広島学院に入って、アンケート用紙が配られたことがある。
この学校に進学した理由は何ですか、という質問の選択肢には、
進学校だから、
国際教育が受けられるから、
英語教育が充実しているから、等々に並んで、
キリスト教教育が受けられるから、というものがあった。
おそらく、これに○をつけた者は、ほとんどいなかったに違いないが、
私が広島学院に入った(どうしても入らざるを得なかった)とりあえずの理由は、
これらのなかにはなかった。
私の実家は、裏手がすぐ公立中学なので、
普通ならずいぶん楽な中学生活が始まるはずだった。
ただ、私自身は小学生のときから公立教育にあまり満足できなかったので、
親に相談することなく、私立を受験することに決めた。
詳しくは書けないので、少しだけ当たり障りのないことだけ書くと、
小学校三年のときの担任は情熱的な方だったがヒステリー持ちで、
四年のときの担任は、待望の男性教師だったがいかんせん、
タバコとアルコールの中毒だった。
彼は二日酔いで学校に来ては怒鳴り散らし、
教室のなかでタバコを吸った。
われわれが五年生に進級してすぐ、
彼はいつものように酔っぱらって国道を歩いていて、
ダンプにはねられ即死した。
だからといって、当時のクラスメートの誰も悲しまなかったと語り草になるほど、
われわれはこの先生に苦しめられていた。
この方も、本当は純朴な人だったと思うが……。
こうして十歳にして、われわれの誰もが、
女性のヒステリーと男性のタバコ・アル中は、
どうしようもないという感覚を抱くようになっていた。
それでも、この辺までならまだ、私は公立中学に進んだかもしれない。
が、小学校5、6年のとき……、
さらに過酷な日々が待っていた。
学校の先生がどの政党を支持しようが、それは個人の自由だ。
イデオロギーを教育に持ち込まないかぎりは。
だが、このときの担任は、いい方ではありつつも、
イデオロギーが服を着て歩いているような人でもあった。
この方のもとで、われわれは、
政府・自民党こそは悪の権化で、
ソ連や北朝鮮のような国がいい国だという教育を日々受けた。
どう考えても変だと子供心に思ったが、
小学校のクラス担任は戦前の天皇のようなもので、どうにもならなかった。
日記の提出が義務づけられて、
悲惨なことに、徐々にそれは密告に使われるようになっていった。
こうして、このまま公立にいたらどうなるか分からないという危機感にさいなまれ、
私は郷里を脱出することに決めたのだった。
片田舎の小学校始まって以来、
そんなことをした人間は一人もいないと両親は反対したが、
迷いはなかった。
小学校一、二年のときの担任は、家庭的な、心安らぐ先生だったのだが、
三年生のときからまるで運命が変わったかのようだった。
が、今、この人間的な、あまりに人間的な先生方のことを思い出し、
私は彼らを悪く思ってはいない。
いずれにしても私が広島に出ることは決まっていて、
そのためにはどうしても、
愛すべき彼らオールスターキャストの登場が必要だったのだと思う。