越年

 師も走るという師走、誰もが限られた時間のなかで、今年最後の仕事を終えようと している。そうしてまた、一年が駆け足で通りすぎる。
 日本での仕事を必死の思いで片づけ、ぼくはインドに行く。今の時期、そう暑くは ないが、あの国は渇いた、視線の突き刺す、くつろげない国である。ひとたびインド に入ったなら、気を抜けるということがない。そんな国で、年末から一カ月あまりを 過ごす。
 インドに行くときには、常に明確な目的意識がある。そうでなければ、あのような 国に行くことはできない。今回の場合は、来年教え始める予定の瞑想に関係がある。 しかしそれでも、年末年始を日本で過ごせる人が、うらやましく思えてならない。
 いずれにしても、この欄を見に来てくださる皆さんが、よい年を迎えられますよう に。それぞれの家族に安らぎがありますように。ささやかでも、世界に平和が訪れますように。そんなことを願いながら、インドの山奥で年を越す。

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叙勲 3

 そうしてみると、人が本当に心惹かれるのは、やはり人間自身の内面や存在の深奥なんだと、あらためて思う。
 正直にいえば、今回も出がけに、こんなことをしていて時間がもったいなくはないのかと、チラと自問したのだ。が、伊藤監督は、人間の内面を描き出すことだけを考える人で、ぼくはそのことに共感している。
 実はその昔、『理性のゆらぎ』がまだ海のものとも山のものともつかぬ原稿のとき、これを丁寧に読んで批評してくださったのが、監督だった。
 そして、あれだけの数の人なのに、招待状に自筆の文を書き加える人柄……。多分、あのきら星のような俳優や女優も、そういう監督の内面から力を引き出され、実力以上の演技をするようになるのではないか。
 栄えある叙勲は、そんな監督の人間性に対するものだと思うと、なんとなく納得する。

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叙勲 2

 もっと感激したのは、キャンパスを歩いているときだった。高校の化学の教科書や、大学の物理の専門書の著者たち、ノーベル賞候補といわれる人たちが、キャンパスを普通に行き来している。それを見たとき、そして、そういう人たちの講義を聞いたり質問したりすることができたとき、ああ、東京に来たんだ……と思ったものである。
 ところが、今回、きらびやかな舞台や俳優さんたちを見ても、あのころのような感慨は起きてこなかった。富や名声や、美しさを兼ね備えた人たち。芸術や文化の神々 から特別な愛を享受し、幸福を一身に享受するために生まれてきたように見えるあの人たちも、親しくなってみると皆、普通の人と同じ悩みに苦しんでいる。え?この人が、こんなことで悩んでいる?世間の人には、そんなこと、絶対に信じられないだろうみたいな……。

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叙勲 1

 映画監督の伊藤俊也さんが紫綬褒章を受けられたので、お祝いの席に行ってきた。 『奇跡の人』『誘拐報道』『白蛇抄』『プライド ──運命の瞬間──』など、人間性の哀しみをえぐり出す話題作を次々と世に問われてきた方である。
 予想どおり、東京プリンスの大広間は人、人、人でいっぱいで、映画会社の偉い人 たちや俳優さん、女優さんたちが次々と壇上に上がってスピーチをする。その様を見 ながら、昔、東京に出てきたばかりの頃のことを思い出した。
 そのとき、駒場の商店街で、たまたまロケ中の三浦友和を見たのだ。地方にいて、 テレビだけで見ることのできた俳優が突然目の前に現れたとき、18だったぼくは、 正直、ちょっと幻惑されるような気分になったのだった。 

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古巣 2

 懐かしさのあまり、キャンパス内にある生協の本屋さんに行った。建物を入って、 階段を昇っていくときの独特の香りや風景が、昔と少しも変わっていない。大学にいたころ、何百回も昇り降りした階段は、今でも目をつぶって昇れそうだった。おまけに、本の配置も同じ。昔、理学書があったのと同じ位置に、今も理学書がある。ベス トの配置なのだろう。
 変わったこともあった。生協の食堂で定食を食べたのだが、昔、250円から300円くらいだったのが、今は450円から500円くらい。
 それともう一つ。ぼくが研究室にいた頃助手だった先生がくれた名刺にさりげなく 書かれていた肩書は、「東京大学教授」。考えてみれば、あれからもう20年近くがたったのだ。

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古巣 1

 しばらく……といってもほとんど一年間、エッセーをお休みした。その間に書いたこともあったのだが、中途半端な感じがして掲載しなかった。変化はいつも突然で、驚きに満ち、簡単には書けなかった。
 ここ数カ月の間に本格的に再開した科学研究のため、久しぶりに古巣の研究室に顔を出した。かつては理学系研究科相関理化学専門過程といっていたのだが、今は名称が変わって総合文化研究科とかいうらしい。昔の先生についても、いろんな懐かしい話を聞いた。
 当時の指導教官は、その後、学部長になったのに研究をあきらめず(普通は研究をやめるもの)文部省の化学研究費を3億円ほど当てた。そうして、長年温めていた「準安定励起状態原子衝突を応用した顕微鏡」というのを世界で初めて開発し、Natureに論文を載せたという。
 NatureとかScienceといった雑誌に論文が載るというのは、科学者としての栄誉といってよい。昔のぼくの論文は、Journal of Physical Chemistryのような雑誌に載せていたが、「ぼくも雑誌にいくつか論文が載りました」「え、どんな雑誌です?」「たとえば、ヤング・ジャンプとか少年マガジンとか……」と言ったら大いにウケたりした。

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第八回 〜聖者と天使、そしてローマ(B.Cコース)〜 七日目

