第二次大戦開戦期、ピオ11世に続いてローマ法王に選出されたのは、教会法学者でバチカン国務長官、11カ国語を自由に操るというピオ12世だった。
ピオ12世は、テレビやラジオを通じて世界に顔を知られた、最初の法王だったといえる。マスコミを駆使して人類の起源や進化論、避妊や人工授精について、共産主義についてなどの教えを述べ伝えた。
また、彼は聖母信心の篤い法王としても知られる。1950年の聖年には「聖母被昇天」(聖母マリアは肉体をもって天に挙げられた)の教義を宣言し、その年の暮れをファティマで祝った。
深い学識を有し、禁欲的な雰囲気をかもしだすこの法王は、疑いもなく歴史に残る法王であったが、しかし、その在位が第二次大戦と重なったことが、彼の評価に暗い影を落とすこととなった。
ピオ12世は、戦争に対する不偏・中立を保つあまり、ユダヤ人虐殺の事実を知りながら、これを明確に非難しなかった。実際、助けを求めてくるユダヤ人を助けなかったり、「ユダヤ人が虐殺されるのは当然の報いだ」と発言する高位聖職者もいて、それらの責任が法王の身に降りかかった。
彼を取り次ぎとする奇跡も起こり、気高く、聖人の位に挙げられる準備はすべて整っているにも関わらず、いまだにそれは実現していない。
苦難の時代を生きたピオ12世