他の皆さま同様、イスカーナヤマトさんのコメントもいつも興味深く、
そのすべてにお返事を書きたくなるくらいだが、
最新のものによれば、
ヤマトさんの四代前のご先祖は、家を継ぐべき身であったが、
洗礼を受け、宣教師となってアメリカに渡り、
その地で没せられたという。
ところで、大木神父には六人姉妹がいて、
その全員が修道女となられた。
大木神父の家は、もともとカトリックで、
横浜の司教などをよく食事に招くような敬虔な家庭であったが、
長女が修道院に入ったとき、父親は、
これを取り戻しに修道院に談判に行かれたとのことである。
普通どこでも、親に談判に来られたら、
怖くて親の言うなりになりそうなものであるが、
修道院側が彼女を放すことはなかったという。
この話を、私は、やはり修道女となられた妹さんから聞いた。
敬虔なカトリックの家庭ですら、
子を修道院に入れるというのはそういうものだ。
まして、家を継ぐ身であった方が洗礼を受け、
宣教師となって異国に行くなど、
普通では考えられない苦難があったに違いない。
マザー・テレサの修道院に入った友人の誓願式ミサでわれわれが特に願ったのは……
こうして娘を神に捧げられたご家族に、
特別な恩寵がありますようにということだった。
だが、友人は、世界や日本、そしてわれわれのために、
日々、苦しい修道生活を送りながら祈ってくれているのである。
何も願わなくても、そういう彼女を差し出された家族に、
特別な恩寵がないわけがないのである。
ローマカトリックでも、子を一人司祭にしたなら、
七親等先までその功徳は及び、彼らは天国で特別な宴席に着く、
というようないい方をされることがある。
それ自体は正統な教義というより民間伝承かもしれないし、
ヤマトさんのご先祖がどの宗派であられたかも分からない。
だが、信仰のためにすべてを棄てるような人が一人でもいたとき、
ご本人はもちろん、そのご親族、子孫の皆さまにも、
大きな恩寵があるに違いない。
ご先祖さまのためには、お墓の場所が分からなくても、
ときに心を向けて供養されるだけで、お喜びになられると思う。
かりにすっかり忘れていても、
ヤマトさんがよい仕事をし、淡々と瞑想して進化していかれるだけで、
お喜びになっていると思う。