破局 2


聖母マリアは、世界のさまざまな場所にご出現になり、あるいは奇跡の水を湧きださせ、あるいは人びとの悔い改めを求めている。
そしてその預言もまた、常に、もしこのままあなた方が悔い改めないなら、というただし書き付きの形になっている。
『破局まで、パウロ6世から二人の教皇しかいない』という預言についても同様である。
人は常に、自らをよりよい方向に導くことができるし、未来を変えることができる。預言も、そのための預言だという立場はどんなに強調しても強調しすぎることがない。
ところで、この預言の内容そのものについては、パウロ6世から数えて三人目の教皇のときに破局が来ると解釈すべきだという説がある。本当は二人の教皇しかいないはずだったのに、一部の正しい人びとの祈りのおかげで延期された、あるいは、ヨハネ・パウロ2世の苦しみと引き換えに持ち越された、という説もある。
一方、先に触れたマラキの預言については、111番目の「オリーブの光」と112番目の「ローマの人ペトロ」は同一人物ではないか、という説がある。
これを聖母預言の解釈と同時にとると、(このままでいけば)これから選ばれる法王の治世で破局がくることになる。
あるいは、運がよければ、破局はそのまた次の法王の治世まで持ち越されるのかもしれないし、ふたたび、善良な人びとの犠牲や祈りのおかげで延期されるのかもしれない。


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