで続くか知れないような体の苦しみに、
貴重な人生の時間を費やすべきではない。
そこから学ぶべきことが、確かにあるには違いない。
しかしもし生命が、常に幸福の拡大と深化を願うものであるならば……

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アダムの肋骨10 

伊勢市駅では、そのTさんご夫妻と、
車を出してくれた現地の会員さんが、半ばにこやかに、半ば心配そうに迎えてくれた。
「大丈夫でしたか?」と問われ、
私は思わず「いや、その……」と口ごもってしまった。
すぐに気を取り直し、「大丈夫です!」と言う。
それにしても、現地の会員さんが車を用意してくれていたのは、幸運だった。
おかげで、車や、途中の道筋の段取りを心配しなくて済む。
とにかく、ここはなんとか普通に、巡礼を終えなくてはならない。
案外と、Tさんと私で歩くスピードが同じくらいになって、
ちょうどよいかもしれない……。
そんなことを勝手に想像していたが、実際は違っていた。
Tさんは、私のいかなる想定も上回るほどにお元気で、
神宮の境内を矍鑠(かくしゃく)として歩かれたのだった。
まれに、プージャの席などで拝見するときとの違いに私は驚き、
つい、私もつられて普通に歩きだす。
何の力だったのかは分からない。
やはりそれが、伊勢神宮のような聖なる土地の力なのか。
過日、四国を一日歩いたとき……

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アダムの肋骨9

名古屋で新幹線を降り、伊勢に行くには、二通りの方法がある。
一つは近鉄特急で、もう一つはJRだ。
近鉄のほうが、やや運賃は高いが、スムーズで速い。
だが、どちらが乗り継ぎがよいかは、行ってみなければ分からない。
着いてみると運悪く、時間短縮のためにはJRに乗らざるを得ないことが分かった。
案の定、JRは振動と縦揺れが激しかった。
普段ならば、大きな違いではなかったのだろう。
しかしこのときは、そのわずかな差が大きかった。
途中、咳が出てきたとき、冷や汗が同時に吹き出た。
まさか、肺が傷ついたのではないだろうか。
そうなれば、咳は止まらず、歩くこともできなくなる。
最悪の場合、わざわざ伊勢まで来て入院することになるかもしれないが、
それだけは許してほしい。
そんなことをさまざま考えながら、私は思いだしていた。
今、すでに伊勢市駅で長く待っておられるであろう会員の方は、
実はお体がやや不自由であられるのだ。
ときどき、体が不自由であったり、弱かったりする方のなかに、
鋭く、高い霊性を示される方がおられる。
たとえば、『心訳・般若心経』を書かれた柳沢桂子さんがそうだといえる。
体が悪い(悪かった)にも係わらずそうなのか、
あるいは、体が弱いからこそ霊性をより進化させられたのか……。
この日、伊勢神宮をご一緒する方は、そういう方だった。
その方と伊勢神宮を参拝することが分かったとき、
わくわくするような気持ちと同時に、しかし正直、
一抹の不安が私のなかにあったことも事実である。
あの広い境内を、果して歩いて参拝できるだろうか……。
もしかしたら車椅子とか、何か他の方法を考えるほうがよいのではないのか。
昔、聖母出現の聖地メジュゴリエを巡礼したとき、
おひと方、『ご出現の丘』に登ることが難しい方がおられた。
その方は、麓で待っているので気にしなくてよいと何度も言われたが、
しかし、気にしないということはできなかった。
予め、籠や担架のようなものを準備しておけば、
私を含む何人かの男性で担いで、
聖母マリアが最初にご出現になった丘にご一緒できた。
そのことは、『大いなる生命と心のたび』の数多くの思い出のなかで……

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アダムの肋骨8

かつて、垂仁天皇の治世二十五年三月十日、倭姫命は天照大神の鎮座地を求め、
大和纏向(まきむく)の珠城(たまき)の宮を旅立った。
近江に入り、美濃の国を経て伊勢に至った時、大神のお告げを得、
斎宮(いはひのみや)を五十鈴川のほとりに建てたという。
このような神聖な川だから、禊をするには最高の聖地であるが、
しかしその前後を飲み会にしてしまうのは、いかにももったいない。
その皆さんの一部はいまだに会社を率いておられるのだろうが、
しかし一部の皆さんはこれに失敗し、
こうしてさまざまな仕事についておられるのかもしれない。
バブルが崩壊し、リーマンショックがあり、3・11の震災、
そして今は欧州発の深刻な経済危機が迫ってきている。
それらのどれにひっかかって会社経営が破綻しても、まったくおかしくはない。
こうした相対界の変動を思えば、今、自分が経験していることなどは、
大したことではない--。
そんなことを思いながら、品川駅に着くと、最後に運転手は笑って言った。
「いい旅してきてください。
 私の代わりに、うどんも楽しんできてください」
いい人なのだ、きっと。
ただ、今の私には調子が合わない人だった。
車が上下動しただけで痛みが走るというのに、
これから伊勢まで行って、ちゃんと参拝ができるのだろうか。
時間は間に合うのか。
もし本当に折れていて、いや、たぶん折れているだろうが、
途中で痛みに耐えられなくなれば、
または何かの加減で体調が急変すれば、
わざわざ伊勢まで行って、他の皆さんに迷惑をかけることになる。
あるいは、あのまま救急車で病院に行くべきだったのか……

