名古屋で新幹線を降り、伊勢に行くには、二通りの方法がある。
一つは近鉄特急で、もう一つはJRだ。
近鉄のほうが、やや運賃は高いが、スムーズで速い。
だが、どちらが乗り継ぎがよいかは、行ってみなければ分からない。
着いてみると運悪く、時間短縮のためにはJRに乗らざるを得ないことが分かった。
案の定、JRは振動と縦揺れが激しかった。
普段ならば、大きな違いではなかったのだろう。
しかしこのときは、そのわずかな差が大きかった。
途中、咳が出てきたとき、冷や汗が同時に吹き出た。
まさか、肺が傷ついたのではないだろうか。
そうなれば、咳は止まらず、歩くこともできなくなる。
最悪の場合、わざわざ伊勢まで来て入院することになるかもしれないが、
それだけは許してほしい。
そんなことをさまざま考えながら、私は思いだしていた。
今、すでに伊勢市駅で長く待っておられるであろう会員の方は、
実はお体がやや不自由であられるのだ。
ときどき、体が不自由であったり、弱かったりする方のなかに、
鋭く、高い霊性を示される方がおられる。
たとえば、『心訳・般若心経』を書かれた柳沢桂子さんがそうだといえる。
体が悪い(悪かった)にも係わらずそうなのか、
あるいは、体が弱いからこそ霊性をより進化させられたのか……。
この日、伊勢神宮をご一緒する方は、そういう方だった。
その方と伊勢神宮を参拝することが分かったとき、
わくわくするような気持ちと同時に、しかし正直、
一抹の不安が私のなかにあったことも事実である。
あの広い境内を、果して歩いて参拝できるだろうか……。
もしかしたら車椅子とか、何か他の方法を考えるほうがよいのではないのか。
昔、聖母出現の聖地メジュゴリエを巡礼したとき、
おひと方、『ご出現の丘』に登ることが難しい方がおられた。
その方は、麓で待っているので気にしなくてよいと何度も言われたが、
しかし、気にしないということはできなかった。
予め、籠や担架のようなものを準備しておけば、
私を含む何人かの男性で担いで、
聖母マリアが最初にご出現になった丘にご一緒できた。
そのことは、『大いなる生命と心のたび』の数多くの思い出のなかで……
今も忘れることができない。
この日、朝早く東京を出たとしても、外宮を参拝し、瞑想をし、
また内宮に回って参拝、瞑想するまで、時間的にどうだろうか。
内宮でご祈祷を挙げていただく時間に、間に合わなくなってしまうことはないだろうか。
何か準備をするとしたら、何ができるのか……、
そんなふうに人さまのことを勝手にさまざま思い巡らせていたのに、
それがなんと、実際にはこうして、
自分がその心配の対象となってしまったのである。