大木神父の宗研に入りそびれた形になった私は、二年生になった頃、偶然、
カトリック要理を学ぶことになった。
寮の舎監室でおしゃべりしていて、
たまたま大木神父の宗研に入らなかった話になったところ、
舎監の筭田神父が、「では、私が教えましょう」と、
ご自分から言われたのだった。
今にして思えば、
当時は、一年生のときについていたヨーガの先生(修道士)から離されたときだった。
当時は分からなかったことだが……
あのときの状況を後でさまざま冷静に考えてみると、
上田修道士がヨーガを個人的に教えていることを知った上層部の神父が、
そんなことは適切でないとして禁じたのであろうと想像される。
なので、その生徒もカトリックのほうへ、
などという目論見がもともとあった、とまでは思わないが、
もしかしたら、そうした事情を知っていた筭田神父が、
私を可哀相に思ったのかもしれない。
あるいは、
教会の長谷川神父のほうから筭田神父に何かの助言があったのかもしれない。
いずれにしても人生には、後から考えても、
なぜそのようなことが起きたのかが分からない局面がいくつかある。
インドで、なぜサイババが呼んでくれたのかとか、
ヴァチカンに行ったとき、なぜ席がローマ法王のすぐ側だったのかとか……。
筭田神父の「では、私が教えましょう」も、
そのうちの一つである。