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アダムの肋骨7

携帯に対応しながら、私は事故現場を離れ、幹線道路に出た。
どれくらいの時間が経っていたのだろうか、通りはウソのように車が流れていた。
すぐにタクシーが来たので、私は座席にからだを忍び込ませようとした。
体をかがめても、腰掛けても、胸が痛んだ。
肉体的な胸の痛みと、彼女を一人残してしまったという胸の痛み……。
しかし、あのままあの場所にいることはできなかった。
こうする他はなかったのだと、何度も自分に言い聞かせた。
携帯での会話の一部を聞いたのであろう、
「今日は新幹線でお出かけですか?」と、タクシーの運転手が声をかけてきた。
「はい」
「どちらまで?」
「伊勢です」
こんなときに、妙に陽気な運転手に当たってしまったものだ。
運転手は、続けて言った。
「伊勢と聞いたら、どうしても『うどん』を思いだしちゃいますねぇ」
そうかもしれない。一般の人ならば。
しかし今日、私はなんとしてでも伊勢神宮までたどり着き、
外宮と内宮で儀式をあげ、瞑想をして帰ってこなければならない。
「うどん」どころではないのだ。
そんな私の気持ちをよそに、運転手の話は止まらなかった。
「私、昔JCのとき、あそこで禊をしたことがあるんですよ」
JCとは、日本青年商工会議所、つまり若手経営者の集まりである。
「1月の厳冬期に、五十鈴川に入るんです」
運転手は、かつて青年実業家だったのだろうか……

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アダムの肋骨6

私には、もう一つの懸念があった。
今、救急隊員に何かを聞かれ、まともに答えれば、
私は救急車に搬入され、病院に行くことになるだろうと思われた。
見たところ、運転をしていた二人には、内心の傷はともかく、
目立った外傷はないようだった。
一方、私は胸の痛みがひどく、膝からも出血していた。
少なくとも胸のほうは……骨が折れているように思われた。
考えたくなかったが、自分だけに分かるその“感覚”は、
かなりの確度で正しいはずだった。
このまま救急隊がきたとき、すべて正直に答えれば、
おそらくは救急車に乗せられ、病院に行くことになる。
私がここにいても、何の役にも立たないばかりか、
伊勢にも行けないことになってしまう。
パリハーラムはこの日の指定で、しかも私がいなければ成立しない。
そのために、3人の会員の方が朝早くそれぞれの家を出て伊勢に向っているはずだった。
しかし、私だけがいつまでも現れない--。
そんな事態だけは避けなければならなかった。
「救急車を呼びましたよ」と通行人が言ってから……

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アダムの肋骨5

運転していた女性は、気丈で冷静だった。
迂回路に入ったときも、渋滞に気づいた彼女は、即、
もとの幹線道路に戻ろうとしたのだった。
ところが、一方通行であったり、
タイミングが微妙にずれたりしてそれができないでいる間に、
猛スピードのタクシーに衝突された。
こうした事情や、もともとが善意のボランティアであることを思えば、
さぞ無念であったろうに、
彼女は朝早く起きて作ってきたという食事を私に手渡し、言った。
「タクシーを拾って、早く伊勢に向ってください。
ここは私がちゃんと処理しますから」
たしかに、そのとおりだった。
今、私がいかなければ、
“今日”という指定のある伊勢神宮での供儀は永遠にできなくなる。
そんなことは、伊勢で待つはずの会員の方と、予言を残された聖者、
神々に申し訳なくてできない。
しかしこの場を後にするということもまた、できなかった。
これからここには救急隊が来て、警察も到着するだろう。
そのとき、彼女はこれに対応しなければならない。
相手はタクシーの運転手だから、
今はフラフラしているとはいえ、
こうしたときのためのマニュアルを勉強しているに違いない。
それは、自らと会社の利益を最大限保全するものだろう。
私の感じた限り、この住宅街で、
タクシーのスピードのほうが尋常ではなかったように思われる。
しかし、相手の運転手も生活がかかっている以上、
そのことを素直には認めないかもしれない。
証言は、大きくか、些細な点かは別として、食い違うかもしれない。
そのとき、警察がどちらの言うことを信用するのか……

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