2009年12月18日(7日目-1)
今年4月のインド巡礼旅行の際、シヴァ神の予言にはこう書かれていた。
『(巡礼中)アシュラムに向かう最初の日、プージャを行ないなさい』
そのため、われわれはバンガロールを発つ日の朝、儀式を行なったが、
その一つは、<プレマ倶楽部>会員のSさんがインドの貧しい人のために建てる家に関係していた。
その家をどこに建てるかもまた予言に指定されており、
貧しい方が入居する際には、
寄贈者のご親族と私は、ふたたび儀式に与るよう定められていた。
旅の最初に儀式を捧げる
この日早朝、ヴェロールを発つと、
バスは幹線道路を外れ、田園地帯に入っていった。
周辺のインド人たちは、日本人はおろか、外国人を見たのも初めてなのであろう、
われわれの大型バスを珍しそうに見ては歓声をあげ、手を振ってくれる。
田舎道を行くこと1時間半、遂に今回建った家の近くまで来た。
われわれが到着すると、爆竹と花火が上がり、歓迎してくれる。
家に着くと、そこではすでに儀式が執り行なわれていた。
家を寄贈されたS家の皆さんと共に、われわれも儀式の席に着く。
そこに小さなホーマの炉が組まれ、捧げ物を次々とくべる。
われわれも木の杓でギーを継ぎ足し、マントラを唱和する。
外ではお祭りのときの屋台のように、コックが食事を用意してくれている。
落成の儀式が終わる前に、われわれはそうして用意された食事をいただき、
ふたたび儀式の席についた。
最後に、今回の家を寄贈された側の老夫婦が、
われわれのために朗々と詩を吟じた。
『私はどのようにしてこのご恩に感謝しよう。
私は今、この恩に感謝する。
これからも感謝する。
死ぬときも感謝する。
死んで、生まれ変わっても感謝する……』
こうして、いつの日かわれわれがすべて今生を終え、
この次に生まれてふたたびめぐり逢ったとき……
おそらく彼はSさんたちを覚えてはいないだろう。
われわれもこの家族を覚えてはいないだろう。
同じ国に生まれるかどうかも分からない。
しかし必ず、いつか、どこかで出あうだろう。
そのとき、彼らは言い知れぬ感謝の念を持っているに違いない。
そうして、そのときの生で、その恩を返そうとするに違いない。
そうしようとしても、しなくても、そのようになっていくに違いない。
周辺の皆さんにお食事を振る舞う