『人がいかなる方法で帰依しようとも、
わたしはそれに応じて彼らを愛する
いずれの道を通っても
人はすべて、わたしの道をたどる』
(【バガヴァッド・ギーター】第4章 詩節11)
クリシュナ神によるこの言葉を目にするとき、必ず思いだすのは、
イエスによる次の言葉である。
『わたしは、道であり、真理であり、生命である。
わたしによらなくては、誰も天の父に至ることはできない』
(【ヨハネによる福音書】第14章 第6節)
ちょうど地上から空を見上げたとき、その高さが計り知れないように、
われわれには、神が化身してきた人格と、
人間が進化して神と一致したものとのあいだに、区別がつかない。
【バガヴァッド・ギーター】は【東洋の聖書】と言われるが、
クリシュナ神とイエスの遺した聖典を見ていると、
まるで両者が一つの人格のようにすら見えることもある。
ただ、それぞれの置かれた時代や地域、民族の歴史や伝統、文化によって、
表現の仕方が少しだけ違う。
先月の【バガヴァッド・ギーター】の解説では、
クリシュナ神による「神の化身」の概念が語られたが、
11月23日、それを完結する部分が語られる。
奇しくもこの日は、サティア・サイババの誕生日にあたっている。
聖典の勉強の後、われわれは、この化身の生誕を祝うと同時に、
聖者の予言による儀式を捧げる。
ちょうど、上記詩節11に続く詩節12では、クリシュナ神が次のように語っている。
『地上において行動の成就を望む者たちは、
神々に供物を捧げる
実に、人間界においては
行動から生ずる成功は速やかに訪れる』
物質と肉体からなる地上の生活は、
困難なように見えて、しかし実り多い。
肉体を持つわれわれには大きな負荷がかけられてはいるが、
しかしそれに見合う以上の進化のスピードが与えられる。
だからこそ、われわれは肉体をもって地上に現れることになる。
そうして同時に、適切な儀式やマントラが神々に捧げられるとき、
進化のスピードは当然に何層倍にも加速する。
23日(水)は、これらクリシュナ神の言葉の解説と……
サイババの生誕を祝ってサティア・サイババの言葉の解説、
その後、プージャを捧げた後、お捧げした食事を全員でいただく。
プージャとお食事へのご参加は、会場の大きさに制限があるため、
大変不本意ではあるが、
<プレマ・セミナー>と<瞑想くらぶ>にご参加の皆さんに限定させていただいている。
しかしこうして、その日の儀式の内容に符合した聖典の文言が、
ちょうど同じ日に解説されることになるのをしばしば経験すると、
不思議な気持ちになると同時に、
誰かが計っているかのようにも感じられる。