投稿者「mariaoyama」のアーカイブ

私の系譜 5

中学の頃から貧しい思いをした父は、基本的に食べ物の好き嫌いがない。 健康な、強い歯をしていて、何でも美味しそうに食べるのだが、 そんな父にも、私の知る限りただ一つ、食べられないものがある。 それは「鯨」だ。 鯨肉は、食べ … 続きを読む

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私の系譜 4

昭和16年の開戦の年、父は22、3才の健康な男子だったので、 おそらくはそのずっと前から徴兵されていたことだろう。 戦争の想い出は、言葉にできないものが多々あったに違いないが、 そのような話を本人が自らしたことは一度もな … 続きを読む

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私の系譜 3

大正6年を西暦に直すと1917年に当たることに気づいたのは、 つい最近のことだ。 ファティマにご出現になった聖母マリアのことを今までどんなに解説しようと、 それが、父の生まれた年のこと、という感覚は皆無だった。 この年の … 続きを読む

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私の系譜 2

3年前の夏、ヨーロッパ・アフリカの旅に出る前に、 私にはどうしても書いておきたいことが一つあった。 それは、当時民主党によって示されていたバラ色のマニフェストは、 決して実現することはないという事実だった。 友人のなかに … 続きを読む

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私の系譜 1

大正6年生まれの父は、今年6月、95歳の誕生日を迎えたが、 贈り物が届いたはずなのに、特に何の反応もなかったため、 どうしたのだろうと思っていた。 そのころ、父が体調を悪化させ、 それどころではなかったことを知ったのは、 … 続きを読む

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イブと恥骨

「『マダムと肋骨』シリーズ、とても面白かったです。  でも、SHOさんのにはお応えできても、  Pure Landさんのリクエストにはさすがに応えられないでしょう?」 読者の方からそんなメールを受け取ったのは、 26日、 … 続きを読む

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マダムと肋骨 6

骨折後、確かにゆったりしていたわけではなかった。 いつも重そうに見えるリュックを持ってはいる。 しかし、少々無理をしたり、リュックを持っているからと言って、 二本目が折れるわけでもないだろう。 そう思ったが、しかしこの医 … 続きを読む

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マダムと肋骨 5

「二カ所だったんだ……ふ〜〜〜ん……」 (ふ〜〜〜ん……とか言っちゃって、納得しないでほしい)と、私は思った。 痛むのは二カ所だと、最初から言っていたのだ。 しかし医師は、悪びれるでもなく、むしろ楽しげにすら見えた。 ま … 続きを読む

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マダムと肋骨 4

長期の夏休みが終わり、医院は患者でごった返していた。 夕方、私の番が来るまでには医師は疲れ切っていそうだったので、私は、 「先生、さぞやお疲れでしょう」と、 二週間になんなんとする夏休みをとったばかりの医師に声をかけた。 … 続きを読む

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マダムと肋骨 3

今回、四国から広島、京都・奈良方面を回ればそのまま東京に戻れると思っていた私は、 考えが甘いことが後に判明した。 出発の直前になって、善光寺に行くようにという予言が出てきたのである。 “Zenkoji”という音が、タミル … 続きを読む

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