今年になって、『京都に行き、○カ所のお寺で瞑想し……』といった指示が
聖者の予言に繰り返し出てくるようになり、
これは要するに実家に帰るようにということかと思うようになった。
そして実際にそうする度、父の様子は変化していった。
あるとき、父がほとんど言葉を発することができなくなっていた頃、
見舞いに行くと、父は何か言おうとしているのだが、やはり言葉にならない。
しかしその視線は、私、というよりも、私の頭上、斜め後ろに焦点を合わせ、
そこをじっと見つめて、
まるで何かに心動かされているかのように見えた。
父の父、すなわち私の祖父は、数え年100歳まで生きたが、
亡くなるとき、
「仏さんが来た、仏さんが来た……」と言いながら逝ったというので、
私はなんとかこの父の不思議な視線の意味を言葉で引き出そうとしてみたが、
できなかった。
そのような状態も長くは続かず、
父は人工呼吸器につながれ、医学的には“意識のない”状態となった。
そのような父に向かい合ったとき、
人から見れば、もう充分に生きたではないかと思われるかもしれないし、
亡くなって、それで終わるわけではない、
安らかで光に満ちた世界に行くはずだと思っていても、なお、
(頼むからもう一度元気になって……)と願わないではいられなかった。
子供の頃、正月に楽しい思いをして、
(お願いだからもう一日だけ……)と父に願い、一も二もなく却下された。
あのときと同じように、今度も、父は私の願いに無言で答えなかったが、
しかし違うのは……
今度こそ、やっと父に安らぎがもたらされたであろうことだ。
一回の人生をほとんど休むことなく働き続けた父は、
もしかしたらもう、今はあの世でなにか別の仕事にいそしんでいるかもしれないが、
しかし父にかぎらず、Yさんの父上や、今年亡くなったすべての故人が、
次に生まれるまでの間、できれば一緒に、静かで温かな時間を楽しんでいてくれればと、
私は心から願うのである。