師弟2


今週の土曜日(12日)のセミナーの準備をしていると、
そこにはイエスが最初の弟子をとったときのことが語られていて、
自分が最初に“弟子”になったときのことを思い出してしまった。
中学一年のとき、イエズス会のある修道士の弟子になったのだが、
私のお願いに対し、修道士はさぞ、困惑されたに違いない。
だが結局、彼はそれを受諾し、私はカトリックの修道士から、
ヨーガを習うことなった。
40年近くも前で、
今のヨーガブームが嘘のような時代のことだ。
結果的に、この師弟関係は1年しか続けることができなかったが、
しかしある意味で、もっと長く続いた、
というより、いまだに続いているともいえる。
なぜなら、このとき、最後にヨーガの師が言われたことを……


それから20年も経ってサイババが口にすることとなり、
その延長線上に現在もあるからだ。
それらの経緯は『理性のゆらぎ』に書いたが、
その『理性のゆらぎ』が出版されたちょうどその頃、
師は息を引き取られていた。
そのことを知ったのは、もちろん、後になってからであるが……。


カテゴリー: キリスト教 パーマリンク

コメントを残す