マダムと肋骨 2 

善通寺は、弘法大師・空海がお生まれになった寺として有名だ。
前回、ここで交通安全のため、錫杖(しゃくじょう)のお守りを買い求めた。
事故があったのは、それをつけた翌日のことだったが、
大難を小難に変えていただいたのだと、私は思う。
そうやって働いてくれたお守りは、
その後、車を修理に出したとき、消えてなくなった。
いったい、どのようにして消えたのかは分からないが、
ともかくも今、お守りはないので、もう一度、ここで買うことにする。
思えば、事故があってすぐの日曜日に、私はふたたびパリハーラムのため、
こちらの皆さんにお目にかかっている。
そのときはまだ、骨が折れていることは知られてなかったので、
普通に何カ所かのお寺を回り、瞑想をした。
胸の骨折について、医師は当初、
「1カ月半は安静にしていてください」と言っていたが、
残念ながらそれはできなかった。
それでも私としては、一カ月程度で痛みはなくなるものだと思っていた。
が、痛みはなくならなかった。
あれから3カ月近くが過ぎ、四国では、
「その後、お加減はいかがですか?」と、何人もの方に尋ねられたが、
色好い返事ができない。
実際、先日も朝、なんだかうるさいオヤジがいるな……と思って目が醒めてみると……

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マダムと肋骨 1

『あなたに代わって瞑想の師は、日本の一番高い山に裸足で登る。
 その前後、彼は他人と言葉を交わしてはならない。
 肉食をしてもならない。
 枕も、布団も、使ってはならない。
 朝・夕、水で沐浴をしなければならない。
 髭を剃ってはならない。
 厳しい言葉づかいをしてはならない。
 48日間、裸足でいなければならない……』
そんな予言が出てくることを恐れていたPure Landさんの祈りのおかげで、
そのとおりのことは出てこなかったのだが、しかしふたたび、
『あなたに代わって瞑想の師は、
お寺が80箇所以上もある島を巡礼しなければならない……』
という記述が出てきた。
お寺が80箇所以上もある島とは、もちろん四国のことだが……

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仏たちの微笑む国 10

9月4日-2
インド亜大陸を統一した大王として世界史の教科書にも出てくるアショカ王は、
仏陀入滅100年後、または200年後に生まれたとされる。
伝説によれば、父王ビンドゥサーラとは不仲であり、
あるときなどは、地方の反乱軍に対し、
父王はアショカに軍も武器も与えず、これを鎮圧するよう命じたという。
これに対しアショカは、
「仮にわたしに王となる資格があるならば、
 神々がわたしに軍と武器を与えるであろう」と言った。
すると、大地が割れて軍と武器が現れ出、
これを見た敵は戦うことなくアショカの軍門に下ったとされる。
こうして父王亡き後、兄たちをさしおいてアショカが王位についたのは、
インドの伝統からすれば異例ではあったが、
しかしその力量、人望からして当然のことともいえる。
アショカはまた、仏法に深く帰依し、他の宗教にも寛容であったといわれる。
仏法を広めるため、東方や西方に広く僧侶・使節を派遣し、
その一部は遠く東南アジアはインドシナ半島をも訪れた。
この日、われわれは、カンチャナブリからの帰途、
バンコクの西約60㎞の街に立ち寄る。
アショカ王が仏法を広めるために僧侶を派遣、
インドシナ半島で初めて仏塔を建てたので、
ナコンパトム“最初の都”と呼ばれることとなった地である。
ここでわれわれは、高さ127メートル、
世界最大の仏塔プラ・パトム・チェディを巡礼する。
遠くインドの王が、このような地にこれだけの建造物を造り得たのは……

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仏たちの微笑む国 9

ところで、この旅行、
今どれくらいの方がお申し込みなのですかと今日も聞かれた。
まだ申し込みは間に合いますかと聞かれることもある。
この原稿を書いている7月30日現在、
お申し込み者は十数名、
このままいけば、1999年暮れのヨーロッパ巡礼旅行の21名を12年ぶりに下回るかという“勢い”だ。
どんな巡礼も、相応しい方が相応しい時においでになるものだが……

