この事件は、第一義的には、
頭のいい大人たちが一生懸命考えて作った野球協約に不備があったことが原因で、
それ自体はプロ野球機構側の責任と思われる。
江川は、この不備をいわば“ついて”しまったわけで、
そのこと自体、得策だったとはまったく思えないが、
一方で、江川に対する世間の非難は想像を絶するものだった。
野球協約は日本プロ野球機構内のきまりごとである。
そこに不備があって、誰も予想しなかったような方法であったが、
江川は巨人と契約することがルール上は可能だった。
この場合、もし誰かをどうしても責めたいのであれば、
まずは不備のあった野球協約や、
それを作ったプロ野球機構が責められるべきだと私には思えるのだが、
世間はもっぱら江川個人を責め立てた。
このような社会的リンチが許されるのであれば、
この国が法治国家であることはどこで担保されるのだろうかと思われたほどである。
実際、そのときどきの民衆の感情で明文化されたルールを反故にしてよいのなら、
今度は権力者が自分の都合や感情で法を曲げたとき、
人びとにはこれを批判する権利が残っているのだろうかというのが、
当時の私の感想だった。
そのへんは、公権力を持つ政治家が架空の事務所費を計上したり、
賄賂を受け取ったりしたときと、扱いは自ずと異なってしかるべきであろう。
しかし、ルール上可能だったとはいえ……
あの手法が江川本人にとってよい方策だとは、もともと全く思えなかった。
実際、この一件で社会的に袋叩きにあった江川は、
一度は巨人のエースになりながらも、
現役時代、その残滓を常にひきずるようにして、
結局、通算135勝で終わることになる。
その才能からすれば、
大学を出てから300勝くらいしてもおかしくない逸材だった。
引退記者会見の席上、
「この135勝という数字を、自分自身、率直にどう思うか」
というやや酷な質問が飛んだとき、
十数年前の騒動との因果関係につい思いが及んでしまったのは、
おそらく私だけではなかろうと思われる。