インドの旅3


ここへきてとうとう食糧が底をつき、
しばらくは飢餓状態に耐えていたがそれも限界がきて、
やむを得ず、カエルやイモリを捕って食べる他なくなってきた・・・
こんな記述を、旧日本兵の手記で読んだ気がする。
幸いにして私はそこまでの状況にいたっていない。
断食をしたといっても、意図的な断食だし、いつかは終わることが分かっているのだから、
食糧がなくて苦しんだ日本兵の皆さまとはまったく違う。
だが、何が悪かったのか、数日前より突然全身に蕁麻疹が発生し、
眠ることができなくなった。
眠ってしまえば掻きむしってしまって、
今ごろは全身血まみれになっていただろう。
肌に衣類が擦れても、風がふいてもかゆみが激しく、
その度にうんうんうなりながらこれを書いている。
原因が分からず、その可能性のあるものはもう食べられないので、
一瞬、冒頭のような日本兵の手記が心に浮かんだわけだが、
今のところ当のカエルやイモリに累は及んでないので、
どうか心配しないでいただきたい。
私にとっては生まれてこの方経験したことのない事態ではあるが、
思えば、瞑想をお教えした皆さんのなかにはこうした状態を長期間耐えている方も何人かおられ、
かねてより、その皆さんの全快を心に思い描き、ときに強く念じてきた。
そのために聖者の指示で、クットララムの滝の水をとってきたり、
これから滝や、その他の聖地にお連れしなければならない方もいる。
ただやみくもにその皆さんの回復を願うだけではなく、
今回、その苦しみを少しでも共有できたことは、私自身にとって恩寵だった。
その皆さんが治っていかれるような気が、実際にしてきたからである。
ネットがつながった間にかいま見たメールのなかには、
一体何のためにそんなことをしているのかというご指摘もあった。
今回のパリラーラムを進めるに当たり、なせこれだけ次から次へと困難が現れ、
しかもそれらが揃いも揃って原因不明なのか、私にはわからない。
しかしおよそインドにきて、なにかをするということは結局、こういうことだ。
過去例外なく、そのようにしてしか、
『理性のゆらぎ』も『アガスティアの葉』も、『神々の科学』も生まれなかった。
そう考えれば、六十数名の方があれだけの内容の巡礼旅行を大過なく終えられたのであるから,
それだけでも参加者の皆さんそれぞれの賢明さと忍耐、神々の恩寵を思わざるを得ない。
ところで、みなさまからのコメントによれば、
私と目が合ったカエルは、心配して見に来たスタッフだったのだから、
これを外に出したのはまずかったのだという。
しかし、そのスタッフが言うには、
カエルは魔法をかけられているだけで、
本当は王子か王女だったのではないかという。
そう言ったスタッフは、ネコを十数匹も飼っているということで、
自分自身もネコから進化し、
今回が人間として初めての人生なのだという。
昨年の冬、打ち合わせを終えて外に出ると突然、
眼前に展開した一面の銀世界に驚いたことがあり、
おもわず「嬉しいだろう?」と聞いたところ・・・


「すみませんけど、私、犬じゃありませんから」と答えたのが、彼女だった。
私をはじめ、このようなずっこけた仲間で会社を運営している。
皆さんにご不便・ご迷惑をおかけすることもたびたびあるが、
すべては私の至らなさの故である。
朦朧とした状態ながら、この機を借りて異国の地より、
お詫び申し上げたい気持でいる。


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