企画旅行

第18回『大いなる生命と心のたび』
〜伊勢神宮と熊野・高野山〜

2009年10月2日〜5日


旅程

10月2日

名古屋まで新幹線で向かい、貸切バスに乗り換えていただき、昼食をはさんで伊勢神宮をゆっくりと参拝し、伊勢湾を望む景勝地、鳥羽へ向かいます。
(鳥羽泊)

10月3日

貸切バスにて紀伊半島を南下し、日本最古の神社とも言われる花窟神社、 熊野三社のひとつ熊野速玉大社に参拝し、昼食後、御神体の巨岩で有名な神倉神社参拝、熊野那智大社までの参道、大門坂を散策し 那智大社を参拝します。
(勝浦温泉泊)

10月4日

貸切バスにて熊野本宮大社に参拝し、昼食後、熊野三山の奥の院で大峯奥駈道の行場でもある 霊場玉置山と玉置神社を参拝、高野山へ向かいます。
(高野山 宿坊泊)

10月5日

高野山をゆっくりと参拝し、昼食後、貸切バスにて関西空港へ。 その後空路羽田へ向かいます。

おもな見どころ

鳥居

伊勢神宮の次回の式年遷宮は平成25年、4年後の10月です。それまでの間に8年かけて様々な行事を行いますが、そのひとつの行事に、木造始祭(こづくりはじめさい)というものがあります。この行事は新しい宮建造の安全を祈る行事です。
この行事で使われる木材は、聞くところによると木曽の特別な御用地から伐採され、地域のみなさんによって神宮まで運び込まれるそうです。そこで、遷宮後に残った木材の行方が気になりますが、全国の鳥居の材料として使われるそうです。20年も神様の居住まいを守ってきた材木は、既に霊木となっているのでしょう。
神宮には、内宮・外宮のほかに別宮や摂社など、多くのお社があります。建造様式も様々で、千木(屋根の端にある部材)の切り方を見ているだけでも楽しめます。このようなひとつひとつの様式や技を、次の世代に伝えるのにちょうど良いのが、20年に1回の遷宮とのこと。その伝統を守るシステムがもう62回目を迎えます。

蟻の熊野詣

平安時代から江戸時代に至るまで、多くの武家や貴族をはじめ庶民も熊野三山を目指しました。熊野本宮へ向かう街道はいくつもあり、「伊勢に7回、熊野に3回参ると極楽浄土へいける」と言われ、伊勢や高野山を通るルートもあります。
最近は世界遺産に指定され、蟻の熊野詣の再来かと思われましたが、やはり難所といわれる雲取越えには、ほとんど歩く人を見かけません。まるでどこか違う時代に来てしまったかのような心細さや疲労から、ダル(いわゆる餓鬼のようなものだそうです)にとり憑かれそうになるという話もうそではないように思います。そんな難所でも、時折見かけるお地蔵さまや、九十九王子の姿にほっと安心し、次の一歩を踏み出すのかもしれません。

道先案内人 

八咫烏(やたがらす)といえば、サッカー日本代表のユニフォームにも描かれていますが、もともとは、神話に描かれた鳥で三本の足が特徴です。
紀伊半島には、神話や古事記、日本書紀の舞台となったと言われる場所がたくさんありますが(花窟神社もイザナミノミコトで有名です)、八咫烏も神話上、太陽の象徴の鳥と言われ、神武天皇の道先案内をしたと言われています。熊野三山の午玉宝印は、それぞれ八咫烏で文字を書いています。とってもポップなお印です。

受け継がれるもの

今回訪れる高野山は、2015年には開創1200年を迎えます。空海が入定された後もずっと、奥の院にいらっしゃる弘法大師様へお食事が運ばれています。また、伊勢神宮でも毎朝神様のもとへ運ばれるお食事を作るため、かまどに火が入ります。このように長い間に変わらず続けられることは、私達を魅了します。
また、多くの時代をこえても途絶えることのない修行の道が、紀伊半島にはたくさんあります。那智大社は西国札所1番として多くのお遍路さんを見送り、玉置神社は大峯奥駆道の行場として、多くの修験者達を受けいれてきました。今回は、今なお続くその信仰と探求心の一端に触れる旅になるでしょう。