アダムの肋骨2


5月26日、他に参拝したのは、法然寺と善通寺である。
法然寺のご本尊は、法然ご自身の作と伝わる阿弥陀如来立像。
のみを一度打つごとに、三度拝礼をしながら彫り上げられたという、
いわゆる『一刀三礼』の仏像である。
また、善通寺でも、花を捧げ、祈り、戒壇巡りをして弘法大師生誕の地で瞑想し、
指示されたすべての勤めを果たすことができた。
最後に、少しの時間をいただいて、善通寺でお守りを買うことにした。
浅草や鎌倉、東北の被災地などに
いつも車を出してくれている方のためであった。
たくさんのもののなかから、大師が中国で恵果和尚からいただき持ち帰ったという、
錫杖(しゃくじょう)のミニチュア交通守りを選んだ。見ていた皆さんに、
「強力そうでしょう。私の命もかかってますから……」と言うと、
皆、顔をほころばせた。
朝一番の便で四国入りし、3カ所で花を捧げて瞑想すると、
あっという間に最終便の出発が迫っていた。
この日一日の巡礼と瞑想をご一緒した皆さんとは離れがたく……


時間があればあっただけ、名残を惜しんだに違いない。
しかし、出発の時刻は迫り、ほとんど御礼も申し上げられないままに、
高松の空港を後にしなければならなかった。
翌27日は、<Art3>完成編をお教えする日である。
聖者の予言には、突然にさまざまな記述が出てくるものだが、
今まで一度として、セミナーや瞑想講座をキャンセルさせられたことがない。
聖者やシヴァ神の記述のなかでは、
私は瞑想を教えることをやめてはならないとのことで、
有り難いことに、それ相応の配慮をしていただいているようなのだ。


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