大木神父 1


 次の小説の舞台となる広島に取材で行った。ちょうど、ネパールに行っていた大木神父が目の治療のため帰国していたので、ポカラの会の倉光先生と一緒に修道院に泊めていただいた。
 広島には、イエズス会の修練院がある。司祭になるための長い修行期間の最初の二年間を過ごす場所である。神父は、そこの若い修練者の前で講話をした。
 ネパールに行き、一人でポカラに行って障害児の教育を始めようという段まで話が進んだとき、私の隣にいた倉光先生が突然手を挙げて言われた。
「ちょっと……、ちょっとここだけはぼくに言わせてください!」
 びっくりしていると、先生はこう言われた。
「ぼくがポカラを訪ねた時、神父は炊事も洗濯も掃除も、みな自分でやっておられたんです。月2500円出せばお手伝いさんが雇えるのに、そのお金がなくて……」
 そこまで言われたところで、先生は言葉を止めた。嗚咽して、これ以上を続けられなかったのだ。普段快活な倉光先生のそんな姿を見たのは、初めてだった。
(大木神父については、拙著『アガスティアの葉』をご参照ください。ちなみに6月28日(金)午後6時より、上智大学7号館14階会議室で神父の講話があります。ポカラの会の会員の方も、そうでない方も、よろしければおいでください。)


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