万難


日本語に“万難”という言葉があるように、
世の中“難”だらけである。
われわれの住むこの国の根幹は、一つは財政、もう一つは安全保障であろうが、
両者ともに困難をきわめる。
それは、通常の「困難をきわめる」という言葉を超えたレベルで、
困難をきわめているようにも思われる。
個人個人の生活もまた、同様だ。
人間の霊性、この世界の精神性を探求したいと願う心は、
進化した人が必ず強く抱く願望であるが、
しかしそこには、
「そんなわけの分からないことしててどうするの、あなた!」
という言葉が常に投げかけられる可能性に満ちている。
今、それを女言葉で書いてみたが、
同じことを女性が言われることのほうが多いであろうことは想像に難くない。
<Art4>の会場にSHOさんの姿を発見したときの内心の驚きはなかった。
なにしろ、<Art1>のときから、
奥方にはある“書類”を提出しておいでになっていたと聞いていたからだ。
だが、私自身、たとえば過去一週間のうち5日間は唐突に遠出をせねばならず、
残った二日間のうち一日は<木曜くらぶ>、
飛行機が雪のため飛ばないという状況が起きたり、
山手線に乗れば人身事故のため電車はしっかり止まった。
新幹線に乗るのも、最後の数分とか、
ひどいときにはベルが鳴っている最中に駆け込んだりするものだから、
飛行機が飛ばなかったり電車が止まったりすれば、
ぎりぎりで命脈を保っていた予定は当然に破綻する。
そんなこんなでSHOさんとは、
一度か二度、目と目があって会釈する、ということしかできなかった。
大変に申し訳ないことだったと思い、
後から大いに自責の念に苦しむこととなったのだが、
しかしそうした状況は、実はわれわれに共通のことであるに違いない。
古来日本人の男は、
いや女ももちろんそうだが、
いつも時間をやりくりして、
労力や精神力の多くを人のために費やし、
しかし相当に文句を言われ、誤解をうけ、
弁明することもしないで最後には、
心身ともにぼろぼろになりながらこの世を去っていった。
このパターンは、わが国においては“健在”だ。
そう考えてみれば、
あの日SHOさんと交わした目線は……


一瞬のことのようにみえても、
結局は共通の価値観や担うものをそこはかとなく確認しあった、
深いふかいなにかだったように、
今となっては思えるのである。


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