人生」カテゴリーアーカイブ

私の系譜 9

もし、実家に経済的余裕があれば、父はおそらく今でいう大学に進み、 早期の徴兵も免れるか、 またはあれほど過酷な前線に行かずに済んだのかもしれない。 会員の皆さんと話していて、なにかの拍子に、 ご両親が大学を出ておられると … 続きを読む

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私の系譜 8

葬儀の三日間を終え、ふたたび始発で東京に帰ってくると、 自分では気づかなくても疲労困憊していたらしく、 すっかり風邪をひいてしまった。 それでも、時間は待ってくれないので即、仕事を始めたが、 一つだけ以前と変わったことが … 続きを読む

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私の系譜 7

このブログに書いた父・金彌は、今朝方闘病を終え、 息を引き取った。 95年の年月は、波瀾万丈であっただろうが、 その多くを私が知ることなく終わってしまったことも、 充分な親孝行ができなかったことも、正直、悔やまれる。 し … 続きを読む

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私の系譜 6

負傷して内地に戻った父は、海軍兵学校の教官になったが、 それを知ったのは、ある年の終戦記念日、 日の丸に書かれた寄せ書きを偶然、見つけたときだ。 それは当時の学生、つまり、父よりもっと若かった海軍の兵卒たちが、 特攻に出 … 続きを読む

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私の系譜 5

中学の頃から貧しい思いをした父は、基本的に食べ物の好き嫌いがない。 健康な、強い歯をしていて、何でも美味しそうに食べるのだが、 そんな父にも、私の知る限りただ一つ、食べられないものがある。 それは「鯨」だ。 鯨肉は、食べ … 続きを読む

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私の系譜 4

昭和16年の開戦の年、父は22、3才の健康な男子だったので、 おそらくはそのずっと前から徴兵されていたことだろう。 戦争の想い出は、言葉にできないものが多々あったに違いないが、 そのような話を本人が自らしたことは一度もな … 続きを読む

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私の系譜 3

大正6年を西暦に直すと1917年に当たることに気づいたのは、 つい最近のことだ。 ファティマにご出現になった聖母マリアのことを今までどんなに解説しようと、 それが、父の生まれた年のこと、という感覚は皆無だった。 この年の … 続きを読む

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私の系譜 2

3年前の夏、ヨーロッパ・アフリカの旅に出る前に、 私にはどうしても書いておきたいことが一つあった。 それは、当時民主党によって示されていたバラ色のマニフェストは、 決して実現することはないという事実だった。 友人のなかに … 続きを読む

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私の系譜 1

大正6年生まれの父は、今年6月、95歳の誕生日を迎えたが、 贈り物が届いたはずなのに、特に何の反応もなかったため、 どうしたのだろうと思っていた。 そのころ、父が体調を悪化させ、 それどころではなかったことを知ったのは、 … 続きを読む

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イブと恥骨

「『マダムと肋骨』シリーズ、とても面白かったです。  でも、SHOさんのにはお応えできても、  Pure Landさんのリクエストにはさすがに応えられないでしょう?」 読者の方からそんなメールを受け取ったのは、 26日、 … 続きを読む

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