破局 6


 今朝方、そして夕方、東京ではかなりの地震があった。そんなときにはドキリとし、イエスの次のような言葉を思い出す。
『洪水の前、ノアが方舟に入るその日まで、
 人びとは飲み、食い、娶り、嫁ぎなどし、
 洪水が来てすべてを滅ぼすまで何も知らなかった。
 人の子の来臨もそれと同じである。
 そのとき、二人の男が畑にいたら、
 一人が取られ、一人が残される。
 二人の女が臼をひいていたら、
 一人が取られ、一人が残される。
 警戒せよ、主がいつの日来られるかは、だれも知らぬ。
 あなた方にも分かることだが、
 主人が盗人の来る時間を知っていれば警戒し、
 住まいの壁に穴をあけさせはすまい。
 あなた方も、思わぬときに来る人の子のために、
 用意をしているがよい』      
 (マタイ 24・38〜44)
 人生において、われわれは常に大小さまざまな破局に遭遇しながら、その都度、意識が変革されていく。より自分のダルマに従った生き方をしている人には、それは基本的に心地よい変化であるだろう。
 よりダルマに従わない生き方をしている人には、その多くは苦しい変化であるかもしれない。そもそも、なぜ瞑想をお教えすることになったかといえば、私も含め、ご縁ある人びとと、なんとかより前者に近い生き方をしていきたいと思うからである。
 天地は、いずれにしても過ぎ去る。過ぎ去らないものを、早く、スムーズに自分のものにしたいのである。


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