サムライ 3

 立ち見でいいから入れないのかと言っても、だめだった。仕方なく運転手を探す。が、これがまた見つからない。運転手は、夕食に出てしまったのだ。そうして待つこと1時間、運転手が帰ってきたとき、彼はさらに恐ろしいことを言った。
「ダンナ、車は出ませんぜ」
 見れば、駐車場がいっぱいだ。日本やアメリカなら、駐車場がいっぱいでも車は出ることができる。が、この国では、中に入ってしまった車は外に出られないようにぎっしり停めてある。こうして今も、忘れたようなときに、ぼくはインドという国の底知れぬ恐ろしさを思い知らされることになるのだ。
 困り果てた運転手は、結局、何人かの仲間をかき集めてきた。そうして彼らが始めたことは、われわれの車が出るのを阻んでいる何台かを人力で引きずり出すという作業だった。この試みが成功したのは、まさに不幸中の幸いと言えよう。
 サイババの奇跡は信じられても、こんな話は信じられないという人もいるだろうから、ここに証拠の写真を提出する。
040324

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サムライ 4

 こうして戦場は、ふたたび日本に移された。……が、懸念されたとおり、観に行けないでいる間に、次々と上映が終わっていく。謙さんがアカデミー賞に洩れ、いよいよ上映館がなくなってしまうころになって、ぼくはなんと昼間、映画館に出かけるという壮挙に出た。そうして、ついに昨年来の念願を果たしたのだった。映画館で映画を観たのは、あのときの『ゴジラ』以来か……。
 映画のなかで、謙さんは大きく見えた。体がトム・クルーズより大きいからではない。存在感があるのだ。真田広之? もちろんよかった。
 英語については、ちょっと上手すぎて、なぜ明治初頭の武士があんな英語をしゃべれるの、という声があがるくらいだ。細かい抑揚については、ここはこうではないか、という点もいくつかあったが、そんなことは日本語のセリフでもある。次はバットマンの準主役らしいが、こちらはまったくのアメリカ映画。英語もさらにこなれてくるに違いない。

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サムライ 5

 (映画を観た方だけの番外編)
 映画の主題はもちろん、日本のサムライ魂であるが、武士を戦場に送り出すのは女である。この映画では、小雪という女優さんがその生きざまを一手に表現するという、うまみのある役所だったが、残念ながらこちらの演技は秀逸とまではいかなかった。女の心理の移り変わりが、うまく演じきれていないように感じられる。役柄として、オーバーな表現ができるわけでもなく、やはり芝居は難しい。
 最後、戦場におもむくトム・クルーズと一瞬、唇を交わすシーンがあるが、すぐに離れてくれたのには胸をなで下ろした。あそこであれ以上のシーンがあったら、それは違う。武家の女ではなくなっていただろう。
 その前の晩、一瞬、雰囲気をかもし出しておきながら、すぐに襖を閉じるシーンがあった。何かが起きるのならこの場面のほうがむしろ自然で、出陣の直前はただただ厳粛であってほしかった気もする。が、監督・脚本はすべてを出陣前に持ってきたかったのだろう。そのあたりは、やはり国民性の違いか……。
 そうして、すべてが終わった後で、トム・クルーズがふたたび村に戻る場面がある。最後の泣かせるシーン。表情で、あるいは目線だけで、心のたけを表現しなければならない場面だが、ここでも、やはり彼女の気持ちが充分に伝わってこなかったのは、こちらが鈍感なのか。女優として、これ以上おいしい場面はないと思うのだが……。 

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月の魔力 1

「外は、すごい満月です!」
 そんなメールを突然受け取ったと思ったら、今日、別の人からもメールが来た。
「先生、昨日は満月だったんですよね」
 どうしたのかと思うと、続きにはこう書かれていた。
「満月のおかげで、本当に昨日、私は変でした。今も変ですけど……」
 彼女はどうやら、これといった理由もなく心身の変調をきたした原因を探るうち、それが月の状態と関係がありそうだと感じたらしい。そうして、一夜明けてみると案の定、新聞に多くの訃報が掲げられていたというのである。
「目黒区長も、浅田農産の会長夫婦も、自殺してました。他にも、病気で死んだ人とか……」

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月の魔力 2

 西洋には、古くから狼男の伝説というのがある。普段はまったくの紳士なのに、満月の晩になると突然、狼に変貌する。(以前、「俺なんか毎晩、狼に変身さ」と言った奴が、「おまえはときおり、人間のように見えるだけだ!」と言われていた。)
 それほど極端でなくとも、満月の日には精神異常の人が発作を起こす確率が高いとは、一般にいわれていることである。また、満月の日には殺人事件が多いというアメリカの統計がある。そんなとき、自分でコントロールできないほどのストレスに苦しむ人が衝動的な自殺に走るというのは、充分に考えられることだ。

