広島学院の宗研は、最初はふたグループ、4、50人でスタートし、
最後はひとグループ3人で終わった。
その間、すでに書いたように、
大木神父から洗礼を受けたのは私一人だった。
仮にミッションスクールで、優秀な神父がそれなりの教育を施したとしても、
日本人が洗礼を受けるのは、それほど障壁の高いことであるのがうかがえる。
ところで、今日9月8日は、
ローマ・カトリック教会が聖母マリアの誕生日として指定、
お祝いする日だ。
そしてこの日に合わせて、読者の一人が洗礼を受けられた。
昨年、あのサンティアゴ・デ・コンポステーラを巡礼した際……
聖ヤコブの墓の前で啓示を受けたという彼女は、
それから本当に準備を重ね、
今日のめでたい日を迎えられたのだった。
聖フランシスコの聖地アッシジにもご一緒したので、
マリア・フランシスカ・ヤコブという洗礼名を選ばれた。
『大いなる生命と心のたび』においでになった皆さんの受洗は、
これで少なくとも5人目となる。
宗研の仲間たちは、結果的に誰も洗礼を受けなかった。
著書のなかでは、
キリスト教の枠組みに捕らわれない真実を縷々、書いてきた。
それなのに、その私が、こうして何人もの洗礼の代父になっていこうとは、
まったく想像することができなかった。
人生は、どこでどう転んでいくか、分からない。