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仏たちの微笑む国 8

9月4日-1
フェリックス・リバークワイでも、朝は6時からレストランが開くが、
このホテルの朝食ビュフェは、
少しくらい時間をかけても食べきれなかったという記憶がある。
朝食後、専用バスでホテルを出発、われわれはいよいよスナンタワナーラム寺院へ。
アチャン光男カヴェサコ師のことは、前回のプレマ・レターでご紹介したとおり。
素朴で飾らない性格と、類まれな実行力が魅力の僧侶だ。
タイ国立公園内にある寺院は、その面積約75万坪、
象も棲息している。
本堂には、スコータイ様式の、高さ三メートルほどの仏像が安置され、
寺院内では500人ほどが宿泊・瞑想できるという。
一般の人びとや学生たちだけではなく、
王族の皆さんも師の教えを受けに訪れる。
今回は多忙なアチャンにお時間をいただき、
その半生について語っていただくとともに、
私自身、いくつかのことをうかがってみたい。
また、前回の訪問時、
「独身はどんなものより貴重な宝、幸福な結婚をするのは宝くじに当たるより稀」
と断言されたが、その結婚観に変化はないか、
7年前、記念植樹した木がどのように成長したか、
さらに前回、アチャンの元で出家して以来、
つらくて体重も激減、何度も“脱走”したと語っていた私の読者、
アチャン・アキさんの……

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仏たちの微笑む国 7

9月3日-2
象乗りと筏下りを楽しんだ後は、
われわれは“神秘の洞窟寺”「ワットタム・マンコントーン」を巡礼する。
ここは、メーチーと呼ばれる尼僧様が、
巨大な水槽内で水に浮かぶ修行をするお寺として有名だとガイドには書かれている。
修行を積んだ尼僧は白装束でこの水槽に入り、
決して泳ぐことなく水に浮かぶことができる。
「手足を動かすことなく水に浮かぶ姿はとても神秘的」とのことだが、
空中ならいざしらず、水中で浮遊するということがどれほどすごいことなのか、
私には今一つ分からない。
普通にできそうな気もするし……(^o^;
この点について、何度か大塚さんに質(ただ)そうとしたが、
タイ歴三十有余年の大塚さんにして、見たことがなくて分からないとのこと。
ただ確かなことは、
彼女が、われわれの到着を待ってその妙技を披露してくれることだ。
この際は、皆さんそれぞれの目で確かめていただき、
果してこれが感動し、礼拝する場面なのか、笑い、楽しむ場面なのか、
それぞれで態度を決めていただきたいと思っている。
ちなみに、どうしても事前に写真を見たいという方はこちら……
http://www.cool-bangkok.com/sightseeing/sightseeing.php?id=00703
この日のホテル着は、17時半の予定。
そのように早くしたのは、他でもない、
当地随一のリゾートホテル、フェリックス・リバークワイを堪能していただきたいからだ。
前回のタイ旅行、驚きと興奮が続くなか、
唯一残念だったのが……

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仏たちの微笑む国 6

9月3日-1
前日、朝食バイキングを食べきれなかったという皆さまは、
この日、二回目のバイキングですべての種類を制覇していただきたい。
朝食後、バスはバンコクを離れ、カンチャナブリへ。
クワイ河マーチで有名なクワイ河鉄橋を散策し、
泰麺鉄道に乗車して雄大なタイの自然を拝礼する。
タムカセに到着すると、現地の野菜や果物をふんだんに用いた料理を堪能していただく。
その後、われわれは象に乗ることとなる。
象……この地上最大の生物は、子供の頃から私の憧れだった。
大人になってから実物を見たときの感動は、今も忘れられない。
その重量感、存在感に圧倒されたのである。
インドにいたとき、河に寝かせて、象使いが象を洗っているところに遭遇した。
固いココナツの殻を巧みに使ってゴシゴシ、ガシガシ洗うのだが、
その姿に見とれて私はいつまでもその場所を離れなかった。
インドの友人たちは、よほど私が象好きだと思ったらしい(実際そうだが……)。
後に、ケララにクリシュナ寺院を建てたとき、その落慶式で私を喜ばせようと、
現地の人びとは象を何頭も呼び、プージャを行なってくれたのだった。
ここ、カンチャナブリでは、その象にわれわれは乗る。
皆さまには、この地上最大の動物の硬くて厚い皮膚と、ワイヤーのような体毛、
大きな吐息を、直に感じとっていただきたい。
象はまた、突然、河に入っていく。
われわれも背中に乗ったまま、群れをなして河に入るのであるが……

