ローマ法王ピオ10世は、1903年から1914年まで在位し、徳高い法王として知られていた。実際、彼は後に聖人の位に挙げられている。
1914年に第一次大戦が勃発したとき、ピオ10世は大きな衝撃を受けたといわれ、開戦の数日後に世を去っている。続いて選出された枢機卿はベネディクト15世を名乗り、その在任中、聖母がファティマにご出現になった。したがって、1917年当時、ピオ11世という人物は歴史上のどこにも存在しなかった。
実際、この預言をファティマで聞いた3人の牧童は、ピオ11世が法王の名か皇帝の名かすら、見当がつかなかったといわれる。だが、1922年、ベネディクト15世が亡くなると、その後に選出されたアンブロージオ・ラッティは、ピオ11世を名乗ったのだった。
町工場の息子からミラノ大司教、そしてローマ法王へと上り詰めたラッティは、おそらく聖母預言を知らなかったに違いない。
聖母は、「ピオ11世」の世の終わりに、もっと大きな戦争が起きると言っておられたのだ。そうして実際、その在位の終わり、1939年に第二次大戦が勃発した。
聖ピオ10世
聖母予言にも関わらず
「ピオ11世」が名乗られた