宇宙 3

 われわれの住む太陽系には、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星と、9つの惑星がある。その中心にある太陽は、自ら光り輝く恒星であるが、われわれの住む銀河系には、こうした太陽のような星が1000億ほどあると考えられている。
 1000億! この数字がどのようなものであるかを想像するために、今、キリストが弟子の一人に、銀河系内の恒星の数を数えていくように指示したとする。
 「一秒に一個数えていって、終わったら私に報告しなさい」
 そう言われた弟子は、やや不安に思う。ずい分たくさんありそうだ。今年中に数え終えることができるだろうか……。ともあれ、最初の一個から数え始め、そうして1時間で3600個、一日で8万6400個を数えることができた。食事も、風呂も諦めてこの調子で一カ月続けた彼は、実に259万2000個を数え上げる。一年で3110万4000個。

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宇宙 4

 そのうちに、キリストは他の弟子に裏切られ、十字架に架けられて死ぬのであるが、律儀な弟子は、キリストの言いつけを守り続ける。2年、3年と続け、10年で3億1104万もの恒星を数えた。一秒も休まず続けた弟子は、そのうち自分に肉体が残っていないことに気づくが、彼はなおも数え続ける。師の言いつけは絶対だ。
 こうして現在まで2000年、彼は星を数え続けている。……が、まだ全体の3分の2ほどを数えたに過ぎない。この調子で1000億個の恒星を数え切るには、これからまだ1000年ほどかかるのだ。
 このように巨大な数の太陽を含む銀河系であるが、実に、宇宙にはこうした銀河系が、やはり1000億ほどもあるという。それだけの数の銀河が、それだけの数の太陽と惑星が、一糸乱れず、単一の物理法則にしたがって運行している。そうしてそのなかの惑星の少なくとも一つでは生命が育まれ、互いに憎みあったり、愛し合ったりしている……。
 ところが、東洋哲学は、そして東洋医学は、さらに神秘なことを言う。われわれは小宇宙であると。われわれの体も、心も、それぞれが宇宙一個分に匹敵するものなのだと。

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宇宙 5

 この驚くべき主張が、単に文学的な表現でないことを知るには、宇宙開闢の歴史をたどるとよい。科学の発展により、宇宙がどのようにして生まれてきたかが、最近明らかになってきた。「最初、火の玉のようだった宇宙が大爆発を起こした」という、いわゆるビッグバン理論は、一昔前の思想である。現在は、そのビッグバンの前、1秒の一兆分の一の、そのまた一兆分の一の……わずかな時間の間に起きたことが、科学的に推論されている。その結果は、実に、宇宙は「無」から始まったというものだった。
 宇宙は、無から始まった。物質も、エネルギーも、いまだ時間さえも存在しない「無」。しかし、そこには「ゆらぎ」があった。現代物理学は、このゆらぎを「不確定性原理」という普遍原理で説明し、東洋医学(アーユルヴェーダの哲学)は、おなじゆらぎを「意識」という概念で説明する。それは純粋な意識の場であった。実在であり、英知であり、至福であったと、アーユルヴェーダは説明する。その純粋意識の場から、すべてが生まれた。

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宇宙 6

 古来、あらゆる民族が、この「無」を人生究極の目標としてきたのは偶然ではない。
 禅僧は、無を得るために、ただただ座る。一日8時間、週7日、一年365日座り続けて、何年かたった頃、その片鱗を感じたとき、彼は心のなかに言い知れぬ安らぎを得る。
 ヨーガ行者も同じだ。日々、たゆまず、生涯にわたってヨーガを行ずる。それはヨーガの体位法であったり、呼吸法であったりする。そうして一生、修行を続け、もしかしたら生まれ変わってまた修行をし、ヨーガ行者は純粋意識を経験する。
 中国や、チベットでも同じだ。気功師も、仙人も、あるいはアメリカ・インディアンの聖者も、同じ実在を目指している。
 初めて瞑想を教えられ、無=純粋意識に陥ったときの感動を、ぼくは今も忘れることができない。だがそれは、瞑想を始めて20年後に訪れたのではない。一カ月後に訪れたのでもない。その日のうちに訪れた。そうして、自分が正しい道にあることを納得させてくれた。
 生涯、そうしたことを人に教えるようにはならないだろうと思っていた。がそうはならなかった。長い間、隠されてきた理論と方法。現代科学の言葉を使いながら、それらを平易に教えることのできる幸運を、今、あらためて思う。

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愛煙家 7

 電話で、多くを話すことはできなかった。だが、声を聞けただけでも少し安心し た。
 現代医学には、むろんさまざまな欠点がある。これを運用する医師にも、病院にも、不足な点は多いにある。患者を道連れにしながら、自ら先頭切って地獄に向かっているような医者が、実際にいるものだ。しかしだからと言って、医学のすべてが否定されるわけではない。そういう奴は、世の中のあらゆる職業にいるのだから。
 だから今は、現代医療の長所を上手に享受しながら体力を蓄え、反転攻勢の機会を待つしかない。腫瘍が小さくなって免疫力もあがれば、さまざまな次の手が考えられるのだ。
 治れば、彼はまたあっけらかんとしてタバコを吸うかもしれない。いや、そうに違 いない。                                     だが、今はとにかくよくなって、早く帰ってきてもらうしかない。それを、ぼくは聖母マリアや、ぼくの知るあらゆる神々に願っている。そうして、このエッセーを読むたくさんの方の清らかな心が、意識的にでも無意識的にでも、それぞれの周囲で病気に苦しむ人たちの回復に味方することを願い、彼の回復にも味方してくれることを願っている。

