スティーブン・ブラッドバリー、31歳。日本ではほとんど誰も知らないが、地元オーストラリアでは知らない人がいない。
ソルトレークオリンピックの行なわれた2002年2月15日。アイススケート・ショートトラック男子1000メートルの準々決勝が行なわれた。世界の強豪がひしめくなか、南半球の選手がこの種目でメダルをとったことは一度もない。
案の定、ブラッドバリーはこの日4位に終わり、準決勝に進めなかった……と思われた。が、上位選手のなかから失格者が出た。なんとラッキーなことだ。繰り上がった彼は、歓び勇んで準決勝に臨んだ。
五輪選手とはいえ、並みの選手かそれ以下に過ぎない彼を注目する者は、世の中に誰もいなかった。五輪を前にして、政府からの強化費は早々に打ち切られていた。練習に使う車の修理代8万円が出せなくて、父親から借金をした。
この日のレースで、自分は競技人生のすべてを終える。そうしたら、故郷に戻って消防士になろう。借金も返そう。そう思って臨んだ準決勝だったが、ゴール直前で異変が起きた。前を行く二人が転倒し、なんと彼は決勝に進むことになったのだ。
青山圭秀
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