黄金週間 8


体が浮くことを好まなかったアヴィラの聖テレジアは、ある意味、健全だったといえる。人が瞑想したり修道生活をしたりするのは、神秘現象を経験するためではないからだ。
しかし彼女がこうした現象を罪と思い、生涯、これに抵抗して多大な労力を費やしたと聞くにつけ、この道における「知識」というものの重要性があらためて思われる。
もしこの聖女に太古の科学知識の一かけらもあれば、彼女はこれを生涯気に病む必要はなかっただろう。太古の科学は、こうしたことが意識進化の一つの現れにすぎず、傲慢の罪でも、悪魔の仕業でもないことを告げる。
むろん、それは聖女の責任ではない。教会権力の体現者らにとっては、キリスト教の教義という枠組みが絶対なのであって、それよりも深くて精妙な知識は忌避するしかなかった。その過程で、より深い実在に迫った多くの聖人・聖女らが、破門になって国を追われたり、火あぶりにされたりしたことだろう。
「ひょっとして、おれも昔そんなふうにされたから、今回の人生ではより深い知識を求めてしまうのか……」
黄金週間を一日も休まなかった男がそう言うので、私もつい、言ってしまった。
「それにしては、今回の人生も過酷ですね」


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