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月の魔力 3

 満月の日に死ぬ人、殺される人が多ければ、生まれる人もまた多いらしい。
 満月の日にはお産が多いというのは、産婆さんたちの間でささやかれてきたことだが、今日では統計的データとして示されている。『月の魔力』(東京書籍)という本を訳された数学者の藤原正彦さんも、訳すだけでは飽き足らず、実際に調査をされた。
 藤原さんは、投薬や帝王切開などの不自然な出産形態がなるべく少ない助産院からのみ、実に2531例という出産記録を集め、統計処理をほどこしたところ、たしかに出産と月齢との間に相関が見いだされたという。歯科領域では、満月の日に抜歯をすると出血異常が多いといわれ、それもどうやら事実らしい。
 考えてみれば、月は、あの巨大な海洋に作用して潮の満干を引き起こす。女性の体も月の周期と密接に関係しているのだから、男性にも同様のことがあっておかしくはない。

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月の魔力 4

 統計的なデータがあっても、そのメカニズムとなるとほとんど何も分かっていないと言ってよい。まして、占星学者たちがいうように、太陽や月よりはるかに遠くにある惑星が人体に影響を及ぼしているといわれても、その根拠は分からない。ただ、「根拠は分からないが、そういうことが事実としてある」ということが、世の中にはある。占星学は、おそらくその部類に属することであろう。
 そうでなくとも、もともとこの世界は不可分の一体なのだ。なにが、いつ、どのようにして自分に影響を及ぼしているかなど、いったい誰に分かろう。知らず知らずの間に、もしかしてわれわれは、自分が過去に行なったことの影響や、未知の力による影響を受けいるのかもしれない。
 敏感な人は、そうした影響力により、今日はどうも体調がおかしいとか、心の状態が変だと感じ取るのかもしれない。実際、以前にアーユルヴェーダを教えていた学生さんのなかに、「満月の日には体が潤う」と言った人がいた。その感覚は、アーユルヴェーダやインド占星学の理論に符合する。ちなみに、その人も女性であった。

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月の魔力 5

 今回、新たに始める瞑想講座でお教えする真言──マントラ──は、その人に最適の音が選ばれる。その方法としてホロスコープを使うのだが、どうしてなのかというご質問をいただいた。
 人は、長いながい旅を経た後に、今回の生を受けるといわれるが、いつ、どこで、どのように生まれるかは、その人固有の過去により決まるという。生まれる時だけではない。死ぬ時も、その他の人生のイベントも、過去の思いや言葉、行いが決め、そうして現在が未来を決める。
 ホロスコープとは、すなわち出生時の星の配置のことであるが、実はホロスコープによらなくとも、あるとき、どこで何があったか、そのときの星の配置を知れば、彼や彼女に関する情報を得ることができるという。が、出生こそは、死とともに人生最大のイベントなので、出生時の星の配置は、彼や彼女の意識の遍歴をもっとも端的に表しているというのである。
 その人固有の意識の履歴や、神々とのつながりに対応するマントラを使って初めて、彼はもっとも自然、かつ速やかに純粋意識を体験し、意識の深化を得る。

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宇宙 1

 「突如現れた火星人が、地球侵略にかかっています!」
 こんなニュースがラジオで流されたとき、これを信じて人びとはパニックに陥ったと伝えられている。今からおおよそ100年前、アメリカでの出来事だ。放送の内容は、H・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』。以来、しばらくの間は、宇宙人といえばタコの形をした火星人というふうに相場が決まっていた。
 火星は、水星、金星、地球に続く太陽系第4の惑星で、地球の他に生命が最もいそうな星である。火星は、おおよそ一日で自転をし、1年と11カ月で公転する。火星の大気にはわずかながら酸素や水が含まれており、今回、火星探査衛星によって明らかにされたように、水があったことが分かっていた。川や運河の形跡がはっきり残っているのである。

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宇宙 2

  火星と地球とは、公転の周期も違えば、その形も、公転面も違う。二つの惑星は、おおよそ15年、ないし17年に一度接近するのであるが、より近い接近が79年に一度起こる。ならば、この前のような接近を、運が良ければ今の子供たちはもう一度見ることができるかと思ったら、それは大きな間違いらしい。実は今回、2003年の8月28日に起きた接近は、史上稀なる“大接近”で、実に5万7000年に一度。この前、火星をこれほど近くで見たのは、現代人ではなく、ネアンデルタール人であったのかもしれないのだ。
 悠久の宇宙の、こうした営みを思うとき、ぼくは宇宙全体のなかの人間の位置に思いを馳せずにはいられなくなる。

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