五反田はゆうぽうとのすぐ前で営まれている会社を訪れると、
その方はいつも奥の方に控えめに座り、静かにしておられた。
会釈することはあっても、言葉を交わすことはほとんどなかった。
それほど、物静かな方だった。
私と深いご縁があったのは、社長業を引き継がれたご子息のほうだ。
この方(Yさん)の名前は、私の本の巻末や、ブログにときどき登場する。
お祖父様のお名前は、谷崎潤一郎の本の巻末に出てくるということをお聞きし、
そのように本の巻末に名前が登場する家系があるのかと思ったものである。
Yさんは縁あって私の本を読んだ……わけではない。
彼は私の本を、いわば創り出したのである。
『理性のゆらぎ』が出る前、原稿を友人や知人に読んでもらっては蚩われ、
出版社という出版社に断られしていた頃、
これを出してくれる会社を探し、
その上たくさんのタイトルを考えてくれたのがYさんであった。
彼が考えてくれた100近いタイトルのなかから、
『理性のゆらぎ』は自然に湧き出てきた。
この本と、それに続く『アガスティアの葉』以来、
私の人生は激変したが……


ワイドショーで何といわれ、週刊誌が何を書き、
知人と称する人たちがまことしやかに真実とかけ離れたことを語ってまわり、
友人と思っていた人が興味本位に探りを入れてくるような、そんなときも、
彼はいつも私を守ろうとしてくれた。
私だけではない。
彼のおかげで私の周囲のどれほどの人や、
見知らぬ、生涯会うこともないであろう日本人やインド人が助けられたか知れない。
そのYさんの物静かなご尊父の訃報を、私は聞くこととなった。


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