最新号 (第186号 2025年3月25日配信)
『富と文化』政治にはさまざまな立場というものがあるので、
この欄ではなるべくそれに触れないようにしているが、
かつて民主党が国民の熱狂的な支持を得て政権をとる前、
何も言わずに我慢したことを後に後悔したので、
ここで“少しだけ”書かせていただいてよいだろうか。
学生の頃のこと、
突然父が上京してくるというのでどうしたのかと思ったら、
親戚が、「息子をどうしても銀行に就職させたい」のだという。
父に伴われて上京してきた親戚は温厚な人がらで、
彼はまず政治家の指定する業者から高価な「品」を購入し、
それを持参して議員会館を訪ねた。
私たちは終始上機嫌で迎えられ、
銀行にはちゃんと口利きする旨、約束してもらったので、
親戚はご満悦で帰っていった。
政治家はときの大蔵政務次官でそれなりの力はあったはずだが、
なぜ、父は長年懇意にしてきた宮澤喜一氏を訪ねなかったのだろうか。
父は一言「宮澤にはこういうことをさせとうない」と言った。
実際、宮澤氏はその種のことが嫌いで、苦手だった。
「宮澤の会合に行っても、出てくるのはお茶だけだ」と言って、
父はよく笑っていた。
「そんなことだから人が動いてくれない」というのである。
中選挙区制のもと、同じ福山には、
後に利権政治の権化とまでいわれたK氏がいた。
由緒ある政治家の家系に生まれ、戦後、池田勇人蔵相秘書官として
サンフランシスコ講和会議全権随員となり、その後政界入りした宮澤と、
地方の土建屋上がりのような風采のKとでは、
政治家としての格は雲泥の差であったが、
選挙となると僅差であった。
そうして、宮澤がいよいよ総理・総裁を目指そうという年の選挙で、
Kの得票はついに宮澤のそれを上回った。
それは衝撃的な出来事で、全国ニュースにもなった。
しかし、これが人間の世の中なのだと、父は言った。
カネに無頓着で、人の世話もしないで英字新聞を読んでいる人と、
危ないカネに群がり、湯水のごとくそれを使って利益誘導する人と、
国民一人ひとりがどちらを選ぶかが「民主政治」なのだ。
常々申し上げているように、結局、政治の質は国民が決める。
ちなみに、このK氏、
それから何十年も後にあのホリエモンの挑戦を受けている。
既存の権威や価値観を打ち砕こうという野望に燃え、
人びとから熱狂的に迎えられたホリエモンであったが、
それでもKの牙城は崩せなかった。
それほど、国民の側もこの文化に浸かっていることの証である。
ホリエモンはその後も挑戦をやめないと宣言し、地元に事務所を残したが、
すぐに別件で逮捕され政治生命が断たれた。そのことと、
荒技を繰り返したK本人が生涯、逮捕されることがなかったこととは、
Kが警察庁のドンであったことで同時に説明がつく。
ところで、このとき持参したような品物を次々持ち込まれても、
議員の先生方も困るのではなかろうか。
すると、父はこう言った。
「おまえが心配しなくても、アレはあのまま業者が引き取ってくれる」
「えっ……?」
「あんなもの、いくらもらってもしょうがなかろう」
話はもちろん、政治家だけではない。
大臣や政務次官に就任すると、省庁の主な幹部を集めて食事会をし、
必ず一人何十万円の現金や、商品券を配るものだと当時聞いた。
それをしない宮澤氏のような人は「ケチ」と評され、
政界に人脈、すなわち子分を養うことができない。
宮澤にしてみたら、自分より能力の劣る官僚に、
どうして商品券を配らなければならないのかと思うだろうが、
日頃からそうして“面倒を見て”初めて、
官僚らは大臣のため法案を考え、根回しに動く。
大臣の無知・無能を内心で笑いながらも、
国会では楯となり、忖度し、
ときには自ら人身御供にならねばならないのだから、
そこにはわれわれの計り知れない利害関係があるのだときかされた。
石破氏もケチだケチだと言われてきたというのだから、
そういうことが嫌いで、これまであまりしてこなかったのだろう。
それが今回、最後と思った総裁選で意外と勝ったので、
過去を反省し、心を入れ替えて、一人十万円くらいは“ちゃんと”配れよと、
周囲に言われたりもしたのだろう。
その“反省”の結果がこれなのだから、まことに“文化”とは恐ろしい。
Fテレビでも、
社長が何十年もやってきたことの継承者として成り上がった幹部が、
同じことを続けていて今回、こうした事態とあいなった。
今は一般人となったN居正広さんもまた、
自らが育った文化を普通に継承・実践しただけだと思っていたら、
思わぬ顛末となり、いまだに戸惑っていることだろう。
マスコミも、J事務所の奥深くでどんなことが行なわれているか、
当時から誰でも知っていたが、
報復を恐れてほとんど誰も、何も言わなかった。
そんななか、「これが自民党の文化なのですか?」
と声高に叫ぶ野党の議員さんもいて、笑いを誘っていた。
私が学生時代から知っているようなことを、
政治家も、メディアの皆さんも知らないはずはもちろんない。
マスコミも含め、自分たちもそのご相伴に与り、
法案の落としどころを談合したり、外遊するなどといっては
ちゃっかり内閣官房機密費をいだたきなどしてきたのに、
まるでびっくりしたかのような顔をしておられる。
なので、ここぞとばかりに責めたててはいるものの、
本気で内閣不信任案を出そうという話にもならない。
石破氏も、「皆、やってきたことじゃないですか」などと言いたいだろうが、
そこは政治家として、ぐっと堪えねばならない。
今回の件をマスコミにバラした人も特定されているが、
自分も同じようなことをしてきたものだから、
よもや正義感からではなく、
石破氏のことが嫌いだからバラしたのである。
逆にいえば、石破氏がこれまで“真面目に”こうしたことをしてきていれば、
今回急にばらされるということもなかったかもしれない。
ちなみに、息子を銀行に就職させるために父に泣きつき、
大蔵政務次官に金品を贈ってご満悦のうちに帰られた親戚には、
その後、意外な結末が待っていた。
なんと息子は「採用」にならなかったのである。
どうしてそんなことになったのか、
父が宮澤氏を紹介していれば銀行に入れたのか、
その後、彼らがどうしているのか、私は知らない。
ただ、一家は崩壊した状態だとだけ、
亡くなる前に母が漏らしたことがある。
私はつくづく思う。
富は、相対界では体を維持し、家族・子孫を養うために必要であるが、
不適切に用いられた富はその人も、
子孫までも含め、必ず不幸にする。
この世においては、使われる前に腐ったり、盗まれたりもする。
それが薄々分かっていながら、
上記のようなことを生涯繰り返しながら生きていく人たちも大勢いる。
結局、私たちが未来永劫にわたって保持し、楽しめるのは、
“天に積まれた宝”だけだ。
清浄に用いられた富だけが、
現世でも、死んだ後も、私たちを幸福にしてくれる。
これは古い、古い掟である。
その反対の文化が支配的な時代を、聖者たちはカリユガと呼んだ。
現在はそのカリユガであるが、
そのなかで私たちは一番ましな時代、一番よい国に生きている。
それを、黙っていても政治家やマスコミがさらによい時代、
よい国にしてくれるなどと思うべきではない。
それは私たち一人ひとりが、それぞれのダルマにおいてすることだ。
それもまた、古今東西を通じて変わらぬ掟である。


