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愛煙家 6

 何人か知り合いの医師に連絡をとった。特にガンと免疫学、および代替医療の専門家に。そうしてとりあえず、放射線治療を受けるよう説得する方法を考えだし、段取りまでしたところで、知人から連絡があった。容体の変化が予想よりも速く、明後日、入院するというものだった。
 入院前に、もう一度会っておきたかった。というのも、化学療法と放射線、および免疫療法に関する認識で、すり合わせておきたいことがあったからだ。入院を前日に控え、ぼくは彼の自宅に電話をした。10分でもいいから、会って話したかった。ところが、電話が通じない。携帯も、電源が切られたままだ。
 ここから彼の自宅までは、1時間以上かかる。このまま電話がつながるのを待っていては、日が暮れる。そう思ったぼくは、咄嗟にコートを着て、うちを出る準備をした。そうして、今、まさに出ようとしたとき、電話が鳴った。入院は、聞いていたよりも一日早まっていた。その直前に、彼が連絡してくれたのだった。

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愛煙家 5

 そんなぼくの固い“決意”を揺るがす事件が、最近起きた。常々敬愛していた、ある知人がガンだという。咽頭ガンは、タバコとの関係性が肺ガン以上にストレートであることが知られている。喫煙者が咽頭ガンになる確率は、非喫煙者の数十倍も高い。
 この人と、上のような議論をしなかったわけではない。聡明な頭脳をもったこの人は、口ではなんと言おうと、やはりタバコの害を知っていたのである。だが彼は、これを減らそうとはしなかった。
 そういう人に同情はしない、というぼくの決意は、最初から崩れてしまっていた。決意していたことすら忘れて、あちこち電話をかけまくった。
 彼は、手術や化学療法のような生臭い現代医療は決して受けないと決めていた。放射線も嫌だという。もちろん、それらの方法はとらずに済めばそれに越したことはなく、代替療法だけで回復していく可能性もゼロではない。……が、普通はそうならない。過去の不摂生のほうがあまりに膨大で、それを簡単には帳消しにできないからだ。
 しかしとにかく、今は本人の納得する方法で、免疫力をなるべく損なうことなく、最善の方法を探し出さなければならない。

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愛煙家 4

 かつて、名優ユル・ブリンナーは、自らテレビCMに出演してこう言った。
「若者たちよ。もし、諸君が私のようなつらい思いをしたくないなら、もしも人生の途上で、これからというところで命を絶たれたくないならば、タバコを吸うな!」
 彼はどんなに無念であったろう。俳優として、地位を築いた。富も得た。愛する家族もいる。これから人生を楽しもうというその段になって、痛みや吐き気に苛まれながら死んでいかなくてはならないのだから。このとき、”Don’t smoke!!”と言った彼の断固とした口調を、ぼくは留学中のアメリカで見たまま、いまだに忘れることができない。
 だが、この血を吐くような言葉を聞いても、誰になんと言われても、タバコ吸いはタバコを吸う。時々刻々、大量のガン細胞を生み出し、自らDNAを損傷し、他人にも迷惑をかけながら。
 ……というわけで、ぼくは常々思っていた。本当は分かっているくせに、周囲に迷惑をかけて省みないタバコ吸いがガンになっても、ぼくが同情することはないだろうと。同情なんかするもんかと。

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愛煙家 3

 愛煙家がたとえばガンになる確率は、そうでない人に比べてはるかに高いという事実がある。肺ガンなら、一日40本以上吸う人で約7倍、50本以上吸う人になると15倍を超える。酒と組合わされば、この数字はさらに高まる。職場に喫煙者がいる人、家族に喫煙者がいる人の、尿中のニコチン排泄量は、そうでない人に比べて飛躍的に高い。また、愛煙家の妻が肺ガンになる確率は、そうでない人の妻に比べて2倍、ないし4倍ほども高い。かりにこれを3倍としても、愛煙家の妻で肺ガンになった人のうち、3人に2人は本当はガンにならずに済んだことになる。
 それでも、どうでも、愛煙家は言う。「タバコを吸わないでガンになる奴もいれば、タバコを吸って長生きする奴もいるじゃないか!」
 タバコ会社は言う。
「タバコの害は、いまだ医学的に証明されたものではありません!」
 彼らにとっても、日々の稼ぎがかかっているのだ。
 だが、私は思う。同胞の生命を損ない、社会全体に多大な損害を与え、その上に 立ってあげた利益は、気の毒だが、彼らを本当には幸せにしないであろう。

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愛煙家 2

 アメリカにいたとき、ほとんどすべての公共の場所が禁煙であることに感動した。ところが、日本に帰るなり、その快適さは失われた。親切心に富み、他人を思いやることが何より美徳と考えられる日本で。
 あるとき、レストランのオーナーが自らすすんで客の前でタバコを吸い始め、料理にまで煙を吹きつけるので、少しの間やめてもらえないかとお願いしたことがある。相手を怒らせないよう、最大限に丁寧に言ったつもりだったが、オーナーは即座に顔いろを変え、言った。
「おまえみたいな奴は、うちで食ってくれなくていい!」
 ぼくは静かに席を立ち、レストランを後にした。そのときは、悪態の一つもついてやればよかったと後悔したが、今にして思えばその必要もなかった。このレストランは、ほどなくして潰れたのだった。
 こういう経験の一つもすると、多くの人はタバコ吸いに対して何も言うことができなくなる。もともと嫌な思いをしているのに、さらに嫌な思いをさせられるくらいなら黙っていようと、多くの日本人は思う。
 タバコが、本人だけでなく周囲の人の健康を損ない、不快感を与えると言っても、「でも、タバコを吸って長生きする人もいるじゃないか!」と言われるのが、この国では関の山だ。そうした風土のために、日本は先進諸国に比べて、いまだにタバコは野放し状態といえる。 

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