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仏たちの微笑む国 5

9月2日-3
過去、『大いなる生命と心のたび』でも、いくつかのクルージングを試みてきた。
2007年、セーヌ河上から見たパリの夜景はあまりに美しく、
深く思い出に刻まれるものとなった。
気をよくしてインド人ガイドの口車に乗せられ、試したインドでのディナークルーズは、
無残にも失敗。皆さんを失望させたことを、今も悔やんでいる。
今回、雪辱を期して二日目の夜、
チャオプラヤ河上で洋・タイ・中華のバンキングをいただきながら、
ライトアップされた寺院群、ホテル、その他バンコクの夜景を楽しむ。
今度は絶対にお勧めですと、大塚さんも断言。
船上から料理と夜景の両方を楽しんでいただいたあと、
ホテルに着いたらいそいそとお休みになってもいいが、
私自身はたぶん、出かけると思う。
もともと、今回のバンコクのホテルは、サイアム・スクエア地域が予定されていた。
伊勢丹をはじめとして、大きなショッピングセンターがある、
いわばバンコクの表向きの顔。
だが、日中、われわれは巡礼をしていて、伊勢丹には行けない。
バンコクの夜を楽しむためには、シーロム通りに限る。
今回ホテルをおとりしたこの周辺は、
夜になると数々の屋台が立ち、人びとの生命が躍動する地域だ。
初日、バンコクでは上等の、一流店のマッサージを楽しまれた皆さんは、
この日はもっと小さな、庶民経営の足裏マッサージ店に入ってもいいかもしれない。
宿泊ホテル周辺に、いくらでも軒を連ねている。
夜の買い物を楽しまれる方は、初日に行ったお店のすぐ先に「ナラヤ」がある。
タイに来た人びとの多くが、このお店でさまざまに可愛い小物入れなど、
タイならではの品物をお土産にして帰っていく(24時まで)。
また、現地の人びとの熱い吐息を感じたい皆さんは……

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仏たちの微笑む国 4

9月2日-2
今回、タイ旅行が企画された最大の眼目は、
『タイの寺院で、現地の儀式に与り、瞑想をすること』
という聖者アガスティアの指示を実行することにある。
そのために、大所の寺院をくまなくあたってもらい、
なんとワット・アルン(暁の寺)と、
ワット・ポー(寝釈迦仏寺)で儀式に与れることとなった。
ワット・アルン(Temple of Dawn)は、
三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台ともなった名刹。
チャオプラヤ川の川沿いにたたずむその姿は10バーツ硬貨にも描かれ、
バンコクを代表する風景の一つだ。
ワット・ポーは、直訳すると「菩提の寺」。
タイ王室がお使いになる寺院だが、
黄金に輝く巨大な涅槃仏が有名で、涅槃寺とも呼ばれる。
全長は46メートル、高さは15メートル、
全身が金箔で覆われ、眼と足の裏には真珠貝が使われている。
サイババの足の裏には神の化身に特有の不思議な神紋があったというが、
この涅槃仏の足の裏にも、
インド、中国、タイの混合様式による神秘な仏紋が描かれている。
われわれは、これらの寺院を巡礼した後、儀式に与り、瞑想する。
さらに、バンコクに来たら必ず見なければならないのが、王宮だ。
王宮のなかに、ワット・プラケーオ(Temple of the Emerald Buddha)、
通称エメラルド寺院がある。
このエメラルド仏は、紀元前43年、北インドで造られたといわれる。
三百年後、内戦を避けて像はセイロンへ渡ったが、船が難破、仏像も海中に沈む。
ところが、その仏像が……

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仏たちの微笑む国 3

9月2日-1
働き者のタイ人は、ホテルの朝食も6時から開けてくれている。
われわれが宿泊するプルマン・バンコクの朝食ビュフェも、
なかなかのものでお楽しみですと、添乗員の大塚さん。
実際、過去、私も、タイのホテルの朝食は、
インドのホテルよりはるかに美味しかったと記憶している。
食後、専用バスでホテルを出発、水上マーケットに向う。
タイには大小併せてさまざまな水上マーケットがあるが、
われわれが行くダムヌンサドゥアックはなかでも最も人気が郄い。
バンコクからその近郊の景色を楽しみつつ、現地に着くと、
ここで5、6人乗りのボートに分乗、
マーケットの全域を回ることとなる。
ボートからは、この地域に、つまり水上に住むタイの人びとの日常に、
目と鼻の先ほどの距離で接することとなる。
船上で巧みに火を使って料理する姿や、
それほど大きくはないボートに大量の品物を載せて売り買いする姿も見られる。
ボートがふたたび岸に着くと、そこには大きなマーケットがあるので、
さまざまな民芸品を見て楽しむことができる。
日本のことを思えばやはり激安なので……

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