一昨年、今も聖母マリアがご出現を続ける聖地メジュゴリエに行ったとき、
スベトザール神父が語ってくれた。
「巡礼は、日常を棄て、心の隙間に神をお迎えする作業です」
旅はそれ自体、非日常である。
常日頃、見ている風景や、交わっている人間関係、
考えていることを一旦棄て、
そうして空いてきた心の隙間に、神は巧妙に入り込む。
このことを人間生理のレベルで説明すれば……
聖地や聖者に関する知的理解や、祈り、さらに深い瞑想により、
われわれは旅行中、すっかりソーマに充たされ、
意識の変容や肉体の変化が誘起される。
同じことを宗教者は、
聖地の力や聖者のお導きにより、奇跡が起きたと表現するかもしれない。
また、感覚の鋭い人は、
神々が訪れて御神酒を与えてくれ、
あるいは聖母マリアが微笑み、抱いてくれたように感じるかもしれない。
または、それを“見る”かもしれない。
毎回、巡礼の旅ではドラマが起きる。
それは偶然、起きたように見えるかもしれないし、
たとえば病気の治癒のような
肉体上の変化として起きたように見えるかもしれない。
しかし実際には、気がつこうが気がつくまいが、
巡礼者の意識の内側でこそ、
最も劇的なドラマが起きている。