投稿者「mariaoyama」のアーカイブ

宗研37

広島学院の宗研は、最初はふたグループ、4、50人でスタートし、 最後はひとグループ3人で終わった。 その間、すでに書いたように、 大木神父から洗礼を受けたのは私一人だった。 仮にミッションスクールで、優秀な神父がそれなり … 続きを読む

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宗研36

『信心生活の入門』の内容は多岐に渡っていて一言で紹介できないが、 印象的な金言の一つは、 「誠実に、かつ巧みになされた仕事が遅すぎるということはない」 というものだった。 私は、子供の頃から、本を読むのが遅かった。 何か … 続きを読む

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宗研35

相浦先生からいただいた貴重なものは数多いが、 なかでも忘れられないのは『信心生活の入門』である。 本を読むのが極度に苦手な私は、 人さまからいただいた本も、多くは読むことができない。 まことに申し訳ない限りである。 しか … 続きを読む

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宗研34

ちなみに、この先生、寮の舎監として赴任されたが、 風貌に違わぬ、変わった方だった。 あるとき彼は、自分の部屋で猫を飼い始め、 あろうことか学校にまで連れてき始めた。 肩に猫を乗せてこの人が歩いている姿は、 厳しい教育をし … 続きを読む

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宗研33

私は、しかし冗談ではないと思った。 今ですら、一部の教師に目をつけられているのである。 時間を捻出するため、ときに私は学校を休み、 寮で一日専門書を読んでいることもあった。 それなのに、4時間ほどは裏山を歩いたり、 海を … 続きを読む

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宗研32

話はもとに戻るが、 勉強というのは当然のことながら学校で行なうことがすべてではない。 本を読み、映画を見、友だちや家族、親戚や周囲の人びとと接しながら、 知らない間にわれわれは多くを学んでいく。 私が高校二年のとき、 寮 … 続きを読む

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宗研31

かつて、ユダヤの民がローマの支配下にあって苦しんでいたとき、 イエスの人気を妬ましく思っていたファリサイ派の人びとが、 イエスを陥れようとしてこう尋ねた。 「先生、ローマ皇帝に税金を納めるのは、  律法にかなっているので … 続きを読む

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宗研30

以上のような話を、私は何かの機会に、 たまたま上智大学の元理事長から聞いた。 記憶が違っていたら、それは私の責任であるが、 このように国の法律に則り、修道生活も営まれる。 そうしていないと、万が一にも、 国による宗教への … 続きを読む

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宗研29

しかし、いかに修道士といえども、 自分が専用で使う、身の回りの品々は必要だろう。 必需品以外にも、たとえばカメラが趣味であった大木神父は、 広島時代から立派なカメラをお持ちであった。 おそらく、父兄から寄贈されたものだっ … 続きを読む

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宗研28

修道士や修道女は私有財産を持たないとはいえ、 彼らは体に合った服も着ればメガネもかけ、本やノート、 ペンやパソコンも持っているではないかと思う人もいるだろう。 彼らはたしかにそれを“持っている”。 が、所有していないので … 続きを読む

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