「ぼくは夢という言葉が好きではありません。
見ることはできても、かなわないのが夢。
大リーグで投げられると信じてやってきたので、
今、ここにいるのだと思います」
総額120億円超で西武からボストンに移籍する松坂の言葉だ。
彼はまだ、大リーグでは一球も投げておらず、一勝も挙げていないわけだが、
年の最後に相応しい、夢のある言葉だった。
それに対して、年明け早々、悲しい言葉もあった。
「私には夢があるけど、勇君にはないね」
そう言われて逆上した兄は、妹を殺害、
遺体をバラバラにしてビニール袋に入れ、自室に放置した。
こんなことが実際あるのかという事件がときどき起こるが、
私が作家になってから、意外にも、しばしば聞いてきた言葉がある。
それは……
「今回の人生で、自分がやるべきことが分からない」
「何をするために生まれてきたのかが、分からないんです」
そんな言葉だ。
そして、それがとても苦しい状態であることを、
多くの人が訴える。
人の内面を真に推し量ることは誰にもできないが、
予備校でもおとなしく、目立たない存在だったという兄は、
特別悪い人であるとか、
劣った人だったというわけではなかったのではないか。
ただ彼のなかでは、「夢を持てない」ところからくる苦しみが、
とぐろを巻き、全人格を押しつぶすようにしてのしかかっていたのかもしれない。
それは、曲がりなりにも夢や希望をもって生きている人間には想像できないほど
苦しい状態かもしれないのだ。
もちろん、自分が苦しいからといって、
妹を殺したり、バラバラにしていいわけはない。
しかし、誰もが「信じられない」と思うことも、
実際に起きたということは、それ相応の理由があって起きている。
そして、一つ起きたということは、
そのようにして苦しんでいる人が社会に数多くいることを示している。
ただ、信じられない……などと言っていられることではない。