聖母 1


男というものはいつも、心の奥底で永遠の、女性的なるものを追い求めている。単純にいえば、自分にないものを求めている。そのことに気づいたのは、親元を離れ、中学・高校時代を寮で過ごしていたころだったように思う。
今はかなり開発されたようだが、この学校は当時、広島市の西のはずれの山の上に、修道院、寮とともにぽつねんと建っていた。
その内実がどのようであったかは、最近、ポカラの会の倉光誠一先生が著された『広島学院物語』を読んでいただくといい。一つの学校が創立され、そのなかで教師も生徒もさまざまに苦悩しながら多感な年代を生きていく姿がよく描かれている。
この学校は、カトリックの男子修道会の中でも「キリストの軍隊」を自認するイエズス会が創ったものだ。
そこには、ほとんど女性っ気というものがなかった。図書室のおばさんと、保健室のおばあさん以外には。そんななかで、永遠の、崇高な女性性に憧れていたわけだから、当然、その対象は生身の人間ではあり得ない。こうして私の、聖母マリアへの密やかな思いが始まった。


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