愛煙家 1

 常々、タバコの煙にいい思いをしていない。
 臭い、というレベルの話ではない。敏感な人は、副流煙によりアレルギー性鼻炎を誘発する。頭痛がする。気持ちが悪くなる。風邪をひきやすくなる。愛煙家は、自分が食事を終えると美味そうにタバコを吸うが、周りはせっかくの食事がまずくなる。味覚は、常に嗅覚と共同で働いているからだ。風邪で鼻がつまると食べ物の味がしなくなるのは、その理由による。
 そんなの、ちっとも気にならない、という人もいる。が、そういうタフな人でも、実は副流煙によって刻々と健康は損なわれている。副流煙が、主流煙に比べて数倍から数十倍、ものによっては百数十倍の発ガン物質を含むことは、単純な測定で得られる事実である。
 愛煙家の多くは、タバコが自分の健康だけではなく、他人の健康をも損ない、不快感を与えているという事実を、実は知っている。が、それを認めたくはない。自分が長年にわたって他人に迷惑をかけているという事実を、誰がすすんで認めたいだろう。
 それでも、ぼくは知っている。多くのタバコ吸いが、他人の前では平気でタバコを吸うのに、自分の子供の前では注意深く喫煙を避けるのを。

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妃殿下 8

 多くの純粋な方たちと出会い、妃殿下や王女と底抜けに明るい時間を共有した数日間は、あっという間に過ぎてしまった。
 この間、車で移動中に、晴れていた空が急に曇って、突然雪が降り始めたことがあった。最初ぱらぱらとした粉雪だったそれは、五分後にはまるで吹雪のように吹き、われわれの視界を真っ白にした。
「見て……きれいだわ」
 となりの席で、妃殿下がそうつぶやいた。もちろん、彼女自身は雪を見たことがある。が、カンボジアから来た子供たちにとっては、初めてなのだ。
 彼女の本当に嬉しそうな笑顔が印象的だった。そうだ。そうに違いない。年末から年始にかけてインドの山に籠り、今シーズン初めて雪を見たぼくですら、こんなに嬉しいのだ。まして子供たちは、生まれて初めて見るこの雪をどんなに喜ぶだろう。
 そんなことを想像したり語り合ったりしながら、われわれは車の中で、それこそ子供のようにはしゃいでしまったのだった。

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妃殿下 7

 ミーティングが終わった後、ひろしま平和貢献構想を立ち上げたという、県の総務企画部・国際企画室長という方が歩み寄ってこられた。「Nと申します」というこの方は、続けてこう言った。
「先生のことは、(ポカラの会の)倉光先生から、いつもうかがっています」
 なんとこのNさん、ぼくの卒業した広島学院の先輩だという。当然、大木神父からも直接の薫陶を受けた。ぼくは十六期だが、彼は八期生である。
「この方は、私の高校の八年先輩に当たります」
 そう言って紹介すると、妃殿下は大いに驚いたそぶりを見せた。そうして、Nさんとぼくとでは、親子ほども年の開きがあるように見えたのだと、後で内緒でささやかれたのだった。

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妃殿下 6

 イベントは、大いに盛り上がった。こんなとき、ぼくはつくづく思う。組織には、中心となる人物がいるだろう。イベントには、オーガナイザーがいるだろう。だが、このようなイベントを成功させる力は、本当は、プログラムに名前も出ないようなボランティアのかたから来る。遠方から飛行機や列車で来てくれる、一般の方の純な気持ちから来る。
 この日、われわれは高松を離れ、広島県庁に向かった。
 人類最初の被爆体験をした広島は、改善の兆しを見せない今日の世界情勢を憂え、国際的な平和貢献の道を探っている。その一環として、いまだ内戦の傷が癒えないカンボジアの復興支援をしていこうというプロジェクトが数年前に立ち上がった。
 行ってみると、県庁の人たちや、それを支える学者・有識者の皆さんの真剣さが伝わってきた。ぼくは密かに、広島県民であることを誇りに感じていた。
 妃殿下は言われた。
「私にとって大事なのは、どの政党が選挙に勝ち、どの政党が政権を取り、といったことではありません。カンボジアの国民が、尊厳をもって自分の力で生活していけるような、そんな国に早くなってほしい。それだけが私の願いなのです」

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妃殿下 5

 今回、カンボジアからは、妃殿下と王女以外に七人の子供たちが来日した。彼らは、実はほんの一年前まで、カンボジアの路上で食べ物を漁っていた子供である。それが孤児院に拾われ、教育を受け、今回はカンボジア舞踊を披露するために来日した。そうして、実際に素晴らしい踊りを披露し、多くの日本人がそれを見て涙した。
「あの子たちに、ご褒美の品物を買いたい」
 そう言って妃殿下が行かれたのは、なんと百円ショップであった。日本の百円ショップで売られている品物は、カンボジアの子どもらの水準からすれば充分に立派である。彼女は何度も百円ショップに立ち寄り、子どもたち全員の分と、今回世話になった人びとへのお礼の品を買い求められた。
 食事どきには、ファミリー・レストランや回転寿司に行った。そうして妃殿下は、日本の庶民が食べるすき焼き定食や、焼き鳥、マグロの刺身などを喜んで召し上がったのだった。

