かつて『大いなる生命と心のたび』で行ったサンティアゴ・デ・コンポステーラは、
キリスト教世界三大聖地の一つといわれるだけあって、
ヨーロッパ中のキリスト教徒の巡礼の的であり続けた。
その道のりは遠く、はるかで、
人びとは数カ月をかけ、徒歩でこれをたどる。
その道中には、巡礼の旅人を無料で泊めてくる教会や、敬虔な信徒の家がある一方で、
追剥や強盗、山賊も容赦なく出没し、
多くの人は身ぐるみをはがれ、または命を落としもしてきた。
そんなとき、正義の聖者ヤコブが現れて旅人を助けるかといえば、
そんなサイババの奇跡のようなことが起きようはずもなく、
あえなく旅人たちは行方不明となった。
その実、彼らは殺され、路の脇に捨てられたのだった。
それでも、過去1000年以上にわたり、
年間数百万という敬虔な老若男女がこの地を目指すのは、
いうまでもなく、それだけの力が聖地にも、聖者にもあるからである。
サンティアゴ・デ・コンポステーラがキリスト教世界の代表的な巡礼地なら、
聖サバリ山はヒンドゥ教世界のそれに当たる。
人びとが何カ月もかけて徒歩でこの地を目指すことも、
追剥や山賊が出没することも同じであるが、
こちらはそれにさらに輪をかけて過酷な旅となる。
人は、神々への贈り物を頭上に乗せ、裸足で聖地に向かう。
その途中、柔らかい布団やマットレスに眠ることは許されず、
朝夕には水で沐浴をし、肉食をせず、髭を剃らない。
荒々しい言葉づかいをすることは許されず、頭上の荷はずしりと重く、
それでもただひたすら、聖地を目指すのである。
そこにある神像がどんなに壮麗・巨大なものであるかを想像すると、
われわれは間違うことになる。
聖サバリ山にましますアイヤッパ神の神像はごく小さく、
それどころか、これを目にすることは普通はできない。
あれほど長期間にわたり、苦しみを経て到達しても、
多くの巡礼者は神像をチラリと見ることすらできないほど、
現地は人びとでごった返しているのである。
それでも一度、その神像の前に十数秒(くらいであろう)止まることのできた私は、
周囲の人びとのなりふり構わぬ祈りの激しさに圧倒された。
それは彼らの信仰の心、というよりも、
神々との間に交わされる“念”なのであった。
さて、1月12日のプージャの際に捧げたギーは、ココナッツの中に入り、
その後、われわれが選んだ一人の敬虔なインド人の頭上に乗って聖サバリ山に登った。
そうしてついに、そのギーをアイヤッパ神像におかけするということに成功し……
なんとその実物が日本に戻って来たのである。
最近お読みした、ある敬虔な方の予言のなかには早速、
このギーを使ってインドの甘みを作り、
アイヤッパ神の儀式に捧げるようにという指示があった。
敬虔なインド人なら涙を流していただくようなギーをふんだんに使い、
会場でその甘み(ポンガル)を作る。
そうしてアイヤッパ神に捧げた後、これをわれわれはいただくこととなる。
前回、ギー・ココナッツを作ったプージャに参列された方も、できなかった方も、
今回のプージャに参加し、それぞれの願いを捧げていただきたい。
いまのところ、十分と思われる数の食事をご用意しているが、
万が一、足りなくなるといけないので、
参加される皆さんは是非、事前に予約をしておいていただきたい。
ひと月前、皆さんとご一緒に祈りのなかで捧げたギーが、巨大にして神聖な力を得、
われわれを助けるためにこうして戻ってきてくれたことに感謝したい。
われわれは日本にいながらにして、仕事も生活も続けながら、
聖サバリ山巡礼をしたに近いものを得ることができるのである。
また、このような祈りと供儀を共有できる多くの皆さんとのご縁には、
さらに大きな感謝の気持ちを抑えることが、
私にはできない。