最初の誕生日


 寒い日が続きますが、皆さん、いかがお過ごしですか?
 まったく個人的な話で恐縮ですが、42年前の今日、私の母はほとんど死にそうになりながら、私を産みました。産まれてしまったとき、よく言われるように、新しい生命の誕生の歓びで、母はお産の苦しみなど忘れてしまったのでしょうか。実際、それは大したことではなかったのかもしれません。産まれてきた子供のために、その後、苦しむ苦しみの量に比べれば……。
 かつて、抑圧されたユダヤの女は、救い主を自分が産むことを至高の名誉と考え、待ち望んだ時期がありました。そうして数千年が経ったある日、思わぬときに大天使が少女の許に現れ、挨拶をしました。
「祝福された御方、これより後、全世界があなたを幸いな方と呼ぶでしょう」
 しかし先日、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂入り口で私たちが目にしたのは、十字架から降ろされたばかりのイエスを抱き抱え、嘆き悲しむ聖母の像でした。全世界が幸いな者と呼ぶ、そんな女でさえも、わが子が笞打たれ、手足を十字架に打ちつけられて死んでいく様を、目の前に見なければなりませんでした。
「母」は与える者です。与えて、与え尽くして死んでいきます。それが、女性性の崇高さであるように思われます。
 21世紀に入った最初の誕生日を機に、「大いなる生命と心のたび」の記録だけでなく、生活のなかで考えたたわいもない事どもを、この場に書いてみようと思っています。
 第一回の今日は、ちょっとテーマが堅すぎましたか……。


カテゴリー: 人生 パーマリンク

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