 この日朝、Bコースの皆さんは帰路に着く。過ぎてしまえばあっという間の、しかし忘れることのできない巡礼。
 たぶん、人生も同じなのだ。われわれの人生が終わるとき、それがあっという間だったことに、誰もが驚くことになるに違いない。しかしそれでもなお、一回の人生には無限の重みがある。
 パリを経由して帰られるCコースの方は、午前中、最後の自由時間を楽しむ。ローマ三越に行った方、ふたたび聖ピエトロに行った方、ホテルでゆっくりされた方……。皆さんにとっていい旅だったことを願いながら、私はローマを離れた。

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第八回 〜聖者と天使、そしてローマ(B.Cコース)〜 六日目

 この日は終日、ローマの教会巡り。普通のツアーでは決して行かない見どころを回った。
 イエスを磔にしたといわれる木片と釘が保存されている聖十字架教会(サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ)。残念なことに、一部が現在修復中で、一部の釘しかなかった。が、それでも充分。
 かつて日本にキリスト教をもたらした聖フランシスコ・ザビエルは、アジア各地で布教し、亡くなった。死後、腐敗しなかった彼の遺体がほしいと、多くの国が名乗りを挙げたが、右腕一本でもほしいという要望で右腕を切り落としたところ、鮮血が流れ出、それから遺体が干からびたと言われる。その彼の右腕は、何十年かに一度日本にもくるが、それが保管されているのがジェズ教会。さらに、江戸時代に描かれた長崎殉教者の大絵を拝見する。ここにはまた、イエズス会の創立者聖イグナチオ・ロヨラの遺体もある。
 シエナの大聖女カタリナのご遺体と、名画「聖トマス・アクィナスの勝利」を見ることのできるサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会、巡礼者の心の願いを必ずかなえてくれる聖幼子像のあるサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会を経て、最後に、サンタ・マリア・マッジョーレ教会へ。
「8月に雪を降らせます。その場所に教会を建てなさい」と聖母に言われ、実際に雪の降った場所に建てられたという壮麗な教会。そういえば四年前、『最後の奇跡』を書くため、初めて訪れたローマでミサを依頼したのがこの教会だった。
(クリックで画像拡大)
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コインはいくつ投げられたか…?
1個:もう一度ローマに来られる   
2個:好きな人と一緒になれる  
3個:別れられる
(トレビの泉)
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鞭打たれイエスが繋がれた杭
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ローマの回転寿司

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第八回 〜聖者と天使、そしてローマ(B.Cコース)〜 五日目

 「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ご健康状態がすぐれぬため、今年は例年よりも早く避暑地カステル・ガンドルフォに行かれます。従いまして、ヴァチカンでの謁見は中止……」
 日本を発つ少し前、そんな報せが届いた。法王のご健康ではやむを得ない……。そう、なんとか自分に言い聞かせようとしていた。……が、参加者の誰かが、祈りを捧げたのに違いない。あるいは、全員が祈ったのか。法王は、移動先のカステル・ガンドルフォで謁見を行なわれるという報せが届いたのだった。
 当日、世界中からの巡礼者のバスが現地を目指す。果して、狭いお城の庭に入りきれるのか……祈りながら順番を待つが、後になって、実際に入り切れない巡礼者もいたことが分かる。
 午前10時、人びとのどよめきと共に、予定よりも早く法王がお出ましになった。世界中からの巡礼団に一つひとつ呼びかけ、祝福される。ちょうど、法王の玉座のあたりに朝日が差し込み、美しい。
 立ったままの謁見。だが、体のご不自由な法王による、祝福の波動は充分すぎるほど届いた。その後、事務局に行き、今回、旅行に参加できなかったKさんから預った贈物を法王宛てに託す。日本の聖地の石に彫った十字架が、少しでも法王の体調を改善してくれることを願いながら。
 午後はサン・ピエトロ大聖堂を巡礼。大聖堂のなかもさることながら、法王選出選挙が行なわれる、そしてミケランジェロの壁画『最後の審判』で有名なシスティナ礼拝堂はさすがに圧巻。
(クリックで画像拡大)
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光さすローマ法王
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法王謁見を終えて
(カステル・ガンドルフォ中庭)
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『最後の審判』を
説明するガイドさん
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2001年の巡礼でくぐった聖なる扉
(第4回 大いなる生命とこころのたび)

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第八回 〜聖者と天使、そしてローマ(B.Cコース)〜 四日目

 四世紀、異教徒との戦いに疲れた司教に、大天使聖ミカエルが現れ、戦いを勝利に導くと告げる。そのとおり、戦いに勝つことのできた司教が、どのようにして天使に感謝しようかと思っていると、天使はふたたび現れ、すでに自分は山の洞窟のなかに祀られていると告げた。その山が、モンテ・サンタンジェロ。ピオ神父も、現在のローマ法王も、この地に巡礼に来た。
 この教会の売店で、私は、いまだ見たことのないほど美しい天使像を発見した。……が、天使は大きく羽を拡げ、左右、上下、ともに50センチほどもある。泣く泣く、諦めて出ることに。それでも諦めきれず、こうして日記に書く。
 時代は下って八世紀。一人の司祭が、聖変化されてイエスの体となったはずのパン
(聖体:『最後の奇跡』87ページをご参照ください)が、本当にキリストの体かどうかを疑った。次の瞬間、ウェハースは血のしたたる肉となった。千数百年を経た今も腐敗していないこの肉は、分析によれば人間の肉であり、心筋と心内膜、神経組織を含み、血液型はAB型であること等が判明した。現在、これを管理するコンベンツァル・聖フランシスコ会のご好意で、実物を拝礼する。
 南イタリアの二大聖地を経て、我々はいよいよ永遠の都・ローマへ。
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血と肉になった聖体

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