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妃殿下 4

「カンボジアでも、やはり王室は世継ぎの男子をご所望なのでしょう?」
 これに対する妃殿下のお答えは、意外なものだった。
「たしかに、保守的な人の中にはそう考える人もいますが、私自身はそう思いません。男子と女子の間に、本質的な区別はないはずです」
 実は、カンボジアに不幸な内戦があったとき、王室のメンバーも迫害され、殺され、あるいは祖国を追われた。その後、彼女はフランスで教育を受け、アメリカに渡られ、そこで現在の夫である皇太子と巡りあったという。その意味で、彼女は東洋の精神を持ちながら、西洋的な教育を受けた現代人でもあった。
「日本の皇室にはいくつもの宮家がありますが、驚くべきことに、男子のお世継ぎが一人もいません。おそらく日本は皇室典範を改正し、将来は女帝が誕生することになると思われます」
 ぼくがそう言うと、彼女は応えた。
「そのとき、日本の女帝とこの子たちの間で、新しい時代を築いていくことができるのではないでしょうか」

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妃殿下 3

 実際、東洋の文化は、あまりに共通点が多い。
「われわれ日本人は、どんなものにも、たとえば木や森や、山や川や、星や空間にすら、意識が宿っていると素朴に信じています」
 そう言うと、妃殿下は、「それは私たちもまったく同じように感じます」と言われた。「そのなかで、私たちは生かされているのです」と。
 彼女はまた、傍らにいた王女を自分が妊娠する前、神々がそのことを教えてくれたという話をしてくれた。
「この子を身籠る前、四人の神々を夢に見ました。そのうちのお一人が口を開いて、私が女の子を身籠ると言われるのです。周囲は全員、男の子を望んでいました。王家付きの占星家らも、私が男の子を身籠ると予言しました。でも、私だけが知っていました。生まれてくる子は女の子だと」
 なんとこの神が、彼女に、生まれてくる子の名前まで授けてくれたのだというのである。そうして実に、二人目の子供のときも同じようなことがあって、実際に女の子が生まれた。

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妃殿下 2

 会場は、高松空港から車で5分のところにあった。控室に通されると、そこで一人のカンボジア人女性が弁当を食べていた。傍らには二人の女の子がいて、すでに食事を終えている。セーターにジーンズといった気さくな姿のこの人たちに、ぼくも普通に挨拶をした。貧困に喘ぐカンボジアの方にしては妙に気品があると思ったが、実はこの方が、カンボジア王子の妃なのであった。
「妃殿下は、ヨーガや瞑想も実践されています」
 お付きの方にそう紹介され、自然と会話が始まった。
「実は私も、ヨーガや瞑想に大変関心を持っています。われわれアジアの文化は、違っているように見えて、実は一つの共通の基盤をもっていると思います」
 そんなことを言うと、妃殿下は、まるで我が意を得たりといった感じで微笑まれた。

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妃殿下 1

 知人の知人は、新聞記者を辞めてすでに久しく、カンボジアに足繁く通いつめている。この人は、そこで井戸を掘っている。井戸を中心にして小さな集落を造り、内戦と貧困で疲弊しきった人びとが自立できるようにしてやることを、彼はこれから死ぬまで続けたいと思っている。そうしてかねがね、ぼくもこの仕事を手伝いたいと思ってきた。
 そんなところに、それとはまた別のNPO法人からシンポジウム参加のお招きがあった。セアロという個性的なお坊さんが中心になっているこのNPO(非営利活動法人)は、カンボジアのストリート・チルドレンを収容し、教育を施し、周囲の人びとにも物資を届けるという仕事をしている。
 実はぼくは、セアロとは何度かおしゃべりしたくらいで、そう多くを知らない。ずいぶんくだけた感じの、とてもいいおじさんという印象だ。ただ、彼がカンボジアの子どもたちを助けようとしている熱意だけは伝わってくる。
 偶然とは思えないこのお話にのって、ぼくは四国・高松に行くことにした。

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帰還

 インドから帰った。いつものことながら、嬉しい。心からほっとする。
 初めてインドに行ったのは1990年の11月。三カ月滞在して、年が変わり、91年に帰国した。飛行機が成田に降り立ったとき、乗客の間から拍手が湧いた。ぼくは思わず、それに便乗していた。
  機外に出れば、当然のことながら日本人の職員がたくさんおられ、ますます嬉しくなってくる。特に、あのベルトコンベアのような荷物受け取り所に立っていた日本女性の、普通に日本人らしい平板な顔を見て、ぼくは思わず全身が弛緩しそうになるほど嬉しかった。『理性のゆらぎ』は、機内で寝込むシーンで終わっているが、その後のことである。
 当時、e-mailのようなものはなかったので、帰ってきてから整理するのは留守電とFaxだけだった。今日ではそうはいかない。これから500ほど溜まったメールを読み、返事をしたためる。毎回、楽しみでもあり、また、ときどきは怖くもなる作業である。

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